このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

北海道自転車旅行*2000年 夏

富良野から美瑛へ (麓郷〜美馬牛)

     布部駅

 富良野市麓郷のライダーハウスを6時過ぎに出発。
 さらさらと流れる布部川には川霧が立ち、清々しい朝だ。今のところは涼しいが、林の中では早くもエゾゼミがジーッと単調な声で鳴き始め、草むらからはキリギリスの声も聞こえる。
 布部までの11キロはずっと緩やかな下りだった。来る時は上り坂という感覚はあまりなかったけれど、道理でペダルが重かったわけだ。
 富良野市街へ向かう前に根室本線の布部駅に立ち寄る。緑色のトタン屋根の木造駅舎で、駅前の松の木の下には倉本聰氏の「北の国此地に始る」という自筆の碑があった。ドラマの記念すべき第1回目の冒頭は黒板五郎と純と蛍の父子3人がこの駅に降り立つシーンだったそうだ(僕は見た記憶がない)。

     昨日は富良野で40℃以上?!〜『北海道新聞』(2000年8月2日付)より

 7時10分に富良野駅前に着いた。駅の立ち食いそば屋で朝食を済ませ、売店で『北海道新聞』を買い、待合室のベンチで広げる。
「暑さ最高、道内各地で更新」
 これが一面トップの見出し。
「猛暑が続く道内は1日も午前中から気温が上昇、網走管内津別町では道内今夏最高で、道内観測史上でも4番目となる37.4度を記録した。道央やオホーツク海側を中心に各地で軒並み35度以上となり、道内9ヵ所で観測史上最高となった」
 この9ヵ所の中には富良野市も含まれていて、36.3度だったそうだ。最北端の宗谷岬ですら31.9度の暑さに見舞われたという。
 札幌市内では冷房の効いた地下街の人通りが大幅に増えたとか、「ずっと我慢していたけど、もう耐えられません」と扇風機を買った看護婦(27)の話とか、サル山のサルたちが涼を求めて池のぬるい水に飛び込んだとか、全道で日射病や熱射病の被害が続出したとか、プールは今夏最高の人出で賑わったとか、猛暑にまつわる話題が盛りだくさん。
 この暑さの原因は「例年になく北海道上空に大きく張り出した太平洋高気圧からの南風と、日本海側にある暖気から流れ込む熱風の二つの『熱源』が北海道を直撃している」ためだという。でも、今後は平年並みの気温に戻るらしい。
 富良野でも観測史上最高を記録したとあって、富良野地方面にも「超暑い36.3度」の大見出し。親近感を抱かせる記事もあった。
「この暑さに、涼しい北海道を期待してきた観光客もびっくり。苫小牧から旭川、札幌をめざして自転車ツーリング中の東北大学ボート部の大学生5人は、JR富良野駅前の噴水に飛び込んだ。朝、占冠の湯の沢温泉を出発し峠を越えてきた一行は『暑くてやってられない。こいでも前から熱風が来るんですから』と笑って、さらにこの日上富良野町・日の出公園を目指した」
 彼らはここまで僕とほぼ同じルートを辿っているらしく、彼らの気持ちは自分のことのようによく解かる。同じ記事によれば富良野市中心街のビルの大型温度計が町なかの反射熱なども加わって、午後0時20分ごろ「40.5度」を示したといい、「40度を超えたのは初めてみた」という地元の人の談話が載っていた。こんな記録的な日に居合わせて光栄です?!

 ついでに全国各地の昨日の気温をみると、東京34.5度、大阪33.5度、那覇25.2度!で、まさに日本で一番暑いのが北海道、という状況なのだが、驚くべき例外もあった。北海道の太平洋沿岸部である。苫小牧の最高気温は23.3度、浦河が23.2度、釧路は22.7度でしかないのだ。この地方は霧に包まれ、ろくに太陽も出なかったらしい。これだけの気候の違いというのは北海道外の人間にはなかなかピンと来ないが、北海道といっても広くて、地域差が激しいのだ。

ラベンダー園からの眺め     中富良野町

 昨日で開業百周年だったという富良野駅をスタートしたのは8時05分。市街地をあとに緑の田園風景の中へ出ていく。今日は富良野から美瑛にかけての美しい丘の風景の中を思う存分に走りたい。
 国道38号線から再び独立した237号線をしばらく走るが、国道ばかり走っていてもつまらないので、適当に脇道にも逸れてみる。
 このあたりはまだ平坦で水田が多いが、盆地を取り巻く丘陵には緑と茶色のパッチワークのような畑も見える。
 このルートは富良野と旭川を結ぶJR富良野線の線路が並行していて、この路線は2度乗ったことがあるが、いずれも雪の季節だったので、景色の印象はだいぶ違う。
 富良野市から中富良野町に入り、8時45分頃、中富良野駅前に着いた。ちょうど旭川発の列車が到着して、若い観光客の一団が降りてきたが、驚いたことに、聞こえてくるのは中国語ばかりだ。台湾人の学生グループらしい。
 駅の裏手には北星山という小高い丘があって、その斜面が町営のラベンダー園になっている。リフトで山頂の展望台へ登ってみたが、ラベンダーはすでに盛りを過ぎて、花もすっかり色褪せて見えた。しかも、上空にだんだん雲が多くなって、日が翳り、風景全体も冴えない。緑の田園の彼方に聳える十勝岳連峰も雲をかぶっている。

