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《北海道自転車旅行*2000年8月》
かなり長めのエピローグ(網走〜東京*輪行旅)



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     網走

 網走の宿で迎えた朝。なんとなく慌ただしい気分で、6時半過ぎには自転車で走りだす。
 今日から愛車は分解・袋詰めして、東京まで列車での遥かな旅である。しかし、自転車以外にもテントや荷台に取り付けたサイドバッグなど大きな荷物があって、全部担いでは列車に乗れない(乗れたとしても、乗りたくない)ので、不要なものはすべて宅配便で東京へ送ってしまおう。
 というわけで、まずは網走駅前のローソンでサイドバッグやテントなど大荷物を発送。料金は合計2,760円であった。初めての北海道ツーリング以来使い続けてきたロールマット(4年前に釧路でカラスにつつかれた嘴の痕が残っている)は残念ながらここでお別れ。不燃ごみにする。

 さて、最初に乗る列車は10時発の釧網本線の快速「しれとこ」。まだ時間はだいぶあるので、身軽になった自転車で再び街に出た。
 コンビニでサンドイッチやヨーグルト、コーヒーを買って、網走港に近い浜辺で朝食。今日のオホーツク海は非常に波が荒く、カモメも強風で吹き飛ばされるように舞っていた。

(波の荒い網走の海岸)

(網走刑務所)

 それから網走刑務所にも行って、駅に戻り、自転車の分解作業にかかる。輪行は4年前に新潟県の直江津から上野までやって以来で、これがまだ2度目である。ここで気がついた。輪行の邪魔になる荷台とスタンドをはずして宅配の荷物に入れるのを忘れていた。スタンドはリュックに収まったが、荷台は安物だし、結局、捨ててしまった。あとは前後輪をはずして、フレームをはさんで束ね、専用の袋に入れるだけ。作業そのものはさほど難しくないが、不慣れで手際が悪いので、15分くらいはかかった。
 これであとは列車に乗るばかり。切符は窓口で「青春18きっぷ」(11,500円)を購入。東京までずっと各駅停車で行こうというのである。正常な人ならやらないだろう。4年前の輪行では自転車の車内持ち込みに乗車券のほかに260円必要だったが、今は無料になっている。

     釧網本線

 背中にリュックを背負い、工具類を入れたフロントバッグを腰につけ、自転車(約11キロ)の入った輪行袋を右肩から提げて、改札を通り、橋を渡って3番線で待つ2両編成の釧路行きディーゼルカーに乗り込んだ。
 自転車は最後部のデッキに立て掛け、鍵付きワイヤーで固定しておく。この列車はワンマン運転で、途中駅の乗降は運転席のすぐ後ろのドアしか使わないので、ここなら誰の迷惑にもならないだろう。輪行では何よりもほかの乗客の邪魔にならないように、という点に一番気を遣う。

 (網走駅)

 定刻10時。快速「しれとこ」はエンジンを唸らせて動き出し、グングン加速していく。市街地を高架で抜け、トンネルをくぐり、やがて荒波が押し寄せるオホーツク海岸に出た。
 昨日の午後、雨と風の中を走ってきた区間を今日は晴天の下、列車に揺られている。昨日までは自力で走っていたのに、今は自分自身が荷物となって運ばれているみたいで、なんだかもどかしい。車窓に流れる風景と自分との間の一体感はもはや失われ、すぐそこにある大地がもはや手の届かないもののように感じられる。北浜駅を過ぎて、涛沸湖畔の国道を行く自転車旅行者を追い抜いた時には今すぐにでも列車を降りて、また愛車に跨がりたくなった。

(きのう走った道。また愛車で走りたくなる。浜小清水〜止別間)

(オホーツク海に沿って…。止別〜知床斜里間)

 自転車とは全然違う列車のスピード感に気持ちがまだ馴染まないうちに、浜小清水、止別、知床斜里と停車していく。雨の中で2度もパンクしたり、斜里の駅前で雨宿りしたのが、昨日のことなのに、もう遠い昔のことのようだ。

(知床斜里で16分停車)

(4日前に自転車で立ち寄った清里町駅で網走行きと行き違い)

 オホーツク海に別れを告げ、南へ向かう列車は今回の旅の記憶を遡るように中斜里、清里町、札弦に停車し、緑を過ぎると峠を越えて、噴煙を上げる硫黄山が見えれば川湯温泉。5日前に立ち寄った摩周駅も過ぎて、標茶からは釧路湿原を見ながら走り、終点・釧路には13時16分に着いた。網走から169.1キロを3時間余り。自転車でも頑張れば1日で走れるかな、と考える。

     釧路

 釧路では少し時間があるので、自転車を入れた袋は駅前に残して街に出た。
 今日の釧路はいつもの霧も出ておらず、カラリと晴れ上がって、少し暑い。こんな夏空に輝く釧路の街は初めてだ。
 和商市場で買い物をして、それから駅に近い定食屋に顔を出す。過去に何度か食事をしたことのあるお店である。
「あら…」
 2年ぶりなのに、おばちゃんは顔を覚えていてくれた。今日はおばちゃんもノースリーブ姿である。
 美味しいサンマのピリ辛煮定食を注文する。前回、釧路に来るロシア人が増えたので、ロシア語の勉強を始めると言っていたので、あれはどうなりましたか、と尋ねたら、
「そこに貼ってあるわよ」
 と背後の壁を指さす。ロシア語の単語をカタカナで書いた紙がペタペタと貼ってあった。でも、最近は港に上陸するロシア人がめっきり減ってしまったそうだ。今年は有珠山の噴火のせいか観光客の数も減少し、バイクや自転車で回っている旅行者も少ないという。
 この店に来ると、食事が終わってもコーヒーを入れてもらったりして、つい長居をしてしまうのだけれど、今日はあまり時間がない。
 最近、おばちゃんは愛用の三輪自転車を20万円もする電動式に買い替えたといい、それを見せてもらい、「また来ます」と言って、駅に戻った。

     帯広

 釧路からは15時05分発の根室本線上り普通列車に乗り、海辺の湿原や原野、丘陵地帯に大平原などを走りぬけ、現代的な高架駅の帯広に18時03分に着いた。今日はここまでにする。

太平洋に沿って根室本線を行く 上厚内で特急と行き違い

帯広駅 駅前で自転車を組み立て、夕暮れの街を走りだし、駅の市街案内地図に広告を出していた安いビジネスホテルに投宿。
 それからまた街に出た。北海道は何度も旅したのに帯広は初めてで、ほとんど知識がない。知っていることといえば、豚丼が有名ということぐらいか。2年前に十勝川河口の大津の食堂で食べたが、そこのおばちゃんの話では帯広駅前に有名な店があるとのことだった。「ぱんちょう」という店で、今日も行列ができていて、しかも午後7時でオーダーストップになってしまった。ずいぶん早いが、7時になると駅前もすでに深夜みたいな雰囲気なのである。
 仕方なく、ほかの店を探すと、南大門という焼肉屋があり、そこに豚丼があった。店の壁に志村けんのサイン色紙が飾ってあった(立松和平はなかった)。駅の売店で列車時刻表を買ってホテルに戻る。今日の走行距離は17.1キロ。


     石勝線

 翌朝(8月13日、日曜日)は6時前にホテルを出発。コンビニで朝食用の買い物をして、帯広駅の軒下で野宿している若い旅人たちを横目にまた自転車を分解。改札口で「青春18きっぷ」に2日目の日付スタンプを押してもらい、6時59分発の滝川行きに乗車。

(朝の帯広駅。左の普通列車に乗車)

(新得駅)

 十勝平野を西に走って、新得に7時56分着。ここからは石勝線で札幌へ向かうが、新得から新夕張まで89.4キロの区間は特急列車しかない。「青春18きっぷ」は普通列車専用で、たとえ特急券や急行券を買っても特急・急行は利用できない規則だが、この区間だけは例外で、特急に乗れる。特急券も要らない。
 というわけで、8時21分発の札幌行き特急「とかち4号」(帯広始発)に乗車。列車は発車すると右に左に雄大なカーブを繰り返しながら高度を上げ、新狩勝トンネルに突入。闇の中で根室本線から分岐して石勝線に入った。

 石勝線は1981年に開通した日高山脈を東西にぶち抜く山岳路線である。ほとんど無人の山間部を行くので、駅も少ないが、全線が単線なので列車行き違いのための施設(信号場)はたくさんある。そのポイント部分は冬季の積雪に備えてすべてシェルターで覆われている。
 新得から30分以上走って、ようやく次の駅が現われた。トマムである。バブル経済の時代にリゾート地として開発された土地で、高層ホテルなどが見えるが、ほとんど人の姿がない。まさにバブル時代の夢の跡みたいな風景であった。

(トマム駅)

 トマムの次は15分走って、占冠に停車。ここを自転車で通ったのは数えてみると12日前のことだ。あの日は北海道各地で観測史上最高の暑さを記録した猛暑の日だった。

 占冠の次は20分ほどで新夕張である。この区間は長大なトンネルの闇と豊かな山の緑が交互に続き、人家はまったくない。しかし、カラマツや白樺の林の中に道が続いていて、あんな道を自転車で走りたいなぁ、と思う。ヒグマが出そうで、ちょっと怖いけど…。

     夕張

 9時35分に新夕張到着。ここで降りねばならない。新夕張は石勝線開通までは紅葉山駅といい、往時の駅名標が駅前に保存されていた。この駅からは夕張へ支線が出ていて、一度も乗ったことがない。用がないから乗らなかったわけで、今日も夕張には用はないが、せっかくだから行ってみよう。もともと用もないのにあちこちほっつき歩くのが旅というものだ。それに新夕張から札幌方面に進みたくても、次の普通列車は13時09分までなく、その列車は夕張始発なのである。

(新夕張駅で夕張行きの単行ディーゼルカーに乗り換える)

 ということで、10時10分発の夕張行きディーゼルカーに乗り込んだ。
 新幹線のように立派な石勝線の高架橋(単線だけど)を右に見送り、左へカーブすると、途端にひなびたローカル線の雰囲気になった。1両きりの列車はオオハンゴン草の黄色い花が咲く中をのんびり走る。石炭産業が栄えた昔はこの沿線も人口が多く、車内は賑やかだったに違いないが、今はすっかり閑散としている。
 途中の清水沢で昔ながらのタブレット(通票)交換があり、10時37分に終点に着いた。これが夕張駅かと拍子ぬけするほどちっぽけな駅である。往年の夕張駅は石炭積み出しのための貨物列車がひしめく大規模な駅だったはずだが、現在は昔の終点よりも2キロ以上手前で線路が切断され、そこに短いプラットホームを添えただけの駅がつくられている。市街からはかなり離れた不便な場所で、まるで街の再開発の邪魔もの扱いである。

(簡素な夕張駅)

 その簡素な夕張駅に自転車を担いで降り立ち、さてどうするか。いま乗ってきた列車は8分後に折り返すが、これは新夕張止まりで、再び11時50分にこの夕張駅に戻ってきた後、改めて12時13分発で千歳へ向かう。それまで1時間半ほど時間がある。ここで自転車を組み立てて、少し走ってみようかとも思ったが、面倒なので、自転車は駅前に残したまま、あてもなく歩き出す。

 現在の夕張市はメロン栽培や観光で活性化を図っているが、駅周辺にはそうした活気もなく、わずかに近くのお寺だけが墓参の人々でいくらか賑わっていた。炭鉱の閉山で夕張を離れた人々がお盆で先祖の供養のために故郷に戻ってきた、そんなところだろうか。もちろん、みんなクルマで、鉄道を利用する人なんて皆無に近い。

     札幌へ

 セイコーマートで買った弁当を公園で食べて、12時13分発の乗客となる。
 新夕張で30分も停車してから、石勝線を西へ向かい、追分で室蘭本線と交差して、さらに西へ進んで千歳線と合流する南千歳で下車。14時10分着。去年、大雨の中、自転車でこの駅の前を通過したのを思い出す。
 南千歳はかつての千歳空港駅である。新千歳空港の開港で、空港アクセス駅としての地位を失い、現在の駅名に改称された。ここから新千歳空港駅まで支線が出ていて、初めて乗ってみた。
 14時22分発に乗り、すぐ地下にもぐって、4分後に新千歳空港駅に着き、14時33分発の小樽行き快速「エアポート」で折り返して、札幌へ。721系という新型電車で、車内デザインが斬新でカラフル。まるでヨーロッパの電車みたいだ。東京と比べても札幌は洗練されていて、オシャレだなぁ、と感心することが多い。

     札幌

 札幌には15時09分に着いた。ほとんど無人の山中を行く石勝線や寂れた夕張を経てきただけに、ものすごい大都会に感じられる。
 札幌駅は高架になってからは初めてで、重い荷物を担いだ身にはエスカレーターがありがたい。
 ここからは夜行列車で函館へ向かう予定。時間はたっぷりあるので、荷物はコインロッカーに預け、駅前で自転車を組み立てて、軽快に走りだす。まるで札幌市民になったみたいで、気分がいい。でも、こんな大都会に来ると、どこへ行ったらいいのか分からず、途方にくれたりもする。

 (時計台と旧北海道庁)

 二条市場や大通公園、すすき野などをあてもなく走り回り、タワーレコードや書店など回るうちに夕方になった。レンガ建築の旧北海道庁や観光客の集まる時計台などにも寄って、札幌駅に戻る。街なかの気温表示によれば、18時半で26度。

 ところで、今後の東京までの旅程。札幌から夜行快速で明朝函館に着き、青函トンネルを抜けて本州へ渡り、青森からは日本海側を南下して、新潟県の村上で新宿行きの夜行快速「ムーンライトえちご」に乗り継ぎ、東京には明後日(15日)の朝到着という心づもりだった。ただし、「ムーンライトえちご」は全車指定席なので、今から指定券が取れるかどうかが問題で、札幌駅で尋ねたら、すでに完売とのこと。これで計画はいったん白紙に戻ってしまった。まぁ、明日函館に着いてから考えよう。

     快速「ミッドナイト」(札幌〜函館)

 札幌駅の地下街で夕食を済ませ、再び自転車を分解し、ロッカーの荷物も出して、21時頃からホームで並ぶ。函館行きの快速「ミッドナイト」は23時35分発だが、これもたぶん相当混むに違いない。まだ発車まで2時間半もあるが、すでにちらほらと人が集まり始めていた。自転車を収納した輪行袋もあちこちに見えるから同類がけっこういるようだ。恐らくほとんどが「青春18きっぷ」の利用者でもあるのだろう。「ミッドナイト」は通常2両編成だが、今日はさらに4両増結されるそうだ。
 帰宅を急ぐ人々を乗せた近郊電車に交じって、網走や稚内、釧路へ向かう夜行列車が次々と出ていくのを見送るうちに、函館行きを待つ人の列も長くなってきた。
 そして、いよいよ「ミッドナイト」が入線。国鉄時代の急行列車を彷彿とさせる古いディーゼルカー主体の懐かしい感じの編成だ。ドアが開くと、まず自分だけ乗り込んで、座席を確保し、あとから愛車を積み込み、デッキに立てかけ、倒れないように手すりに鍵付きワイヤーで括りつけておく。6両編成のせいか、車内は満席にはいくらか余裕のある乗車率だった。
 23時35分、定刻に発車。あとは眠ることに専念すればよいが、しばらくは車窓に流れる札幌近郊の夜景を眺めていた。

 日付が変わって8月14日、月曜日。快速「ミッドナイト」は途中、1時33分着の東室蘭で時間調整のために45分停車し、さらに3時30分着の長万部では61分も停車する。身体を伸ばしたくてホームに降りてみた。頭上には星空が広がり、天の川も見える。腹が減ったので、コンビニはないかと無人の改札口の外へ出てみたら、駅の待合室ではベンチや床で大勢の旅行者が寝袋にくるまって、足の踏み場もないほどだった。深夜の駅は完全にビンボー旅行者の無料宿泊所と化しているのだった。

(未明の長万部駅にて。デッキ内にちらりと僕の自転車が見える)

(長万部に61分停車中に東の空が明るくなる)

 近所にローソンがあったので、おにぎりなど買ってくる。駅に戻って、ホームに通じる跨線橋から東の空を見たら、いつしかピンクとオレンジに染まっていた。
 車掌室を訪れ、「青春18きっぷ」に3日目の日付スタンプを捺してもらい、4時31分に長万部発車。
 列車は夜明けの内浦湾(噴火湾)沿いを走り、森からは噴煙を上げる駒ケ岳の東側を回って大沼を過ぎ、函館には定刻通り6時30分に到着。

     江差線

 すぐに青森行きの列車に乗り継ぐことも考えたが、函館山を見たら、この街は無視できないと思い直す。もう何度も歩いた街ではあるが、札幌以上に自転車で走ってみたい街でもある。というわけで、瞬時に今後の予定がほぼ固まった。今日は一日函館見物にあて、深夜のフェリーで青森に渡り、明日は東北本線を一日かけて鈍行乗り継ぎで東京へ帰ろう。
 とにかく、夜まで函館に滞在できるが、街に出る前にちょっと日本海側の江差まで行ってこよう。江差線の木古内〜江差間は一度も乗ったことがない。乗らなくてもいいのだが、せっかく「青春18きっぷ」を持っているので、なるべく活用したい。

