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ブラチスラヴァ-02・城・雪・中央駅    (ブラチスラヴァ-・スロバキア)








ブラチスラヴァ-02・城・雪・中央駅   (ブラチスラヴァ-・スロバキア) 


ブラチスラヴァ城はスロバキアの首都ブラチスラバにある城でドナウ川を見下ろす高台に位置しています。城の4隅に塔が立っていることから「ひっくり返ったテーブル」の愛称で地元の人々に親しまれています。



ブラチスラヴァ城へ (2017 年 1月)
旧市街地からブラチスラヴァ城を目指します。すぐ目の前に見えますが実際に歩くとかなり迂回する必要があります。街並みも次第に普通の現代風に変化して行きます。



(写真:旧市街地から城へ-01)



(写真:旧市街地から城へ-02)



(写真:旧市街地から城へ-03)



(写真:旧市街地から城へ-04)



(写真:旧市街地から城へ-05)

現代的な住宅も見えます。



(写真:旧市街地から城へ-06)



(写真:旧市街地から城へ-07)

旧市街地の横を自動車専用道路が走っています、建設の際には多くの伝統的な建物が取り壊された事でしょう。歴史保全も大切ですが住民の為のインフラ確保も重要で両立させて行くのは難しい事だと思います。



(写真:旧市街地から城へ-08)

城壁の横を道路になっています。



(写真:旧市街地から城へ-09)

由緒ある聖マルティン教会のすぐ脇を自動車が行きます、大丈夫なのか多少心配になります。



(写真:旧市街地から城へ-10)



(写真:旧市街地から城へ-11)



(写真:旧市街地から城へ-12)



ブラチスラヴァ城 (2017 年 1月)
戦略的な要衝として、紀元前のケルト時代そしてローマ時代にここに砦が築かれてきたそうで、ドナウ川を見下ろす高台に位置いています。9世紀にモラヴィア王国の宮殿や教会が建てられ、ここにゴシック様式の城が築かれたのは10世紀頃のことなのだそうです。15世紀には当時のハンガリー王、シギスムンド王が後期ゴシックスタイルに改築、16世紀の中頃にブラチスラヴァがハンガリーの首都となると、王の居城となったブラチスラヴァ城も四翼を持つルネッサンス様式に改築されます。18世紀、女帝マリア・テレジアの時代に、ハプスブルク家の宮廷としてふさわしい姿とするため、さらに手を加えられ、黄金時代を迎えた。マリア・テレジアは、義理の息子であるアルベルト・テッシェンをハンガリー総督にしこの城を与えた。マリア・テレジア自身も居城として使用していた。19世紀、火事により荒廃、共産主義の時代1956~68年に再建され当時は茶色い外観だったようですが、2008年に始まった大規模な改修工事によって外壁が白く塗られ、現在の姿になったのだそうです。





これらの建物は博物館になっています。



(写真:現在は博物館)



(写真:宮殿-01)



(写真:宮殿-02)



(写真:宮殿-03)

モラヴィア王国は9世紀の後半、スヴァトプルク王のころ、現在のチェコとスロヴァキアを併せ、ポーランド南部、ドナウ川中流に版図を広げて有力になった。



(写真:モラヴィア王国スヴァトプルク王-01)



(写真:モラヴィア王国スヴァトプルク王-02)



(写真:宮殿-04)



(写真:宮殿-05)



(写真:宮殿-06)



(写真:宮殿の門)



ブラチスラヴァ城宮殿内部 (2017 年 1月)
内部は意外にガランとしていました。多くの戦乱で内部にあった調度品等は喪失したのかも知れません。点数は少ないですが興味深い展示物も多くありました。



(写真:内部-01)



(写真:内部-02)



(写真:内部-03)



(写真:内部-04)



(写真:内部-05)



(写真:内部-06)

マリア・テレジアと一家の絵ですね。



(写真:絵画-01)



(写真:絵画-02)

この城が舞台の戦いの絵です。数多くの戦争が行われて来たのでしょうね。



(写真:絵画-03)

この城の歴史が紹介されています。



(写真:城の歴史説明)



(写真:昔の絵葉書)

第二次世界大戦で城は荒廃したとあり、その時の写真がありました。無残な姿で言葉もありません。



(写真:第二次世界大戦後の荒廃した城)



ブラチスラヴァ城からの眺め (2017 年 1月)
高い場所に位置している城から街全体を眺める事が出来ます。

ドナウ川の下流方向です。ここから数キロは両岸ともスロバキア領です。



(写真:ドナウ川下流方向-01)