     ファーム富田

 さらに北へ走ると、ファーム富田という農園がある。ここはいわば「ラベンダー観光」発祥の地なのだそうだ。
 南仏プロヴァンス地方原産のラベンダーを日本で最初に本格栽培したのはプロヴァンスと同じ北緯43度にある富良野地方で、最盛期には150軒ほどの農家がラベンダーを栽培していたという。ところが、輸入品や合成香料に押されて次第に衰退し、その中で唯一、ラベンダー栽培を守り通したのがファーム富田なのだった。
 その後、昭和50年にここのラベンダー畑が国鉄のカレンダーで紹介され、それ以来、鮮やかな紫の花の丘に魅せられて訪れる人々も増え、今やラベンダーは富良野地方の重要な観光資源であり、初夏の風物詩にもなっているわけだ。
 そのファーム富田の駐車場には観光バスが並び、農場内は大勢の観光客で賑わっていた(ここでは花に魅せられた来訪者を「観光客」とは言わず、「花人」と呼ぶそうだ。ちょっと恥ずかしい)。皆さん、ややくすんだ紫色のラベンダー畑のまわりで写真を撮ったり、ラベンダーソフトクリームを食べたり…。ここでもやはり中国語が飛び交っている。どうやら富良野は今や台湾や香港からの観光客(じゃなくて、花人か…)がこぞってやってくる場所になっているらしかった。
 僕もオレンジ色の果肉のカットメロンを味わい、ラベンダー味のかき氷を食べて…と、どう見ても花人というより観光客の振る舞いに終始して、再び走り出す。そういえば、国道237号線にもこのあたりでは「花人街道」の愛称がついている。



     上富良野町

 中富良野町の北には上富良野町がある。今回の旅で初めて知ったが、富良野地方は南富良野町、富良野市も含め、行政上は4つの自治体に分かれているのだった。よそ者の勝手な思いつきだけれど、ひとつにまとめた方が色々と効率的な気がするのだが。
 とにかく、陸上自衛隊の駐屯地がある上富良野町の中心集落に着くと、商店街でささやかな夏祭りをやっていて、地元の子どもたちが集まっていた。

     深山峠

 上富良野からは国道を行く。
 水田の広がる富良野盆地もついに尽きて、ここから峠越えである。深山峠というが、それほど高くはなさそうだ。いつしか陽射しが戻って、暑くなってきた。
 何台もの観光バスに抜かれながら辿り着いた峠の頂上付近に食堂があり、ちょうど正午を過ぎたので、昼食にする。ラーメン定食を注文。北海道に来てから麺類ばかり食べている。偏った食事で、ちょっと考えなくてはいけない。
 この店も冷房はないが、開け放った窓からいい風が入って、汗でべとつく肌に心地よい。今日も暑いけれど、昨日よりはだいぶ凌ぎやすい。

 深山峠にはほかにも展望台やレストラン、トリックアート美術館、ラベンダー畑などがあり、どこも観光客で賑わっていた。僕もその中に混じって、売店でスイカ(1切れ300円)を買う。皮は黒く、果肉は真っ赤。シャキッとして、とても美味い。夏の自転車旅行は暑さのせいか、欲望を制御する力が極度に低下して、暴飲暴食になりがちだ。特にこういう観光地は誘惑が多くて困る。

(深山峠にて)

 さて、深山峠からは多くの人々を惹きつけてやまない丘の風景が本格的に展開する。もう平地はなく、激しく起伏する丘がどこまでも連なり、その大部分がパッチワークのような農地になっている。大規模な開発の成果なのだが、これだけの景観を前にすると、さすがに感動する。

 


     美馬牛

 上富良野町と美瑛町の境界付近で国道から右に逸れて、丘をひとつ越えると美馬牛(びばうし)の集落に着いた。
 富良野線の美馬牛駅に立ち寄る。赤い屋根の小さな駅舎で、クリスマスみたいなリースが飾ってある。13時18分に富良野行きの列車がやってきた。「富良野・美瑛ノロッコ号」といって、丘の風景のイラストが入った草色のディーゼル機関車がこげ茶色のトロッコ型客車2両を牽いている。これが美瑛と富良野の間を往復しているようで、さっきもファーム富田の近くを走っているのを見かけた。
 
 午後の残りの時間はこの美馬牛のあたりで気ままに丘の道を走り回ろう。美瑛町南部のこの一帯も雄大な丘の風景が見られるそうだ。
 今夜の宿泊地は未定だが、美馬牛駅周辺には民宿もあるし、どこかでテントを張ってもいい。
 とにかく、集落をあとに緩やかな坂を上っていくと、思わず心の中で「うわあーっ」と叫びたくなる風景が広がった。

  

  

 幾重にも重なり合う雄大な丘、丘、丘。そのたおやかな曲線美とは対照的に、彼方には噴煙を上げる十勝岳(2,077m)を主峰とする山々がギザギザの稜線を描いている。
 あちこちに、車を停めて写真を撮っている人がいる。どちらを見ても、絵になる風景ばかり。ここでは誰もが気分は写真家になってしまうのだ。
 丘の上には美瑛町立の美馬牛小学校。ヨーロッパの教会みたいなトンガリ屋根の塔のある校舎が洒落ていて、しかも、あたりの風景に違和感なく溶け込んでいる。

 葉祥明さんの描くメルヘンチックな風景画の世界に迷い込んだ気分で、自転車旅行の喜びを心ゆくまで味わって、やがて、拓真館の前に出た。

     拓真館

 美瑛の丘の風景を世に知らしめた写真家の故前田真三氏のギャラリーが拓真館である。前田氏以降、美瑛の丘を撮る写真家が続々と現われ、この一帯にはそうした人たちのフォトギャラリーがあちこちにあるが、やはりここは別格で、観光バスも必ず立ち寄る場所であるようだ。

拓真館 入館無料の館内は人が多かったけれど、そのわりに落ち着いた雰囲気なのはやはり作品のもつ力のせいだろう。ここには日本中の風景を撮り歩いた前田氏の写真の中でも特に美瑛を舞台にした作品が集められているが、1枚1枚の画面の中に詩情があり、音楽がある。それが見る者の心を静かにさせるのだ。
 普通の人なら見逃してしまうような、さりげない風景の中にも美を見出し、カメラでとらえる力量はさすがというほかない。
 展示作品の中には自分がたったいま自転車で走りながら目にしたばかりの風景もあったけれど、同じ風景といっても、それは自然が奏でる永遠の変奏曲のようなもので、季節や天候、時刻、光線や雲の按配などによって印象が全然違ってくる。もちろん、そこに構図の取り方や使用レンズの選択といった技術的な要素も加わるわけで、風景写真というのは実に奥が深いのだ。

 (吹く風はラベンダーの香り)

 窓から吹き込むやさしい風が庭園のラベンダーの香りを運んでくる。それを思い切り吸い込んで、いい気持ちで拓真館をあとにした。

 (丘の道をのんびりとサイクリング)

     民宿びばうし

 その後も丘の道をさまよってから美馬牛集落に戻り、結局、今日は駅に近い民宿「びばうし」に泊まる。この付近一帯にはヨーロッパ風のおしゃれなペンションがあちこちにあるが、ここはごく普通の民宿。男女別相部屋の宿で、1泊2食付き4,500円。部屋の壁はなぜか内装工事を途中で止めたみたいにベニヤ板が剥き出しで、そこに宿泊者の落書きがいっぱい。ここにも中国語が氾濫している。
 とにかく、家庭的な雰囲気の宿で、16時に着くと、ちょうど風呂がわいたところで、さっそく汗を流し、旅に出て初めて髭を剃る。それからTシャツなどを洗濯。心身ともにさっぱりした。
 18時からの夕食に集まったのは男性が関西の2人組と僕の3人だけで、女性は3人組と4人組の計7人。女性はみんな中国語を話している。僕の正面に座っていた3人組に「台湾からですか?」と聞いてみたら「香港」という答えが返ってきた。彼女たちと別のグループとの間にはまるで会話がなかったから、4人組は台湾からだろうか。

美馬牛の夕暮れ美馬牛小学校 夕食後は自転車に乗って近所まで夕涼みに出かける。
「キョロン、キョロン、ツリリ」
 林の奥からアカハラの澄んだ声が聞こえる。
 夕空を背景に美馬牛小学校の塔にカメラを向けているのが数人いたのは、どうやら前田真三氏の有名な作品と同じ場所、同じ構図でシャッターチャンスを狙っているらしかったが、今日は西の空に重苦しい雲があって、美しい夕映えは見られそうにない(右の写真は別アングルから)。

 帰り道、散歩している香港の3人連れに会い、この辺にLavender fieldはないかと聞かれる。ラベンダーは心当たりがなかったので、代わりにピンクのリアトリスが一面に咲いている場所を教えてあげた。
 本日の走行距離は80.8キロ。明日はもう一日、この土地に滞在して、美瑛町内をあちこち走り回るつもり。
 


  戻る    前へ    美瑛の丘めぐりに出かける    トップページへ  

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください