このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

古河節

作詞作曲 伊規須翠山

潮 第11号より

昭和11年3月25日印刷
昭和11年3月30日発行

横浜市神奈川区西平沼町2丁目12番地 電線館内
編集兼発行人 竹内 勝

横浜市神奈川区高島通1丁目5番地
合名会社 山縣印刷所
印刷人 山縣平司

横浜市神奈川区西平沼町2丁目12番地
発行所 電線倶楽部

横浜市中央図書館所蔵 

丹沢山ハイキング(10月13日)

旅行部便り
執行部H委員


昨日の夕焼空と天気予報を裏切って、

今朝はどんよりと曇って、今にも降りそうな天候。

 心配しながら横浜駅に来てみれば

50名の申し込みに対して45名が集まっている盛況振である。

意を強うして予定通り7時24分発厚木行きにて出発する。

 神中の沿線は見るべき景もなく単調至極なるも

幼き者の心になって眺め行くほどに

心配していた空模様も次第に好転、

大和駅を過ぎる頃から嬉しくも陽の光が車窓り入ってきたので

一同歓呼する。

8時30分厚木着。待つ間もなく小田急の電車が来たので乗り換える。

 車が動き出すとあたかも待ち構えていた者のごとく、

強電課の連中が車内販売嬢の籠にビールを見つけて

意気大いに上がり補助椅子で丸く陣取って互いにさしつさされつ、

あたりに人なきものの如く談笑する。愉快である。

 大秦野駅着9時、すぐに大型バス3台、小型1台に分乗、

目指すヤビツ峠へと出発。

 蓑毛を過ぎる頃から四邊の風景は漸く雄大になり、

自動車で走り去るには、実に惜しい。・・・・以下略

以上、潮11号に掲載されている旅行部執行委員の筆による

丹沢山ハイキングの文章です。

昭和11年10月13日に古河電工横浜電線の旅行部が引率した

丹沢ハイキングの様子を描写しています

実に素朴で美しい文章だと思います。

これを読んで、私は昭和10年という昔を

とても身近に感じる事ができました。


そしてこの文章からは、いろいろな事が推測できます。

H委員は、神中沿線の景色はつまらない、と言っていますが
どんな風景だったんだろう

小田急の車内販売嬢や補助椅子はどんな感じなんだろう。

45人が分乗したバスは、
どんなバスだったんだろう。

そんな事などが幻想イメージとして沸いてきます。

もしもまだ、読まれていないようでしたら

一度ご覧になってはいかがでしょうか?

古河節 歌詞

(1) わたしゃ足尾のエー山生まれ

蝶よ花よと神路でそだち

粧けて仕着せて浜では小町

文化のエーさ 母となる


(2)日本中ならエー疾ふからよ

南洋、満州、ロシア、シヤム、支那も

やがて世界の隅々までも

山一でーサ 先駆する


(3)空に聳えし銀筒の

其の名もたかく古河電気

堅きいしづえゆるぎも見せず

とこしへにーサ 末広よ

古河節 リアルオーディオ


1MBもある為期間限定でアップします。

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