このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


昭和16年11月に、神中線海老名駅(現・海老名より300m横浜寄り)が開業して、12月からガソリンカーが小田急に乗り入れ相模厚木(本厚木)へ乗り入れていました。しかし当時、小田急の駅は無く、昭和18年3月神中線ガソリンカー乗り入れ中止、昭和18年4月小田急海老名駅開業。終戦前後の中断を経て、昭和31年11月まで、小田急本厚木直通運転を行いました。

最初に本厚木に乗り入れた頃、まだ神中線は電化されていなかったので、ガソリンカーがわざわざ小田急の架線の下を通ったのです。海老名駅が出来たのがs16年11月25日、乗り入れはじめたのが翌月24日だそうで。当時の粗末な客車に半ば無理やりトラック用のガソリンエンジンを積み込み、運転手が変速しながらブルブルと走ったのが当時のガソリンカーで、マトモなディーゼルカーもそろそろ出てきていましたが、小田急に入ったのはガソリンカーでした。

当時の相模川鉄橋は、今の鉄橋の南側にあって、本厚木駅は地平に、厚木駅は今より少し南側にありました。厚木駅のJR相模線との立体交差の辺りに、昔の小田急線の橋台が残っています。




なると・ふるんぜさん、みけさんのお話です。

ガソリンカー(瓦斯倫カー)

瓦斯倫自動客車 キハ1型


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