(写真:ドナウ川下流方向-02)



(写真:ドナウ川に架かる橋)

反対側にも市街地が広がっています、近代的な建造物が多くあります。



(写真:反対側の市街地)

少し上流側には市街地はありません。



(写真:反対側の様子-01)

少し遠くを見ますと風力発電の風車が見えます、多分もうこの辺りはオーストリア領なのでしょう。



(写真:反対側の様子-02)

市街地を見ますと結構起伏があります。綺麗でしっかりとした家が並んでいて、豊かさを感じます。



(写真:市街地-01)



(写真:市街地-02)



(写真:市街地-03)



(写真:市街地-04)

1563年から1830年までの間は、ブラチスラヴァはハンガリーの首都であり、この聖マルティン教会でハンガリー王の戴冠式が行われ、ここで即位したハンガリー王は11人だそうです。



(写真:聖マルティン教会-01)



(写真:聖マルティン教会-02)



(写真:市街地-05)



(写真:市街地-06)



土産物店並びに書店 (2017 年 1月)

土産物店に入ってみました。売りは「スロバキア」。観光客の多くは知名度の無いこの国を訪問した記念に買って行くのでしょう。「スロバキアに行って来た」「えっ、それどこ?」みたいな感じでしょうか。



(写真:土産物店-01)



(写真:土産物店-02)



(写真:土産物店-03)



(写真:土産物店-04)

書店にも入ってみました。結構大きな書店で本が並んでいます、奥には喫茶コーナーもあります。本のタイトルはよくは分かりませんがヒットラー、プーチン等の名前は理解出来ます、やはり歴史関係、政治関係の本が多いのでしょうね。スロバキア語で書かれたものなのか、それともチェコ語で書かれているのかは分かりませんでした。中に表紙に「猫の家」と書かれている本もありました。



(写真:書店-01)



(写真:書店-02)



(写真:書店-03)



(写真:書店-04)



雪の市街地 (2017 年 1月)
雪がそれも激しく降って来ました、あっという間に雪景色となりました。気温の表示を見ますと2度となっておりそれ程寒い訳ではないようです。



(写真:雪-01)



(写真:雪-02)



(写真:雪-03)



(写真:雪-04)

電車も予定の時刻から大分遅れてやって来ました。



(写真:雪-05)



(写真:雪-06)




雪の中央駅前 (2017 年 1月)
駅前も大雪です。



(写真:路面電車・中央駅前-01)



(写真:路面電車・中央駅前-02)



(写真:中央駅前-01)



(写真:中央駅前-02)



(写真:中央駅前-03)



(写真:中央駅前-04)



ブラチスラヴァ中央駅 (2017 年 1月)
ブラチスラヴァ駅はハンガリー中央鉄道ウィーン-ブダペスト間路線の一部として1848年に開通したウィーン-ブラチスラヴァ間の頭端式ターミナル駅として、シャンツォヴァー通りに開業したのだそうです。ウイーンから電車で一時間、到着しますとかなり雰囲気が違うので驚きます。一言で言えば田舎です。




(写真:ブラチスラヴァ中央駅-01)



(写真:ブラチスラヴァ中央駅-02)

切符売場も昔ながらのスタイルですね。



(写真:ブラチスラヴァ中央駅-03)



(写真:ブラチスラヴァ中央駅-04)



(写真:ブラチスラヴァ中央駅-05)



(写真:ブラチスラヴァ中央駅-06)



(写真:ブラチスラヴァ中央駅-07)



(写真:ブラチスラヴァ中央駅-08)



(写真:ブラチスラヴァ中央駅-09)

出発時刻が表示されています。ウイーン行きの他、プラハ行き、ブダペスト行きなどあります。



(写真:ブラチスラヴァ中央駅-10)



ブラチスラヴァからウイーンへ (2017 年 1月)
雪が降り続く中ウイーンに向かいます。



(写真:ブラチスラヴァ中央駅プラットフォーム-01)



(写真:ブラチスラヴァ中央駅プラットフォーム-02)



(写真:ブラチスラヴァ中央駅プラットフォーム-03)



(写真:車内の様子-01)

しっかりとこのようなスペースを取っています。



(写真:車内の様子-02)

一時間少々でウイーン中央駅に到着しました。



(写真:ウイーン中央駅に到着-01)

折り返しブラチスラヴァ行きとなります。



(写真:ウイーン中央駅に到着-02)




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