このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 初夏の西伊豆ツーリング  2009年5月9日

戸田港を望む出逢い岬にて

 
静岡県の沼津から西伊豆の海岸をたどり、大瀬崎、戸田(へだ)を訪れた後、戸田峠を越えて、修善寺へ抜ける海と山の絶景ルート。


    トップページ     自転車の旅Index  


 4日間続いた雨がようやく上がった5月9日、朝6時前に家を出て、愛車とともに小田急線に乗り込み、小田原で東海道線に乗り継いで、8時20分過ぎに静岡県の沼津駅に着いた。
 駅前で自転車を組み立て、8時半過ぎにスタート。沼津には4年前にも来ていて、その時は伊豆半島の西北端の大瀬崎まで往復した。駿河湾の対岸に富士山が浮かぶ絶景ロードに感動し、またあの道を走りたくなったわけだが、今回はもう少し足を延ばしてみようと考えている。

 沼津駅前から南へ走り、沼津漁港の入口で左折して、狩野川にかかる港大橋を渡る。左手(北側)に富士山がドーンと見える(右写真)。もっとも、富士山はすでに小田急線内からずっと見えていたわけだが、これだけ近くから眺めると、やはり格別だ。ただ、この先、もっと素晴らしい眺めが待っているので、感動するのはまだ早い。

 国道414号線に入って、さらに南下。この道は車道の幅が狭いくせに交通量が多く、大型車も頻繁に通るので、自転車には走りにくい。縁石で仕切られた歩道もほとんど側溝の蓋の上という状態なので、あまり走りたくはない。次々と追い抜いて行く車にとっても、自転車は邪魔な存在に違いないが、そもそも一般道というのは自動車専用ではないのだから仕方がない。

 御用邸記念公園前を過ぎ、大久保の鼻という岬を回って東へ向かい、自転車の走る余地の少ないトンネルを2つ抜けたところで狩野川の放水路にかかる口野橋を渡る。
 ここで内陸の伊豆長岡方面に向かう国道と分かれて右折、県道17号線に入る。途端に交通量が少なくなり、快適に走れるようになった。しかも、駿河湾の最奥部にあたる江浦湾に沿って南に向かう道で、気持のよいシーサイド・サイクリング!

 本土とロープウェイで結ばれた緑のピラミッドのような淡島を過ぎると、内浦湾。このあたりから、海の彼方に白く輝く峰々が姿を現わした。南アルプスだ。続いて、富士山も見えてくる。ここからはずっと絶景の連続で、何度も何度も自転車を停めて写真を撮る。自転車の素晴らしいところは、いつでもどこでも好きな時に停まれること。こんな道をノンストップで走り抜けてしまうなんてもったいなさすぎる。

 
   (海の彼方に見える南アルプス、淡島、富士山)

 水族館のある三津シーパラダイス前を過ぎ、トンネルを抜けると、内浦湾に沿って針路は徐々に西に変わっていく。
 内浦湾の西側に突き出た長井崎の基部を貫くトンネルを抜けたところに前回はスカンジナビア号という客船が係留されていたはず。それが今日は見当たらないので、あとで調べてみた。
 スカンジナビア号は1927年にスウェーデンで建造された豪華客船で、旧名を「ステラポラリス」(北極星)といった。40年以上にわたって世界の海を旅した後、現役を引退、西武系列の伊豆箱根鉄道が購入し、1970年からこの地(沼津市西浦木負)に係留され、フローティング・ホテル&レストランとして親しまれていたそうだ。しかし、利用者の減少などで1999年にホテルの営業を取りやめ、前回、僕が通った2005年3月21日の時点ではレストランのみの営業となっており、その10日後の2005年3月末日をもってレストランも閉鎖となったとのこと。
 その後、再度の売却先をめぐって紆余曲折があり、地元・沼津での保存を求める運動もあったものの、結局、船は中国・上海で改修工事を行った後、故郷のスウェーデンに里帰りして、ストックホルムで再び海上ホテルとして“第三の人生”を送ることが決まったのだった。
 2006年8月31日、36年間を過ごした沼津での盛大なセレモニーとともに地元の人々に見送られ、スカンジナビア号はタグボートに曳かれて旅立っていった。ところが、この後、思いもよらぬ悲劇が待っていた。建造から80年近い老朽船に外洋航海は厳しすぎたのか、9月1日深夜から激しい浸水が始まり、船体が傾き始め、2日未明、和歌山県の潮岬沖3キロの地点で呆気なく沈没してしまったのだ。
 その後、引き揚げも検討されたそうだが、船体が折れる恐れがあり、船は今もそのまま、水深72メートルの海底に眠っているという。こんな出来事があったとは知らなかった。

