このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
横浜駅地上時代からビル突入時代へ
相鉄会館
横浜駅2F時代(現在の横浜駅)
上図・・・現在の横浜駅のジョイナス1Fとの位置関係の雰囲気です。
ジョイナスの中央付近まで、線路が来ています。
この時まで、隣の高架東横線を見上げ続けてきた相鉄は、横浜駅西口を発展させるという大儀を持って、
わざわざ軍艦ビルの2Fに突入するという大胆で勇敢な手法を使って、
西口の覇者としての威信を取り戻したのでした。
エレガントな高架、東横線と同等の高さに立ったことは、
その後の西部ネイティブ横浜インディアンの劣等感をじょじょに解消し、
相鉄ありて西口あり、という強固な郷土密着型愛着心を抱かせるに至ったのです。
砂利を運ぶ地味な神中鉄道が、いばらの横浜駅西口をここまで発展させるとは、
誰も想像出来なかったことであったのです。
上図・・・現在のジョイナスの1Fに地上時代の横浜駅を重ねてみました。
ベイシェラトンホテル方面から、高島屋の前をとおり、相鉄線のりばの正面に立ったとき
屋内1Fの中央あたりに、改札口があったと想定できます。
相鉄線横浜駅の左手には2F相鉄食堂にあがる螺旋階段。
右手に横浜駅名品街のアーケードがあります。
相鉄線のりばから、ジョイナスに入って、そこに線路やホームがあったことを
想像できる人は、相当なツワモノとして、当ホームページにて表彰いたします。
昭和27年11月 スタンダード・バキューム石油に返還された土地が競売にかけられた。
その24.688㎡の土地を我等の相鉄が買い付けに成功した。
この土地の大きさは、ちょうど現在のジョイナスと高島屋の面積とほぼ同じである。
昭和31年4月 横浜駅名品街と高島屋ストアーが開店した。最初の高島屋ストアーは、
相鉄ローゼン程度の規模で平屋建てだったようである。
しかしながら行列が出来るほどの繁盛ぶりだったようである。
昭和32年9月 相鉄興業株式会社により相鉄文化会館が開店する。
地下1階 お好み食品街、お好み食堂
地上3階 婦人文化教室
地上4階 横浜精養軒
昭和34年10月 高島屋ストアーを増強、デパート横浜高島屋が開店する。
更に大繁盛にて昭和36年10月、増築完成。
いまの西口の繁栄は高島屋から始まったのでR。整地された西口広場に
堂々と横浜高島屋だけがそびえ立っていたのだ。
昭和36年10月高島屋5Fと相鉄文化会館をつなぐ、スカイブリッジ完成。
昭和37年11月ステーションビル(現シャル)営業開始。
同時に横浜駅ビルボール(12レーンのボーリング場)と5Fお好み大食堂が営業開始
ビヤホールホッペン、ステーショングリル、ステーションパーラー、
クィックコーナー、フラワールーム
昭和39年12月ダイヤモンド地下街営業開始
東西のれん街、喫茶カリオカ、ロイヤルベビー、喫煙具バロン、ワコンコーナー、
おでん小春、三河屋
高島屋、相鉄文化会館、ステーションビル、ダイヤモンド地下街と
相鉄は、バラセン地帯の横浜駅西口につぎつぎと明かりを灯してきた。
昭和43年11月 横浜岡田屋が開店
昭和43年 首都高速横羽線開通
昭和48年11月 相鉄ジョイナス開店(第1期工事完成)
昭和48年11月 三越開店
昭和49年2月 横浜駅改良工事完成(3線4ホーム、210m)
相鉄ジョイナス2階に乗り入れ
相鉄ビル
こんな感じという事で。
正確さはありません。
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