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    湘南海岸'96・春 1996年5月3日
 
 湘南の海辺を自転車で走る、というのにずっと憧れていた。
 でも、東京の自宅から片道50キロ以上もあり、日帰りはとても無理だと思っていた。ところが、昨年夏、突然思い立って自転車で2泊3日の房総半島旅行をしてみたところ、1日100キロぐらいなら、なんとか走れることが分かった。最終日にはヨレヨレになったとはいえ150キロ近くも走れたのだから、かなりの自信にもなった。というわけで、今回は江ノ島あたりまで日帰りで行ってみよう。

 早朝5時出発。夜明けのR246をひたすら走る。この道はアップダウンが激しくて苦手だが、遠くに明確な目標があれば、目先の苦難はわりとあっさり乗り越えられる、ということが分かった。
 大和からは国道467号線を南下して江ノ島に面した片瀬海岸に到着したのが7時半過ぎ。ここまで53キロ。意外に早く着いたが、とにかく初めて海が見えた瞬間はさすがに感動した。真っ白な富士山が彼方に浮かんでいる。

 片瀬海岸からは相模川河口の湘南大橋まで広々とした浜辺と黒松の防風林の間を縫って続く自転車道路がある。
 潮風に吹かれながらの気分爽快サイクリング。
 休日なので、家族連れが多い。波間に漂うサーファーも多く、遠くからだとオットセイの群れのように見える。
 サイドにサーフボード用の大型フックを付けた自転車が多いのも、さすがに湘南。東京では見ないスタイルである。自転車はやはりビーチクルーザーが主流だが、いわゆるママチャリにボード用フックを付けた中年サーファーというのもカッコイイ。しかし、真っ赤に錆びついた自転車が多いのも確かで、やはり潮風の街というのは自転車にとって過酷な環境ではあるのだろう。
 烏帽子岩が見えてくると茅ヶ崎。釣り人が増えて、江ノ島あたりとはまた少し雰囲気が違う。
 10キロ余り走って、湘南大橋を渡り、相模川河口平塚側の防波堤の先端で海と富士山を眺めた後、同じ道を引き返す。

 茅ヶ崎漁港などに立ち寄りながら、のんびり走って片瀬海岸に戻ると、ヘンな犬を発見。ジーンズの上下にサングラスをかけ、ミニバイクに跨っている。バイクには阪神大震災の募金箱。子どもたちが一緒に写真を撮ったりしている。
 そばにいたオジサンに聞くと、犬の名前はジロー君。横須賀市から来たそうだ。これからジロー君と一緒にキャンプをしながら日本一周の旅に出て、各地で募金活動を行い、最終的には神戸市に義援金を届けるとのこと。旅の話題で話が弾む。少額ながら募金。

 オジサン&ジローと別れ、江ノ島へ渡り、湘南港の灯台下で休憩。ここの板張りのデッキがひなたぼっこに最高である。サイクリングの兄さんが昼寝をしている。コバルトブルーの海を白いヨットがすべっていくのが、とても気持ちよさそう。

 さて、江ノ島から鎌倉へ向かうR134はゴールデンウィークということで大渋滞。自転車はクルマをどんどん追い抜いて走る。並走する江ノ電もギッシリ超満員で、ドアのガラスに押しつけられたオジサンやオバサンの顔がみんな苦しそうに歪んでいる。ここでは自転車が最高に快適で自由自在な乗り物なのだ。得意になって爽快に飛ばす。
 稲村ヶ崎の坂も難なく越えて、新緑の鎌倉へ。どこも大変な賑わい。
 街なかをぐるぐる走り回り、由比ヶ浜で昼食にした後、さらに海沿いを走って逗子マリーナへ。
 トンネルの先に突然現われたのは南欧風の高級リゾート街。椰子の木が海風に揺れている。しかし、上空をのんびり旋回するトンビのピーヒョロヒョロという声を耳にすると、ここはやっぱりのどかな日本の海辺なのであった。

 再びクルマを次々と追い抜きつつ江ノ島に戻ると、弁天橋のたもとでジロー君はさらにたくさんの観客を集めていた。 オジサンに別れの挨拶をして、3時過ぎに帰途につく。
 復路はR246を避けて町田経由で小田急線沿いに帰るが、百合ヶ丘の坂を多少きつく感じたくらいで、わりと楽に18時15分帰着。走行距離は171.9キロ。あっさり新記録達成である。

 【後日談】
 この日出会ったジロー君。この年(1996年)12月25日の朝日新聞に写真入りで紹介されていた。オジサンと一緒にミニバイクで日本を一周、1万8,500キロを走り、各地で集めた義援金147万余円を神戸市に無事届けたそうだ。ちなみにジロー君は走行中、ミニバイクのステップに立ち、ヘルメットもかぶっているという。

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  湘南海岸'97・春 1997年4月20日

 春の陽気に誘われて、前夜から久しぶりに「明日は自転車でどこかへ行くぞ、夜明けとともに出発だ」という気持ちになった。
 行き先ははっきり決まらないまま、5時15分に出発。走るうちに江ノ島から鎌倉あたりへ行ってみようという気になり、246号線経由で大和市まで走り、そこから境川沿いにサイクリングロードを南下。境川はちょうど横浜市と大和市の境を流れ、藤沢市で相模湾にそそぐ川である。周辺は宅地化が進んでいるが、まだまだ畑や田んぼも残り、上空でヒバリがさえずっている。
 7時55分に江ノ島に到着。
 まず湘南モノレール江ノ島駅前にある片瀬郵便局を訪ねる。小さなレトロ建築で、表札の文字も右から書かれている。いつ頃建てられたのか分からないが、写真を一枚。
 そして、片瀬海岸へ。いつでも自転車で出かけて海が最初に見える瞬間というのはパーッと心が広くなるような気分になる。まずは島へ渡って、湘南港の板張りデッキで一休み。

 江ノ島で休憩の後、浜辺のサイクリングコースを茅ヶ崎あたりまでのんびり往復してくる。
 日曜の朝ののどかな海を眺めながら、潮の香りを思い切り吸い込んで自転車を走らせるのは最高の気分で、風と海と自転車の画家・ 内田新哉さん の透明でさわやかな水彩画の世界に入り込んだような気分に浸れる。

 茅ヶ崎の海岸で沖合の烏帽子岩を眺めて引き返し、お昼には鎌倉まで走って由比ヶ浜で昼食。相変わらず休日の海岸通りも鎌倉の街も大渋滞しているが、クルマをスイスイ追い抜いて颯爽と走るのは毎度のことながら痛快である。

 午後は北鎌倉の明月院に近い葉祥明美術館を訪れる。豊かな緑に囲まれたレンガ造りの西洋館。
 葉さんは一般的にはメルヘン画家のイメージが強いが、僕としては、メルヘン調のかわいい絵よりも、シンプルな表現ながら内省的で思索的な心象風景画とでもいうべき油彩画に強く心を惹かれる。また、葉さんの作品の中にしばしば自由の象徴(たぶん)として描かれる自転車は僕のサイクリングへの憧憬の原点にもなっているように思うのだ。
 とにかく、宇宙の真ん中にひとり立ち尽くしているような厳粛な気持ちになって、作品と向き合っていると、驚いたことに展示室内に葉さんが入ってきた。お顔は写真で知っていたのですぐにご本人だと分かったが、こういう時は妙に緊張して、なかなか声をかけることができないものである。部屋の真ん中のテーブルに置かれた絵本などをきちんと並べ直している葉さんのそばを気づかぬフリして通り過ぎ、そのまま展示室から出てきてしまった。
 ところが、エントランスホールで美しい絵葉書を数枚選び、絵本も一冊買い求めたところ、葉さんが出てきて、
「サインをしましょうか」
 とおっしゃる。
「あ、お願いします」
 金色のマジックで絵本とカードにサインをいただき、それから少しだけ言葉を交わした。僕が東京から自転車で来たというと、葉さんも今日は「アースデイ(地球の日)」にちなんで東京都心で行われた自転車のパレードを見て、たった今帰ってきたところだそうだ。葉さんとの間に「自転車」という共通項を見出せたようで、嬉しかった。

 さて、得がたい宝物を大切にリュックにしまい、鎌倉から藤沢へ出て、また境川沿いの自転車道を通り、町田経由で帰る。
 海に近い藤沢と内陸の町田ではそれなりの標高差があるはずなのに、蛇行する川沿いの道はほとんど勾配を感じさせないまま町田に着いてしまい、しかも、町田から先、多摩川まではほとんど下る一方なのだから楽で助かる。唯一、新百合ヶ丘から百合ヶ丘にかけて上りがあるが、大したことはなく、多摩川から自宅までも上り基調だけれど、ここはまぁ、走り慣れた庭みたいなものである。今日の走行距離は152.5キロ。

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