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夏の五つの小さな旅 2004 VOL.5
旅の終わりは中央本線運転見合わせ!


 「青春18きっぷ」もあと1日分を残すのみになった。関東地方のJR路線もほぼ乗り尽くし、まだ乗ったことがないのは神奈川県の鶴見線の一部(浜川崎〜扇島間と大川支線)と群馬県の吾妻線だけになった(あ、長野新幹線もまだだった)。
 ということで、今回はいつものようにただ列車に乗るだけでなく、自転車を持って吾妻線に乗り、終点の大前から自転車で浅間高原を越えて軽井沢に出て、碓氷峠を下って信越線の横川駅まで走るという計画を立てた。地形図を買って走行ルートの検討までしていた。その矢先、9月1日の夜、浅間山が中規模の噴火をした。火山灰は風に乗って遠く離れた福島県にまで達したという。
 浅間山麓サイクリング計画はそれで棚上げとなったが、とにかく吾妻線に乗りに行くことにした。

9月4日、土曜日。天気は曇り。6時40分頃、新宿駅に着き、4番ホームに急ぐと、すでに数人ずつの行列ができていた。上越線の越後湯沢行き臨時快速「一村一山号」を待つ人々だ。
 入線してきたのは特急型車両183系の6両編成。僕は座席をとれたが、かなり凄まじい座席争奪戦で、あっという間に満席となった。
 7時18分に新宿を発車。池袋でもさらに乗客を増やし、山手貨物線経由で東北線に入り、赤羽、大宮と停車。通路にもぎっしりと人が立つようになる。

一村一山号〜渋川駅にて     吾妻線

 この夏3回目の高崎・上越線で渋川には9時25分に到着。ここで降りた。
 ここが吾妻線の起点駅である。次の大前行きは
1007分発だが、吾妻線の列車はすべて高崎始発なので、高崎で乗り換えたほうがよかったかもしれない。
 心配した通り、やってきた3両編成の115系電車は座席がほぼ埋まっていたが、次の駅で席が空いた。
 利根川の支流・吾妻川に沿って山あいに分け入る55.6キロのローカル線。沿線には温泉地が多く、駅に着くたびに行楽客が降りていく。車窓にコスモスなど秋の花が咲き、ススキの穂が揺れている。
 中之条を過ぎ、だんだん谷が深まり、岩島と川原湯温泉の間で有名な日本一短い樽沢トンネルをくぐる。わずか7.2メートルのトンネルで、列車1両の長さの半分にも満たないから、ほんの一瞬で通過した。ちなみに、このあたりの区間は八ッ場ダムの建設により将来水没する運命にあるそうだ。
 長野原草津口(平成3年に長野原から改称)で多くの客を下ろして発車すると、すぐに右側に廃棄された鉄道の鉄橋が見えた。正体が分からなかったのだが、あとで調べてみると、吾妻線は長野原〜大前間が開通する前は長野原から北へ向かい太子(おおし)というところまで通じていたそうだ。群馬鉄山からの鉄鉱石輸送が目的だったという。昭和45年に運転休止、翌年廃止とのこと。

使われなくなった貨物用側線がたくさんある羽根尾を過ぎ、万座・鹿沢口に着く。上野からの特急「草津」号を含めて大半の列車はこの駅止まりで、次の大前まで行くのはわずか5往復に過ぎない。
 さらに3分走って終点の大前に1123分着。単線に1面のホーム、そして待合室があるだけのあまり終着駅らしくない駅である。嬬恋村役場の最寄り駅とはいえ、何もない無人駅だが、そのわりにはたくさん降りた。
 ここから万座・鹿沢口駅まで歩いてみようかとも考えたが、やめて6分後の電車で折り返す。一緒に乗ってきた人たちもほぼ全員が折り返す。こんなことをするのは男だけかと思ったら、若い女性もいた。もちろん、みんな「青春18きっぷ」を持っている。結局、大前に用があって乗ってきたマトモな客はほとんどいないのだった。

     草津温泉

 帰りは1147分着の長野原草津口で下車。駅前からバスで草津温泉へ行ってみる。
 沿道にマツタケ直売所が目につく国道292号線を登って、途中でマウンテンバイクの2人を追い抜き、20分余りで草津温泉のバスターミナルに到着。
 観光客で賑わう温泉街の中を歩き、有名な源泉の湯畑を見物。最近、各地でニセ温泉疑惑が持ち上がっているが、ここはいかにも正真正銘の温泉である。足湯もある。ちなみにこの場所の標高は1,156メートルとのこと。
 湯畑を囲む石造りの柵の支柱には草津を訪れた著名人の名前が記されている。最も古いのは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。ほかに行基(721年)、木曽義仲(1155年)、源頼朝(1193年)といった歴史上の人物から竹久夢二、山下清、谷内六郎、岡本太郎、力道山、渥美清、石原裕次郎、田中角栄など。北海道の各地でその足跡に出会う松浦武四郎や大町桂月の名前をここでも見つけた。
 湯畑の前にある古びた共同浴場「白旗の湯」(無料)の熱めのお湯に浸かって、外に出たら雨が降り出していた。

     草軽ルート

 昼食後、1355分に軽井沢行きの草軽交通バスがあったので、これに乗ってみる。運賃は2,200円。乗客はわずか3人。
 降りしきる雨の中、山をぐんぐん下って、吾妻川の谷を渡り、吾妻線の羽根尾駅前から再び登る。
 浅間山や草津白根山からの噴出物が堆積してできた台地を深く刻んだ吾妻川の谷底を鉄道は通っているから、吾妻線各駅から軽井沢方面に向かうには最初に急坂を登らねばならないようだ。自転車で走るのはなかなか大変そうだ、と考えながら前方の車窓を見つめる。ただ、昔、草津と軽井沢を結ぶ草軽電鉄という鉄道があったというから、その線路跡さえ分かれば、勾配が比較的緩やかなルートが見つかるかもしれない。
 クマ出没注意の標識もある国道146号線を急カーブ、急勾配の連続で登っていくと、風景がだんだん高原風になってきた。あたりはシラカバやカラマツの林が目につくようになる。一瞬だけ雲間から陽が射して、路面が金色に輝くが、すぐにまた雨が強く降り出す。
 「浅間山降灰スリップ注意」の表示があるが、どれが灰なのかはよく分からない。間近に聳えているはずの浅間山の姿もまったく見えない。
軽井沢駅にて 群馬・長野県境を過ぎ、標高1,406メートルの浅間峠を越えると、幅が狭く路面状況も悪い有料道路「白糸ハイランドウェイ」を経て、やがて東京の原宿みたいと言われる軽井沢の街に入った。
 軽井沢駅前には1515分着。雨は止んでいる。ここから第3セクター、しなの鉄道(旧JR信越線)で小諸へ出て、小海線、中央本線経由で帰ろうと思う。
 1536分発の快速に乗り、霧の浅間山麓を軽快に走って小諸には1557分着。次の小海線まで少し時間があるので、駅頭に立ってみたが、再び降り出した雨が叩きつけるような土砂降りになっていた。

   小海線

 さて、1632分発のディーゼルカーは定刻に小諸駅を発車した。
小海線のディーゼルカー 車内アナウンスによれば、1時間前からの大雨の影響で、小諸から2つ目の乙女駅までの区間は減速運転を行い、5〜
10分の遅れが出る見込みとのこと。そのわりには快調に走り、ほとんど遅れも出なかった。雨もいくらか弱まってきたようだ。ただ、車窓の川は濁流となり、遠い空に稲妻も見えた。
 ちょうど1時間で定刻通り小海に着き、2分後に発車の小淵沢行きに乗り換え。夕方の高原へと登っていく。
 野辺山や清里あたりの美しい高原風景は夕闇に包まれてほとんど見えないまま、1840分に小淵沢に到着。あとは中央本線の列車で帰るだけ…のはずだった。

   中央本線、運転見合わせ

 小淵沢駅のホームで駅弁の釜飯を買い、1859分発の大月行き普通列車に乗車。
 順調に走って甲府も過ぎ、山梨市駅に着く直前に、この先の塩山〜勝沼ぶどう郷間の雨量計が規制値に達したとのアナウンスがある。いやな予感。
 そして、2006分に塩山に着いたところで運転見合わせ。後続の新宿行き「スーパーあずさ34号」も本来は通過のはずだが隣のホームでストップ。
 20時半頃になって、大月行きはここで運転を打ち切り、甲府へ引き返すとのアナウンスが流れた。甲府方面への下り列車を確保するための措置だが、乗客が一斉に怒り出し、駅員や車掌に詰め寄る。
 「冗談じゃない」「おかしいじゃないか」「納得できない」「代行の高速バスを出せ」「今夜は塩山に泊まるからホテル代を負担しろ」などなど。これは自然災害でJR側もある意味で被害者だから、駅員も逆ギレしそうになっている。なかなか大変だ。
 大月行きだった電車は結局、2101分に甲府へ向けて行ってしまい、その直後に「現在線路の点検中で、まもなく運転再開」との情報。次の上り普通列車(高尾行き)は石和温泉駅で止まっているらしい。
 怒りの収まらない乗客たちは「スーパーあずさ」に乗せろと要求し、それは受け入れられた。ただ、JR側は特急料金を払えば、という条件で、乗客側は料金など払うものか、という立場。その辺の食い違いが解消しないまま特急のドアが開き、乗客たちは次々と特急の車内に乗り込んでいった。
 僕はどうするか。「青春
18きっぷ」はあくまでも普通列車専用で、特急列車には特急料金を払っても乗れないルールだ。塩山駅の言い分に従えば、こういう非常事態であっても僕が特急に乗るためには特急料金だけでなく運賃も払わねばならない。ここまで事態を静観していたが、この点だけは駅員に確認した。まぁ、この後の普通列車でも小田急の終電には間に合うだろうとの判断で、それ以上食い下がるようなことはしない。
 結局、「スーパーあずさ」は2134分に発車。急にガランとしたホームには数人の乗客だけが残った。
 
 2157分、高尾行きの普通列車が1時間半近く遅れてやってきた。折りしも下りホームには1時間55分ほど遅れた特急「かいじ117号」も到着。
 まだ雨が降り続く中、山へ登っていく列車の車窓に星の海のような甲府盆地の夜景が広がった。

結局、1時間32分遅れて2310分に高尾に到着。もし最初の大月行きが順調に走っていれば、大月から東京行きに乗り継いで高尾には21時26分着のはずだった。とにかく、中央線の快速に乗り継ぎ、立川からは南武線に乗り換えて登戸に着くと、新宿行きの小田急線最終列車に間に合った。045分に帰宅。やれやれ。

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