 さて、この先は大瀬崎まで伊豆半島の北縁の海岸線を忠実になぞるように道は続く。
 沼津市の西浦という地区で、重須、木負(きしょう)、久連(くづら)、平沢、立保、古宇、足保、久料、江梨といった集落が点在している。緑豊かな岬を回ると、のどかな漁村が現れる、という繰り返し。
 小さな漁港のある村々には昔ながらの火の見櫓があったり、古い道標が残っていたり、石仏が道行く人々を見守っていたり…。伊豆だから蜜柑畑もある。なんだか谷内六郎さんが描いた世界に迷い込んだような気分になる。

 (古い道標と火の見櫓)

 左手には新緑の山々。若葉が萌える常緑樹が主体で、落葉樹の新緑とはちょっと色合いが違うのも温暖な伊豆らしい。そんな山々からはシジュウカラやメジロやウグイスやヒヨドリの声が盛んに聞こえ、上空をトンビが旋回している。至るところでアオスジアゲハやクロアゲハがひらひらと舞っている。のどかだなぁ。こんな道を自転車で走るのは本当にしあわせだ。

 

 波静かな海に沿って、きついと感じるような坂もほとんどないまま、坦々と走り続けると、ようやく上り坂になってきた。崖から染み出た水で濡れた路面を飛沫を上げながら過ぎ、緑のトンネルをくぐり、少しずつ高度を上げていくと、やがて、眼下に大瀬崎が見えてきた。伊豆半島の西北端にひょろりと伸びた砂州である。
 前回は岬を見渡す絶好の撮影ポイントがあったのだが、今回はそこが有刺鉄線で厳重に封鎖され、立ち入れないようになっていた。撮影に夢中になって崖から転落する人でもいたのだろうか。それとも、今後、正式に展望台として整備する予定があるのだろうか?

(大瀬崎が見えてきた。前回はもっとよく見えるポイントがあったのだが…)

 とにかく、岬へ通じる脇道に入って、こんなに下るんだっけ、と思うほど急激に下ると、大瀬崎に着いた。沼津駅から29キロ。時刻は10時半。
 ここは絶好のダイビング・スポットになっているようで、普通の観光客よりも圧倒的にダイバーが多い。
 端午の節句は過ぎたのに、たくさんの鯉のぼりが泳ぐ浜辺を岬の先端へと歩く。

(5月5日は過ぎたけれど…)

 大瀬崎は一説によると、白鳳13(684)年に発生した大地震により海底が隆起してできた島(琵琶島と呼ばれた)が、その後、潮流の影響で形成された砂州により陸繋島となったものだといい、その長さはおよそ1キロ。岬の先端部は神域となっていて、平安時代の延喜式神名帳にも記されたという古社・大瀬神社(引手力命神社)があり、海の守護神として古くから駿河湾の漁民の信仰を集めてきたそうだ。
 受付で100円を払い、小高い丘に鎮座する神社にお参りをして、散策路を歩くと、ほどなく「神池」が見えてくる(右写真)。海に突き出た細長い砂州の真ん中に湧き出す淡水池ということで、「伊豆の七不思議」のひとつに数えられている。
 観光客が投げる餌に群がる鯉を眺めて、さらに進む。鬱蒼とした樹林の中には奇怪な姿をした針葉樹、ビャクシンが数多く自生しており、昭和7年に天然記念物に指定されている。その数は130本余り、なかでも御神木とされる巨木は樹齢千年以上だそうだ。

 (御神木のビャクシンと灯台)

 室町時代にこの地を支配した水軍の武将・鈴木氏の館跡だという遺構も残る樹林帯を抜けると、岬の先端で、外海に面して伊豆大瀬埼灯台が聳え、駿河湾の彼方に富士山と前衛の愛鷹山、そして南アルプスが連なっている。海上には漁船やヨットが浮かんでいる。



 ハマダイコンの咲く海岸を散策して、自転車のもとに戻った。

 大瀬崎を11時20分に出発。急坂を上って県道に復帰。ここからは伊豆半島の西海岸を南へ下っていく。といっても、この先は地形が険しく、海辺の道というよりは山道ばかりである。
 今日はこの後、戸田(へだ)まで行って、そこから内陸に入り、戸田峠を越えて修善寺方面へ抜けようと思っている。戸田峠については下調べを全然していないので、予備知識がほとんどなく、標高すら知らないのだが、まぁ、なんとかなるだろうと楽観的に考えている。

