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 三浦半島一周 1997年5月5日

 ゴールデンウィーク最終日、自転車で三浦半島へ出かける。
 5時05分出発。朝靄の多摩川に沿って走り、川崎駅前を6時に通過。鶴見あたりで小雨が降り出すが、気にせずに15号線を南下。すぐに止む。
 6時半に横浜駅前を過ぎ、16号線に入って、横須賀通過は8時05分頃。まもなく東京湾が左に広がり、釣り人が増え、8時半に着いた観音崎で初めて休憩。ここまで65キロほど。
 曇り空を映す浦賀水道は鉛色で冴えないが、早くも行楽客や釣り人が多い。ハマダイコンの群落が薄紫色の小さな花をたくさん咲かせる浜辺で、持参のおにぎりとバナナの朝食。

 9時に観音崎を出発。
 東京湾とは思えない、のどかで美しい海辺を道なりに行けば、やがて浦賀。そこから丘陵を越えると久里浜
 ペリー上陸記念碑のある公園や東京湾フェリーの乗り場を過ぎると、あとは砂浜海岸が延々と続く。すでに国道134号線は行楽のクルマで渋滞しているが、自転車は渋滞とは無縁でスイスイ走る。次第に青空が広がって、ペダルも心も軽い。
 三浦海岸の交差点で国道と別れ、県道を行く。金田の漁港を過ぎると、三浦台地への急な上り。ここは少しきついが、なんとか乗り切り、スイカ畑の中を進むと、剣崎への入口。初めての岬で、今回の目的地でもある。

 10時40分、剣崎到着。ここまで91キロ。
 すっかり晴れ渡った明るい青空を背景に草色の岬に宇宙ロケットみたいな白亜の灯台が聳えている。ここは観音崎灯台のような内部見学はできないが、なかなか風情があって、気に入った。ちなみに、この灯台と対岸の房総半島にある洲崎灯台を結ぶラインの内側が東京湾になるそうだ。
 断崖の下からは潮騒が聞こえ、あたりでウグイスも盛んにさえずっている。姿を探したら、意外に簡単に見つかった。
 とにかく、灯台を眺める。白い壁に埋め込まれたプレートには初点灯日が日英両語で併記されている。
「ILLUMINATED 1st MARCH 1871 明治四年辛未正月十一日初点」
 英語と日本語で日付が違うのは、当時の日本がまだ旧暦だったせいである。当時の石造りの灯台は関東大震災で倒壊し、現在のものは大正14年7月に再建された八角形のコンクリート造り。高さは地上から頂部まで16.9メートル、海面から灯火までは41.1メートルとのこと。灯質は「群閃白緑互光」といって、16.5秒を隔てて7秒間に白2閃光、さらに16.5秒隔てて緑1閃光と書いてある。昨年(1996年)、九州旅行の帰りのフェリーで未明の日本海を航行中に目にした灯台(たぶん出雲の日御埼灯台)も白と赤の光を交互に発しているように見えた。この剣崎灯台についても一度夜間に確かめてみたいものである。

 灯台下の海岸に下りると、岩場で日帰りキャンプを楽しむ家族連れなどで賑わっている。昨今のアウトドアブームのせいで、今はどこの海辺でもこうした光景が目につく。
 肉厚で光沢のある丸みを帯びた葉っぱが特徴のハマヒルガオが淡いピンクの花をあちこちで咲かせ、潮だまりではウミウシがたくさん蠢いている。小学生の男の子が「アメフラシだ」と言っているから、そういう種類なのだろう。黄色いラーメン状のものが卵塊らしい。
 こういう場所はいつまでいても飽きないけれど、先を急ごう。

 剣崎を11時半に出発して急坂を下ると江奈湾に面した松輪集落。とてものどかな感じの海で、湾の奥は干潟になっている。こういう景観も今ではかなり貴重なものに違いない。
 三浦半島の先端付近は複雑なリアス式海岸になっていて、小さな湾を過ぎるとまた台地へ上るといった具合に起伏が激しい。脚力がないので、かなりきつい。
 途中、毘沙門天の慈雲寺に立ち寄ったりして、ようやく三崎の街にさしかかる。

 遠洋マグロの水揚げで有名な三崎港を跨ぐ城ヶ島大橋の上でちょうど走行距離が100キロになり、半島最先端の城ヶ島には12時半に着いた。
 土産物屋や磯料理の店が並ぶ路地を抜けると、城ヶ島灯台で、三浦市が立てた説明板がある。

 「城ヶ島灯台の歴史は古く、慶安元年(1648)、当時三崎奉行であった安部次郎兵衛が徳川幕府の命によって航行する船のために島の東端安房崎に烽火台を設けたのが始まりで、延宝6年(1678)にこれを廃して島の西端に灯明台を設けました。
 その後享保6年(1721)に代官河原清兵衛がふたたびかがり火に代えましたが、この火光については晴夜光達約八里と伝えられ、燃料費は浦賀入港の船舶から徴収したと言われています。
 このかがり火による灯台は明治3年8月12日夜まで続きましたが、以後フランス人技師の設計増築による新灯台に代わりました。
 この新灯台は横須賀市の観音崎灯台に次ぐわが国二番目の白色光の洋式灯台で、関東大震災(1923年)で損壊しましたが、大正15年に改築、現在の灯台は『灯質閃白光15秒に1閃光、燭光数40万カンデラ、光達距離2万8700メートル、灯器・電灯750ワット、灯高・地上から頂11.5メートル、平均海面上29.4メートル』で、今日まで城ヶ島沖を航行する船人の心の灯となっています」


 食堂で昼食をとって、13時過ぎには城ヶ島を出発。
 今度は三浦半島西海岸を鎌倉まで北上していく。三浦半島は南部の方が標高が高いので、帰りは基本的に下りが多い。
 国道134号線を快調に飛ばし、横須賀市の秋谷海岸でひと休み。これは疲れたからというより、午後の陽光にきらめく相模湾を眺めて幸福な気分に浸るための休憩である。とにかく、海を横目に見ながら潮風と一緒になって自転車を走らせる気分は最高というしかない。この爽快感は特にサイクリング好きでなくても、自転車に乗る人なら誰でもちょっと想像してみれば理解できるだろう。

 長者ヶ崎を過ぎて葉山町に入り、渋滞する海辺のリゾート地を抜け、逗子から鎌倉にかけては緑濃い山が海に迫る狭間を行く。いくらかアップダウンがあるものの、大したことはない。トンネルをいくつか抜ければ、人出の多い材木座海岸である。
 さて、鎌倉の滑川橋までやってきた。ここまで130キロ。ここから鎌倉市街を抜け、大船・横浜経由で帰ろうかとも思ったが、もう少し海辺を走りたいので、そのまま海岸沿いを行く。
 由比ヶ浜、稲村ヶ崎、七里ヶ浜と軽快に飛ばし、小動で海に別れを告げ、竜口寺や「江ノ電もなか」の店の前を過ぎて、藤沢駅のガードをくぐったのが15時15分。ここで140キロだから、家まであと50キロほどとすれば、トータルで190キロにはなりそうだと頭の中で計算する。
 藤沢からは境川沿いのサイクリングロードをのんびり帰るつもりだったが、ものすごい向かい風。無駄な抵抗はやめて、軽いギアでちんたらちんたら走る。急ぐ必要はない。
 町田経由で18時50分帰着。走行距離は193.7キロ。夢の1日200キロが手の届くところにまでやってきた。

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