このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

1・冷泉の由来

 

『畑の沢鉱泉(たまご湯)』のルーツは、一関市千厩町小梨・畑の沢地区にある海田茂さん所有の泉(畑の沢鉱泉・通称たまご湯)に昔から伝わる慣わしに始まります。

 

昔からこの地区では、お正月をはじめ、盆行事、土用の丑の日、家の慶事などの際に、この泉から水を汲み、風呂を沸かすという風習がありました。明治20年代末、海田茂さんの曽祖父にあたる海田嘉平氏の時代に、このあたりの草地を開墾した際に、1つの岩窟だけから常時異様な奇水が湧き出るようになり、人々はその水を見ては驚いたということです。海田さん宅に伝わる古文書によれば、その後、茨城県からこの地に煙草の耕作指導に訪れた鈴木直治郎氏が「この冷泉を沸かして入浴すれば万病に効く」ということを地元の人に伝え、これがきっかけとなり明治33年に湯屋組合が設立され、湯屋が営まれるようになったということです。

 

2・プロジェクトのきっかけ

 

それから約100年の月日が流れた平成11年、この土地の第10区自治会長をしていた遠藤孝志さんは、就任当初から「地域のみんなが楽しめる新しい地域づくり」を模索しておりました。

たまたまこの年、遠藤さんのお孫さんが小学校に入学するので、遠藤さんは古くからの慣わしになぞらえて、例の海田茂さん所有の泉から水を汲んで風呂を沸かしたところ、お孫さんは「温泉のにおいがする」と大喜びし、風呂に入った後も「体がポカポカして気持ちいい」と感想を述べ、大変満足されたそうです。喜ぶ孫の姿を見た遠藤さんは、「鉱泉が地域起こしの起爆剤になるのでは?」と考え、さっそく地域の方々に声をかけてプロジェクトを開始しました。

 

3・鉱泉水の配達

 

平成11年秋、手始めに300L入りのタンクを軽トラックに積んで、地区内での鉱泉水の配達をしたところ、地区内の人々から「口コミ」で噂が広まり、他の地区、町内・郡内(当時)と配達先は広がりをみせ、果ては一関市(当時)や宮城県気仙沼市までの配達となり、全ての需要に対応しきれなくなるほど盛況になっていきました。そのため、湯場(温泉)建設の気運が盛り上がっていきました。

 

4・一致団結・ついに完成!

 

平成13年秋、気仙沼市の猪股利夫さんよりプレハブ住宅や付属する建物をもらい受けることになり、自治会員延べ70名で解体輸送作業を行い、いよいよ本格的な湯場建設のための第一歩を踏み出しました。湯場の建設場所については海田富子さん所有の桑畑跡地を借りることとなり、2週間かけて整地しました。

平成14年3月、湯場の「休憩所」をはじめ「浴槽小屋」「物置」等の復元建築が行われ、自治会員50名が丸3日かけて建築工事に協力しました。またボイラーや5500L入りの貯水タンクなどは、地区内外の方々が使わなくなったものを寄付してくれました。

温泉開設に必要な機材が一通りそろった平成13年9月から温泉開設のためのノウハウや運営の仕方を学ぶために、同じような泉質(冷泉)を持つ秋田市にある『大滝山温泉・神の湯』や宮城県気仙沼市八瀬地区にある『早稲谷温泉』(同年12月)などで視察研修を行いボイラーの機械的な設置方法などを研修しました。さらに平成15年9月には福島県北塩原村にある『地域起こしグループ檜原塾』の運営する温泉を視察研修しました。地域起こしの先駆者達の活動は、何よりもそのやる気が地域起こしとなっており、地域の人々を楽しくさせていたのです。自治会員達にとっては、まさに『目からうろこ』であり一同、感心したり感動したりしながら帰って来ました。

平成15年11月、これらの成果を得て入浴施設の建設(貯水タンク・ボイラーの設置・風呂場をはじめ付帯設備の設置)工事が始まりました。工事は遠藤会長をはじめ、建築業を営む自治会員や建築技術や土木技術の知識と技能を持っている会員が経験と知恵を絞りながら話し合いをし、工事を進めました。

 

こうして、設計図のない誰もが初挑戦のプロジェクトでしたが、翌平成16年2月末、ついにたまご湯は完成しました。完成の日には地域の方々にお披露目し、風呂に入りながらこれからの地域づくりについて話し合いました。

 

5・思わぬ反響・新たな課題

 

こうして平成16年3月1日より区内の人々に解放されましたが、千厩町報や岩手日日新聞に畑の沢鉱泉が紹介されると「口コミ」で町内外から大勢の利用者が訪れるようになり、気がつけば区外の人々の利用が区内の人々の利用を上回る勢いとなりました。

当初、地域起こしという観点から地区内の人々が利用できるように共同浴場として建設したたまご湯でしたが、規模や設備面で区外の方々から注文が出るようになり新たな対策を迫られることになりました。まず、トイレについては簡易トイレ1棟であったものを新たに簡易トイレ3棟を設置しました。鉱泉利用時間については、農繁期になると一時期休業せざるをえない方向でしたが、区外の人々のことを考えるとさすがにそうもいかず、はじめは遠藤会長の奥さんをはじめ数人の当番制としましたが、それにも限界があるとのことで、区内の老人クラブ(天寿会)の会員に当番をお願いすることが決まり区外の人にも対応できるようにしました。区外からの思わぬ需要が、結果的にはお年寄の社会参画という機会を与える良い例ともなりました。同年11月には保健所の指導のもと「公衆浴場」としての許可が下り、レジオネラ菌なども検出されず、安心して利用していただけるようになりました。また、勾配がきつかった温泉までの道路も大幅に改良しました。

 

遠藤会長をはじめ、一関市千厩町・小梨第10区自治会の人々のプロジェクトはこうして実を結び、この年の末になると各方面からの取材や、視察が多くなりました。当時テレビ岩手では特集「湯気のむこうに」で紹介されました。

 

6・これからの「畑の沢鉱泉」

 

畑の沢鉱泉は、区内の人々の憩の場であって人々の絆を深めながら地域の将来を語る場を作ろうということでスタートしました。しかし、区外の人々の利用が多いことも考えると新たな模索を迫られている時期に来ているとも思われます。畑の沢鉱泉(たまご湯)の完成は、地域づくりのゴールではなく、スタートです。鉱泉の湯にひたりながら、家族と地域の絆を深め、新しい地域と家庭づくりを考える場にすべく活動を続けています。

畑の沢鉱泉 たまご湯 歴史

 

まず・・・素朴な疑問。どうして「たまご湯」って言うんだろう?

 浴場にたまごでも入っているのだろうか?違います。ここは鉱泉でお湯がゆで卵の匂いがします。このお湯に入ると、肌がつるつるします。そこから「たまご湯」の愛称が生まれました。

畑の沢鉱泉 たまご湯へ

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