 最初から曲がりくねった急な上り坂でグングン高度を上げていくと、まもなく眼下に大瀬崎の全景が広がった。写真を撮っている間に単独で走っているロードバイクの女性に抜かれる。「こんにちは」と挨拶して、すぐあとから僕も走り出すが、全然ついていけない。まぁ、のんびり行こう。

(大瀬崎と富士山)

 ゆっくりと上っていくと、まもなく長さ406メートルの井田トンネルが見えてくる。入口手前に右に分かれていく崖っぷちの旧道があるが、もはや通行不能状態で、封鎖されている。
 それにしても、今日はすっかり初夏の陽気で暑い。予報でも25度以上になるといっていた。もう汗だくなので、タオルで顔の汗をぬぐい、一息入れてから、トンネルに突入。かつては、ここが沼津市と戸田村の境界だったが、合併により2005年4月からは戸田村も沼津市の一部となっている。

 
   (井田トンネル手前で一休み。崖下の海)


 井田トンネルを抜けると、今度は急な下りとなる。実は前回はここまで来て、沼津に引き返したのだった。でも、今日は迷わずに下っていく。どんどん加速していくが、急カーブも多いし、後続車も来るので、気を抜く暇はない。しかも、この先にはまた上りが待っているのだ。
 少し下ると、眼下に井田の集落が見えた。山と海に囲まれた谷間に水田が広がり、今の世にまだこんな美しい村があったのか、と驚くような眺めである。

(眼下に井田集落が見えてきた)

 さらに下ると、その井田集落へ通じる道が右に分かれていくが、体力を温存するために、ここは寄り道しない。谷を一気に流れ下る渓流を渡って、県道は海岸レベルまで下りきることなく、再び上りに転じる。
 まもなく、井田を南側から見下ろす高台に「煌めきの丘」という展望台があった。遠く富士山が聳え、海と山があって、水田が広がる、「これぞ日本!」というべき、出来過ぎなぐらいの風景。冬から春にかけては田んぼが一面の菜の花で黄色く染まるというし、恐らく、井田は観光客に見られることを意識した村なのだろうけれど、それはこの土地に暮らす人たちの郷土への愛着と誇りの反映でもあるはず。やはり感動する。

 (煌めきの丘より)

 展望台の下には古墳時代末期の横穴式石室を持つ円墳が集まった井田松江古墳群がある。それだけ古い時代からここに人が住んでいたという証拠である。さらに下には明神池(右写真)がひっそりと水面を広げていて、そこまで散策路が通じているが、上から眺めただけで出発。



 眼下に海を見下ろす山の中をアップダウンの繰り返しで行くと、今度は「出逢い岬」の駐車場。バイク・ツーリングの一団やクルマで来た観光客がたくさんいる。自転車は僕だけ。
 ここからは南側に戸田の集落が一望できた。大瀬崎にそっくりな御浜岬に囲まれた天然の良港。規模はこちらの方が大きく、家並みも立派。もちろん、北方には富士山がバッチリ望まれるし、駿河湾の対岸の御前崎方面までず〜っと見渡せる。西伊豆は本当にどこも景色が素晴らしい。やっぱり、海の向こうに富士山が見えるだけで、そこらの海岸風景とは全然違ってしまうのだから、やはり富士山の存在感というのはスゴイ。

(戸田の全景。写真の合成がうまくいってないけど…)

 特に出逢いもないまま「出逢い岬」をあとにして、戸田へ向かってビュンビュン下っていくと、今度は「夕映えの丘」というのがあった。西伊豆は夕陽の名所でもあるのだ。今日は日帰りだけど、いつかこのあたりに泊って、美しい夕景を眺めるというのも、いいな、と思う。

(夕映えの丘)

 さて、戸田に着いた。けっこう立派な町で、沼津港と結ぶ船便もあるらしい。通り沿いには旅館や民宿、食堂などが並んでいる。駿河湾の深海に棲む世界最大のカニ、タカアシガニを商う店が目立つ。かなり高価なようだけど…。また、港のそばには温泉の足湯もあった。
 海辺の道に自転車を止めて写真を撮り、すぐ下の海中をのぞくと、コバルトブルーの小さな魚が群れをなしている。熱帯魚らしい。