 7時ちょうどの江差行きディーゼルカーに自転車を持って乗車。2両編成のキハ40は次の五稜郭から江差線に入る。1988年の青函トンネル開通で、それまでの辺境ローカル線から一躍、栄えある津軽海峡線の一部に組み込まれた路線である。当然、電化され、線路も強化されているが、単線のままである。列車本数の増加には行き違い施設を増やすことで対応しているものの、本州と北海道を結ぶ鉄道輸送の動脈としてはいささか頼りない。

 とにかく、列車は津軽海峡沿いを走って1時間余りで木古内に着き、ここで1両切り離し。8時18分に発車。ここで津軽海峡線を左に見送り、非電化のかぼそい線路を江差へ向かう。この先42.1キロが初めての区間である。日本中の鉄道すべてに乗ろうなどという大それたことは考えてないが、JR北海道に関しては国鉄時代からずいぶん乗っていて、江差線を片づければ、あとは日高本線と留萌本線の留萌〜増毛間を残すだけになる。

(天ノ川沿いを走る)

 江差線の沿線にはここでもオオハンゴン草がたくさん咲いていたが、風景がどこか本州に似ているのは、北海道には自生しない杉が植林されているせいだろうか。アブラゼミやミンミンゼミの声も聞こえた。
 1両きりのディーゼルカーは木古内川に沿って山の中に分け入り、分水界のトンネルを抜けると、今度は天ノ川沿いに下り、平地が広がってくると上ノ国。ここからは日本海を左に見ながら走って9時25分に江差に着いた。

(江差駅)

 特に用はないので、10分後の列車ですぐに折り返す。帰りは木古内止まりで、そこからは青森始発の快速「海峡3号」に乗り継ぐ。電気機関車も客車も車体は『ドラえもん』の登場キャラクターのイラストでいっぱい。車内はほぼ満席で、ずっとデッキに立っていた。函館到着は11時47分。

(函館駅。はるばる大阪から来た特急「日本海」。左が「海峡3号」)


     函館

 さて、午後は函館の街を気の向くままに走り回ろう。夏の函館は初めてである。
 駅前で自転車を組み立て、当面不要な荷物はロッカーに預け、すっかり観光名所になった駅前市場で昼食をとり、街に出る。
 それにしても、函館はずいぶん変わった。港の古い倉庫街は観光スポットに様変わりし、元町付近の散歩道もきれいに整備された。ノスタルジックな港町、異国情緒…。そんなイメージの演出が過剰で、どこも大勢の人が集まり、賑わっていたけれど、僕は自転車で素通りするしかなかった。街がヨソ者に媚びを売り始めると、その街の魅力が薄れるような気がする。

 

 (立待岬)

 自転車の機動力を発揮して外人墓地や北方民族資料館、立待岬などぐるぐると走り回ったが、どの観光名所よりも、潮の香りが漂う函館漁港で雑種犬の相手をしたりして過ごした時間が一番心に残った。

 (駒ケ岳の見える函館漁港と港の犬)


     青函航路

 すっかり日が暮れて、回転寿司店で夕食の後、ロッカーの荷物を出して、駅から5キロほど離れた函館フェリーターミナルへ向かう。青函トンネルが開通し、連絡船が廃止された後も自動車航送の必要から津軽海峡には24時間体制でフェリーが運航されているのだ。
 20時前に着き、22時発の東日本フェリー青森行きの乗船手続きをする。2等運賃が1,420円で、自転車が710円の合計2,130円。21時15分頃から乗船開始。「びなす」という、わりと大きくて立派な船だった。
 車両甲板に愛車を残して、階上の船室に上がり、カーペット敷きの部屋に自分の寝場所を確保して、甲板に出てみる。函館の夜景が遠く瞬き、津軽海峡にはイカ釣り船の漁火がいくつも浮かんでいる。夜の船旅のしんみりとした気分が僕は好きである。とりわけ、出航時の船がゆっくり動き出し、港の常夜灯が次第に遠ざかっていくあの感じがいい。
 ところが、部屋に戻って寝転がって出航時刻を待っていたら、そのまま寝入ってしまい、気がついたら北海道はもう暗い海の彼方だった。

 (函館港の夜景と津軽海峡の漁火)



