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北海道自転車ツーリング 1999年夏
苫小牧〜ウトナイ湖〜千歳〜ハイジ牧場

 1999年夏の北海道ツーリングは東京から気温35度、炎天下の関東平野を茨城県の大洗まで150キロ走って1泊。翌朝、苫小牧行きのフェリーに乗船し、終日、夏空の下の航海。三陸沖で迎えた夜には満天の星が広がった。


雨の苫小牧港     雨の北海道上陸

 ブルーハイウェイライン大洗発苫小牧行き「さんふらわあえりも」の船上で迎える朝。
 4時に目覚めて、ほかの人たちを起こさぬように寝床を抜け出し、甲板に出る。
 海はまだ暗いままで、漁火も浮かんでいるが、すでに東の水平線には夜明けの一線が引かれ、淡いオレンジ色の光が闇を侵食し始めていた。本日の日の出は4時26分である。
 しかし、上空は陰鬱な雲がべったりと覆っている。まもなく雨粒が落ちてきた。もはや昨夜の満天の星はどこにもない。吹く風も冷たい。
 雨はたちまち本降りとなった。実はここ数日の北海道は大雨続きなのである。いつしか甲板は水浸しになっている。

 「さんふらわあえりも」の苫小牧港着岸は5時15分。それから車両デッキへの通路が開放され、船を下りたのは5時40分頃であった。
 夏の北海道へ来るのは3年連続であるが、いずれも上陸時は雨の中である。今回もずっと天気が悪いのかと思うと、暗然たる気分になる。とりあえずはターミナルビルに避難して、レインウェアを着込み、荷物をビニール袋でくるんだり、雨カバーを掛けたり、と防水態勢を整えたが、なかなか走り出す気にはならない。
 ほかの自転車連中もターミナルビルの軒先で雨宿りをしている。みんな今日は札幌方面へ向かうようだ。

 結局、雨が小降りになったのを機に苫小牧フェリーターミナルをあとに走り出した時には6時半になっていた。札幌へ向かうという青年と一緒である。僕はとりあえず岩見沢をめざそうと考えている。
 フェリーターミナルは苫小牧の市街からは東側にかなり離れた場所にあって、あたりには荒涼たる原野が広がっている。正確に言えば、工業用地として開発造成したものの、進出企業が少ないため、広大な空き地のまま放置されている、というのが実情のようだ。とにかく、殺風景なところである。
 同行の青年のペースに合わせて時速15キロぐらいで東へ4キロほど行くと、札幌方面と岩見沢方面の分岐点があった。
「じゃあ、またどこかで…」
 そこで彼と別れ、途端に時速25キロ程度にスピードアップ。岩見沢までは国道234号線で70キロほどである。
 まだ、北海道を走っているのだという感動は湧いてこない。

     ウトナイ湖

 
まず初めに訪れたいのは苫小牧市郊外のウトナイ湖。ラムサール条約(水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)の登録湿地で、バードサンクチュアリの湖として知られる。
 地図を見ると、札幌方面へ行く国道36号線沿いにあるので、234号線から左折し、JR室蘭本線の沼ノ端駅(苫小牧の隣駅)の東側の陸橋を渡って、36号線に出る。
 これをしばらく走ると、ウトナイ湖入口の案内板があった。いつのまにかフェリーターミナルから14キロ近くも走っているが、そんなに走ったという実感はない。
 いくつもの水溜りを避けながら、林間の砂利道を行き、駐車場らしき広場に自転車をとめる。すぐそばの梢で「チョチョビー」とセンダイムシクイが鳴いていた。この声は今春、筑波山や奥多摩でもよく耳にしたが、姿は初めて見た。しかも、手が届きそうなほどの至近距離。ウグイスによく似ている。北海道の自然にささやかな歓迎を受けた気がした。
ホザキシモツケの咲くウトナイ湖畔 早朝なので、ネイチャーセンターは開いておらず、くすんだ緑の草原に囲まれたウトナイ湖の岸辺にも人気はなかった。ウグイスやシジュウカラの声がするだけの全く静かな湖だが、時折、静寂を破って、新千歳空港を離陸した旅客機の巨体が上空を斜めに横切り、雨雲の中へと消えていく。
 陰気で寂しい湖畔にわずかな彩りを添えているピンクの花はホザキシモツケ。どうしてこんな難しい名前が分かるかというと、今回は植物図鑑を持参しているからである。もちろん、鳥類図鑑も最近のサイクリングでは欠かさず携行するようにしている。
 というわけで、何か珍しい鳥はいないかと双眼鏡を片手に周囲を見渡していると、遠い湖面に水鳥が1羽だけ浮かんでいる。姿と大きさからは白鳥のようにも見えるが、遠すぎて確かめようがない。白鳥だとすれば、何らかの理由で仲間と一緒に北へ帰れなかったのだろう。白鳥にも「孤独」という感情はあるのだろうか。鈍色の湖面に漂う小さな影を目で追いながら、そんなことを考えた。