 (戸田の海には熱帯魚がいっぱい)

 御浜岬の先端付近まで自転車で行って、一帯を歩いて散策。外海に面して戸田灯台が立ち、林の中には造船郷土資料博物館諸口神社がある。でも、何よりも素晴らしいのはやはり風景。富士山というのはシンプルな形なのに、どうして見飽きるということがないのだろうか、と思う。

 

 さて、これから山越えだ。御浜岬から戸田港の彼方に聳える山々を眺めると、けっこうな高さである。あの山を越えなければいけないのか…。予想していたよりも大変かもしれない、という気がしてきた。

(これからあの山を越えるのだ!)


 戸田をあとにしたのは14時頃。ここからは県道18号線を行く。港を背にして伊豆半島の内陸部へ向かってまっすぐ伸びる道である。
 まもなく「戸田峠10km」の標識があった。10キロの上りというと、北海道の川湯から摩周湖展望台までがそのぐらいだったな、あそこは標高差が500メートルちょっとだったかな、などと過去の経験からこの先の大変さ加減を予想してみる。山梨県の塩山から上る柳沢峠は19キロで標高差も1,000メートル以上だったが、これも何度か越えているので、そういう経験も心理的にはいくらかの力にはなる。今日は地図も持参しておらず、戸田峠の標高が何メートルなのか分からないが、1,000メートルもあるわけがない。まぁ、去年の5月に越えた丹沢のヤビツ峠ぐらいを想像していれば大丈夫じゃなかろうか。
 とにかく、サイクル・コンピュータに表示されたここまでの走行距離が54キロなので、この数字が64キロになったところが峠のはずである。

(最初の3キロは緩やかだったけど…)

 戸田大川に沿ってまっすぐ上る最初の3キロほどは勾配も緩やかで、さほど苦しくはなかった。ただし、陽射しを遮るものが何もなく、とにかく暑い。たちまち汗だくになる。敵は坂道よりも陽射しと暑さかもしれない。
 3キロ付近で左にカーブして川を渡ると山の中に入り、勾配も急になった。早くも大幅にスピードダウン。暑さのせいで体力も精神力も急激に消耗してしまった感じだ。「もうあと7キロだ」と気楽に考えていたのが、たちまち「まだ7キロもあるのかぁ」に変わってきた。なんだか気が遠くなるようだ。しかし、引き返したところで、戸田は海と山に囲まれた土地。逃げ場はないのだ。
 やがて、左下に棚田が見えたが、気持ちは動かない。あとでそれが「日本の棚田百選」にも選ばれていると知ったが、写真も撮らなかった。

 だんだん休憩の間隔が短くなってきた。走る合間に休むというより、休んでいる合間にちょっとだけ進むという感じだ。とにかく陽射しから逃れたくて、木陰があるたびに欠かさず休憩。次の木陰まで50メートルでもそれがきつい。
 ためしに自転車を降りて、押しながら歩いてみる。やっぱりこっちの方がラクなんだなぁ、と再確認できたが、次々と通るクルマやバイクや路線バスからの視線を考えると、それもなんだか情けない。乗っていても休んでばかりで、情けないのは同じだが、やはり自転車に乗ったまま行こう。一番軽いギアにして、ハンドルをふらつかせつつ、道路際の側溝に落ちないように注意して、のろのろと進む。
 休むたびにボトルの水が欲しくなり、ちょっとずつ口に含んでいたら、たちまち残り少なくなってきた。命の水、大切にしなければ…。でも、飲みたい!

 やがて、小さな沢があった(右写真)。山林の中に自転車を止め、また休憩。沢の水を手ですくってジャブジャブと顔を洗う。タオルも濡らす。奥に滝があるらしいが、そこまで行く気はしない。
 少し休むと、ちょっとだけ生き返った。でも、その効果も長続きはしない。



 大切にしなければ、と思いつつも、水はどんどん減っていき、もうすぐ無くなりそうになったところで、道路際の崖から清水が湧き出ていた。そこにコップが置いてあるということは飲んでも大丈夫ということだろう。これぞ神の恵み。パイプから流れ出る水を手で受けて顔を洗い、頭にかけ、喉を潤す。ボトルもいったん空にしてから水を満たす。

(神の恵み!)