     青森

 8月15日、火曜日。午前1時40分に青森港に着岸。ターミナルビルの待合室のベンチでしばらく仮眠。
 4時10分頃、未明の道を東へ3キロ余りの青森駅へ向かう。駅に着くと、ちょうど上野発札幌行きの寝台特急「北斗星」が発車していくところだった。今まで北海道を思う存分に走り回ってきたというのに、これから北海道へ向かう人々を羨ましく思う。
 青森駅の岸壁に横づけされた旧青函連絡船「八甲田丸」を眺めたりするうちに、白々と夜が明けた。雲が多く、太陽のない朝だ。

(青森港に係留された青函連絡船・八甲田丸)

     青森から東京へ

 さて、今日は東北本線の鈍行乗り継ぎで帰るが、青森から6時03分発の始発に乗っても八戸から先の接続が極めて悪い。しかし、青森5時41分発の特急で野辺地まで行くと、野辺地発の普通列車に接続し、その先も大変スムーズに乗り継げる。それで青森〜野辺地間は乗車券と特急券(合計1,370円)を買って特急に乗ることにした。

(青森駅で発車を待つ大阪行き特急「白鳥」。左は札幌から来た急行「はまなす」)

(盛岡行き特急「はつかり2号」)

 北海道の主要各駅と同様に若い旅人がシュラフで寝ている青森駅の軒下で自転車を分解し、切符を買って、長い橋を渡って1番ホームへ行き、盛岡行き特急「はつかり2号」に乗車。自転車はデッキに置いておく。ここだと途中駅の乗降の邪魔になるが、次の停車駅で降りるから問題はないはず。座席で発車を待っていると、すぐに車掌が来た。
「あそこの自転車、お客さんの?」
「はい」
「あそこだと、ちょっとほかのお客さんの邪魔になるんだけど」
「次の野辺地で降りますから…」
「あ、そう。野辺地で降りるのね?」
 輪行はあまり混まない普通列車に限ったほうがいいかもしれない。それにしても、なんで自転車の持ち主が僕だとすぐに分かったのだろう。やっぱり異様に黒く日焼けした顔でバレたか。

 列車は曇り空の下を快走して、6時09分に野辺地着。改札口で「青春18きっぷ」に4日目の日付スタンプを捺してもらい、12分後の盛岡行き普通列車に乗り換える。ステンレス製の新型電車2両編成で、車内は都会と同じロングシート。まったく味気ない。ただ、車イス用のスペースがあって、自転車を置くには好都合。もちろん、車イスのお客さんがいなければ、だけど。

 電車は軽快に青森・岩手県境の峠を越えて、8時55分に盛岡到着。立ち食いそばの朝食後、9時08分発の一ノ関行きに乗り換え、一ノ関には10時36分着。次は10時48分発の仙台行き。ちなみに、あのまま「はつかり」で盛岡まで行って、新幹線に乗り継げば、10時48分には東京に着いているはずである。しかし、僕はまだ岩手県にいる。こんな風に鈍行ばかり乗り継いでいくのは珍しいのかと思ったら、ほかにも意外にいるようだ。若い人だけでなく、おばさん2人連れも野辺地からずっと一緒である。みんな「青春18きっぷ」組だろう。単に安上がりだからかもしれないが、速いばかりで何の面白みもない新幹線を避けて在来線で汽車旅気分を味わいたいという人もいるのではないか。といっても、ここまでロングシートの新型電車ばかりで、旅情のかけらも感じないが…。一ノ関から仙台までは混んでいて、僕はずっと立っていた。

 松島の風景を眺めて12時30分に仙台到着。ここでは45分の待ち時間があるので、昼食の買い物をして、13時15分発の常磐線いわき行きに乗り継ぐ。この先は東北線経由だと接続が悪いのだ。今度は6両編成で、座席もボックス席中心になり、いくらか旅の気分が出てきた。
 野辺地や盛岡あたりからずっと一緒だった人たちがこの列車に乗っているかどうかは不明。車内ははじめは混んでいたが、駅ごとに降りる一方で、やがてガラガラになった。朝は雲の多かった空も今は晴れ間が広がって、のどかな昼下がりだ。
 列車は黄金色の田んぼの中を走ったり、山に入ったり、海辺に出たりしながら、常磐線を南へ下り、いわきには15時51分に着いた。すでに青森を出発して10時間が経過している。
 16時09分発の上野行きに乗り換えれば、東京まではもうあと4時間だが、これでもマトモな人には長すぎる乗車時間かもしれない。多忙都市・東京へ向かって電車は夕暮れの中、少しずつ加速していく。


おわり      


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