     大雨の国道36号線

 ウトナイ湖をあとにしたのは8時15分。国道36号線を北へ向かう。当初は234号線を行くつもりだったが、予定変更で、まずは千歳市までこのルートを辿ろうと思う。
 しばらく止んでいた雨がまた降り出し、しかもどんどん強まり、たちまち叩きつけるような降り方になった。しかし、逃げ場は全くなく、びしょ濡れになりながら走るほかない。
 札幌と室蘭を結ぶ大幹線道路なので、交通量が多く、水煙に包まれた大型トラックが轟然と行き交っている。でも、自転車で走っている人間には全く会わない。
 人家も稀な勇払原野のただなか、路面に水の浮いた道路の左端を黙々と走っていると、猛スピードで走り過ぎるトラックに頭から水飛沫をぶっかけられたが、もとからズブ濡れなので、もはや腹も立たない。ひたすら無心で突っ走る。
 時間も距離も忘れて、ペダルを踏んでいると、右にJR千歳線の線路が寄り添ってきて、ちょうど新型の電車が通過していった。左側に広がっているのは新千歳空港の敷地のようである。あたりの景観が原野から文明的なものに変わってきた。
 まもなく南千歳駅(旧・千歳空港駅)の前を通過。都会が近づくにつれて、ふと我に返り、こんな土砂降りの中を自転車で走っていることの「異常さ」を自覚するようになってきた。同じフェリーでやってきた自転車の仲間たちは今頃どうしているのだろう。

     千歳

 札幌の衛星都市・千歳市街に入り、千歳線の高架下でようやく雨宿り。全身からポタポタと滴を垂らしながら、しばらくは放心状態であったが、自動販売機で缶ジュースを買って、ようやく人心地がついた。
 しばらくは走る気にもならず、20分ほど途方に暮れていたが、いくらか雨が弱まったので、高架の千歳駅へ移動。時計を見ると、9時45分になっていた。
 北海道首都圏ともいうべき都会の駅に大荷物を積んだ自転車で乗りつけるズブ濡れ男というのは相当奇妙な存在に違いないが、それでもやはり駅に着くとホッとする。
 駅前の温度計の電光表示は「21℃」。炎暑の関東地方に比べれば別天地だが、こんな天候ではちっとも嬉しくない。この気温で晴れてくれれば最高なのだが。
 また雨足が強くなってきた。駅のアナウンスが「大雨」による列車ダイヤの乱れを告げている。激しい雨がアスファルトの路面に弾けるのを眺めながら、もうどうにでもなれ、といった気分になってきた。
 とりあえず、駅に併設されたコンビニでお茶とおにぎりを買って遅い朝食をとっていると、輪行袋を抱えた青年が駅から出てきて、マウンテンバイクを組み立て始めた。同類がいたかと思うと親しみが湧く。
 彼は千歳在住で、2泊3日で富良野方面まで自転車で出かけ、旭川から電車で帰ってきたところだそうだ。同類かと思ったが、あとは家に帰るだけの彼と大雨の北海道に着いたばかりの僕とでは置かれている状況が全然違うのだった。

     千歳サケのふるさと館

 今日はもう走るのはやめて、この街で安宿を探そうか、などと思案していたが、1時間もすると雨足はだいぶ弱まってきたので、10時50分に再び走り出し、駅から1キロほどの「千歳サケのふるさと館」まで行く。
 入館料800円を払って、ほぼ同時に観光バスで到着した台湾人の団体に混じって見学。サケ科の魚類が群泳する巨大水槽や千歳市に属する支笏湖の魚たちを紹介する水槽、それにサケに関する展示コーナーなどがあるほか、最大の売り物として「千歳川水中観察室」というのがある。
 この部屋には高さ1メートル、幅2メートルの窓が7つ並び、そこから千歳川の水中を直接のぞける仕組みになっている。北海道随一の大河・石狩川の支流である千歳川は支笏湖を水源とする清流で、秋にはサケが溯上する川でもある。本来であれば、天然の水族館さながらに清らかな川の中の様子が観察できるはずだったが、今日は大雨のせいで増水し、濁流となっているため、透明度は限りなくゼロに近く、ほとんど何も見えなかった。

     道央国道337号線

 11時半に出発。幸いにも雨はすっかり上がって、一時は萎えかけていた走る意欲がムクムクと湧いてきた。
 ここからは改めて岩見沢方面へ向かうべく、道央国道337号線を行く。
 すぐに市街地を抜けて、北海道らしい緑豊かな風景に変わってくる。もうレインウェアを着る必要もなく、雨上がりの湿った風を感じながら走れるのが、なんとも心地よい。このまま天候が回復してくれれば、と願う。
 右手には丘陵がどこまでも連なっているが、左手には見渡すかぎりの平坦な田園地帯が広がっているから、今は石狩平野の縁を北へ走っているようである。
道央国道337号線 平凡な農村風景ではあるけれど、サイロのある牧草地やカラマツの防風林、赤や青のカラフルな屋根の民家など、関東平野とはだいぶ趣が異なり、北海道にいるんだなぁ、という気持ちがようやくじわじわと高まってはきた。
 空の全体を覆っていた雨雲の合間から青い色も少しずつ覗くようになってきた。もう雨の心配はなさそうだ。今夜はどこかで宿を探そうと考えていたが、この分ならキャンプができそうだ。いま走っているルート上にもキャンプ場はいくつかある。
 泉郷、信田温泉を経て、丘陵を越えると、千歳市から長沼町に入る。札幌市の東方に位置する農業の町で、北海道のブランド米「きらら397」の産地でもある。

     ハイジ牧場

 路肩の草むらで鳴くキリギリスの声を聞きながら、相変わらず右に丘陵が続き、左にはどこまでも緑の田畑が広がる中を行くと、「ハイジ牧場」の看板があった。どんなところか知らないが、この中にキャンプ場があることだけは分かっている。
 まだ正午を過ぎたばかりだが、牧場の中のキャンプ場というイメージに惹かれて、思わず「今日はここに泊まろう」という気になり、薄日がさす白樺並木の坂道を上っていった。
 受付の女の子に入場料込みのキャンプ代1,250円を払う。彼女によれば、ここも朝方は大雨だったそうだが、「天気予報で午後から晴れるって言ってましたよ」とのこと。
陰気で寂しいキャンプ場 教えられた通り、砂利まじりの急坂を自転車を押して上っていくと、やがてキャンプ場があった。背の高い木々に囲まれたオートキャンプ場で、すでにいくつかのテントが張ってあるのに、人の気配はまるでない。僕もテントを張る場所を探すが、雨上がりの土のサイトはジメジメしていて、できれば避けたいような場所ばかりだ。何よりも、とても陰気な雰囲気にこちらまで気が滅入ってくる。
 失敗だったかな、とすぐに感じた。「牧場の中でキャンプ」なんていう清々しいイメージとは全然違う。でも、もうお金を払ってしまったので、仕方がない。一番マシと思われるサイトにテントを張って、それから牧場の方へ散策に出かけた。空はまたどんよりと曇って、すっきり晴れる気配は見られない。

 ところで、そもそも「ハイジ牧場」とはどのような施設なのか。受付でもらったパンフレットによれば「世界の家畜の牧場動物園」ということで、100ヘクタールもの広大な土地に牛・馬・豚・羊属・鳥類など各品種、合わせて200品種、3,000頭羽が飼育展示されているそうだ。犬やウサギ、キツネはもちろん、ラマやエゾシカ、なぜかシロサイまでいる。
 牧場の名称は言うまでもなく『アルプスの少女』にちなんでいて、場内には「アルプスの牧場」や迷路「ハイジ砦」、喫茶トレイン「クララ号」、「ペーターの広場」、ミニSL「ヨーゼフ号」などがあり、ほかにもなぜかカナダの教会やアメリカ西部の開拓村があったり、アーチェリー、パークゴルフ、釣り堀、乗馬コーナー、開拓資料館、世界の昆虫標本館などが点在している。札幌駅からの直通バスもあるようだから、この付近ではそれなりに有名な観光スポットのはずだが、今日はあまりに閑散としている。午前中の大雨のせいだろうけれど、それにしてもこれではちょっと寂しすぎる。
 それでも、いくらか天候が回復してきたせいか、ちらほらと親子連れの姿を見かけるようにはなってきた。カップルに記念写真を頼まれたりもしたし、トラクターをSL風の外観に改造したミニSLも小さな客車にわずかなお客を乗せて土道を走り出した。
閑散としたハイジ牧場 カナダの教会 

 開店休業状態だった喫茶トレイン「クララ号」にも人影が見えたので、遅い昼食をとることにして、列車の食堂車みたいな店内でナポリタンとコーヒーを頼む。
 店のおばちゃんに今朝フェリーで苫小牧に着き、ここまで自転車で来たのだと話すと、
「やだぁ、ねぇ、ちょっと聞いた? このお兄さん、東京から自転車で来たんだって! もう考えただけでも疲れちゃうわ!」
 と大声でほかのお客(といっても、カップル1組だけだが)に言いふらした。心底呆れている様子である。
 そんなに驚くことはないのに、と思うが、北海道ではちょっとした外出にもクルマを使うのが当たり前で、徒歩や自転車なんて初めから移動手段の選択肢にない人が多い。そういう人にしてみれば、自転車旅行者なんていうのは想像を絶する珍人類に映るのかもしれない。それにしても驚きすぎだと思うが。
 このおばちゃんにも今後の天気のことを尋ねると、
「ホッケの太鼓で晴れるわよ」
 との答え。
「天気がよくなることをホッケの太鼓って言うんですか?」
「そうよ。ねぇ、ホッケの太鼓って言うわよねぇ?」
 地元の人らしいカップルにも同意を求めているが、彼らも「さぁ…、聞いたことないです」という返事だった。

 「ホッケの太鼓」についてあとで調べてみました。魚のホッケの皮でできた太鼓を想像していましたが、「法華の太鼓」が正しくて、日蓮宗の宗徒が叩く団扇太鼓の音の「だんだんよく鳴る」と「良くなる」をかけた一種の言葉遊びだそうです。「だんだんよくなる法華の太鼓で調子が上がってきた」というような使い方をするようです。

 その夕方、クララ号のおばちゃんに教えてもらった3キロ先の長沼温泉に出かけようとしたら、また雨が落ちてきたので(どこがホッケの太鼓なんだ…)、温泉は断念して、近くのセイコーマートで夕食用の買い物をしただけで帰る。
 結局、雨はすぐに止み、キャンプ場ではどこからか戻ってきた数家族がアウトドアクッキングを楽しんでいたが、僕は侘しく弁当を食べて、場内のコインシャワーで汗を流すと、早々に寝袋にもぐり込んだ。この上空が千歳空港への進入路になっているらしく、真上でジェット機の音がする。今日の走行距離は65.1キロ。



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