 とりあえず水は手に入ったけれど、それで楽になるわけでもない。むしろ、坂は上れば上るほど勾配がきつくなってくるようだ。そもそも戸田から上り始めて以来、自転車にはまったく会わない。沼津から戸田までの海岸ルートでは何度もサイクリストと行き違ったのに…。この峠道を自転車で走るのは無謀だったのか?

 途中で沼津市の西浦方面に抜ける道を左に分岐し、相変わらず、少し進んでは休み、また少し動いては停まる、を繰り返す。前方の山腹の高いところに白いガードレールが見える。しかも、かなりの急勾配だ。まだあんなに上るのかぁ…。もう気持ちが切れそうになる。

(まだあんなに上るのかぁ…)

 今まできつい峠道でどんなに辛い思いをしても、自転車での山越えなんてもうコリゴリだ、と思うことは全然なかったのだが、今日はちょっとそんな気持ちになりかけている。実は今年こそ富士山五合目まで自転車で上ってみようか、という野望を抱いているのだが、その気持ちも急速に萎んでいく(次回のツーリング・レポートが富士山五合目になりますかどうか)。

 振り返ると、はるか眼下に駿河湾が逆光に霞んでいる。ずいぶん上ってきた。でも、感動するほどの余裕はない。

(彼方に駿河湾が霞んでいる)

 やがて、「瞽女(ごぜ)展望地」というのがあった。「瞽女」とは三味線を弾きながら、歌をうたう盲目の女旅芸人のことで、昔、戸田峠を越えようとした瞽女が大雪に見舞われ、遭難して亡くなったのを憐れんだ地元の人々がその冥福を祈って観音像を建てたのがこの場所だそうだ。整備された現代の道でもこんなに大変なのに、盲目の女性が今よりずっと険しかったであろう山道をしかも雪の中登ってくるというのは一体どれほどの苦難であったろうかと思う。
 その展望台からは戸田港が一望できた。それが実際の距離以上に遠く感じられた。

(瞽女展望地より戸田港を望む)

「チャリですか?」
 展望台から愛車のもとに戻る途中でバイクのライダーから声をかけられる。
「もう暑くて死にそうです」
 彼は川崎からだそうで、僕と同じように沼津から大瀬崎、戸田を回ってきたという。
「峠、もうすぐですかね?」
「もうすぐだと思いますよ」
 もっとも自転車とバイクでは「もうすぐ」の基準が全然違うのだけど…。

 再び走り出し、さらなる急坂を上る。今のライダーがあとから来るはずなので、あまりカッコ悪い姿は見せられないな、と思う。そろそろ戸田から10キロになる。もうすぐ峠が見えてくるはずだ。
 まもなく、バイクの彼が片手をあげて追い抜いていき、たちまちカーブの向こうに見えなくなった。

 ついに戸田峠に着いた。時刻は15時55分。10キロなら1時間もあれば到達できるかと思っていたが、2時間近くもかかってしまった。
 「霧香峠」の標石がある。これは戸田峠の別名で、「むこう峠」と読むらしい。標高の表示は見当たらなかったので、あとで調べたら730メートルとのことだった。

(戸田峠)

 峠を越えると、西伊豆スカイラインを右に見送り、ここからは伊豆市(旧修善寺町)に入って、あとはもうひたすら下るだけだ。
 ぐんぐん加速していくと、すぐに「だるま山高原レストハウス」というのがあった。達磨山(982m)は戸田峠の南側に聳える、この付近の最高峰で、この一帯を「だるま山高原」というらしい。
 レストハウスの展望台に立つと、北側の大パノラマが広がった。沼津市街から淡島など今朝走った海岸線がずっと見渡せる。彼方には箱根連山、そして、すっかり霞んでしまった富士山。ここからの夜景はきれいだろうなと思う。

(だるま山高原からの展望。画面左奥に富士山)

   だるま山高原ライブカメラ


 再び走り出して、あとは修善寺までひたすら下る。スピードが出すぎないようにブレーキをかけ通しで、けっこう疲れる。それでも、路面に表示された40キロの制限速度を超えるスピードで下っていたから、車に抜かれるはずはないのだが、実際には次々と追い抜かれるのだった。

 狩野川を渡って伊豆箱根鉄道修善寺駅前に着いたのは16時25分。戸田峠から13キロ、沼津駅をスタートして76キロだった。
 本当は三島あたりまで走るつもりだったのだが、今日はここまでにして、電車を乗り継いで帰る。


     トップページ     自転車の旅Index

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください