このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大正15年5月13日
横浜貿易新報
現在の神奈川新聞

乗心地よい神中鉄道

きのふから開業
初乗り印象

微雨に煙る青葉の杜、
咲競ふ菜の畑,
汽車は本県中部の平野をひたはしりに走る。
横浜駅で連絡自動車に乗遅れた記者は
小型自動車を飛ぽして
きっとT型フォード
12日から開通の神中鉄道
二俣川発4時半の列車に幸ふじて間に合った。
これに乗り遅れると、次の6時55分発まで2時間25分も待つことになる。

単線四両の列車が黒煙を上げて魔の様に走って行くのを
村の子供や大供が驚異の眼を見張って
オッタマゲてゐる清景は
明治5年京浜間に汽車が開通Lた当時
チョソ髭連が「陸蒸気! 陸蒸気!」と物珍らしがったのに
似てゐるのも滑稽だ。
50年以上の時を経てもリアクションは同じ
とはいへ乗心地のよい汽車である。
殊に厚木まで沿道9哩7分には未知の旧跡が少くない。
当時はキロでは無く「哩(マイル)」だった(1マイル≒1.6km)


二俣川駅には南三町に秩父庄司 畠山重忠 戦死の跡,
屏風ケ淵の 逆矢竹 ,
ニツ橋駅には 乳出神 の清水,初茸山,
瀬谷駅には横浜水道貯水池,
やまと駅には鴨猟好適地相模ケ原, 山田伊賀守経光の城跡 ,
大塚駅には香雲梅園紫胡の原,
国分駅には国分寺旧蹟日本武尊腰かけの石,
起点の厚木駅には相模川鮎漁地 那須与市の墓などがある。

汽車が駅に到着する度毎に堵を作った子供が万歳を叫ぶ。
垣根のように並んだ子供
金筋新しい駅長が右往左往する。
田園紳士が植木を携帯して乗らうとして叱られる。
列車の内外で互に大きな声で名を呼合ふ。イヤ大変な騒ぎだ。

5時15分厚木駅に着,
駅長さんは嬉しげに
「此の10日に許可があったので何の準備等もなく開業しましたが
祝賀会等も全線開通の時まで延期したわけです。
何しろ本県の中部を横断する最初の鉄道ですから
物資の集散には非常な便益を与え
沿道の町村は発展するでせう。
又関東唯一の霊場大山阿夫利神杜に参詣するに便利ですから
参詣時期には大衆が押寄せるだらうと想像して居ります。
近く二俣川駅と横浜の未完成軌道の完成と共に
最大能力が発揮される事になります」と語る。

帰りの汽車を待つ記者の耳目には
「汽車賃を負けろ」と駅員と談判してゐる不思議な会話や
大きい男が子供の切符 改札口通行不可能の珍劇などが飛び込んだ。
イヤ大変な騒ぎだ。

尚ほ同鉄道は12,13の2日間,賃金の2割引を行ひ
又厚木町相模橋通りに大アーチを建て
終日煙火を打揚げて景気を付げた。



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