このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

旅のアーカイヴス

宮之城線&鹿児島交通線 1980年8月22日〜23日


 前日、霧島高源ユースホステルに泊まった僕は、この日(8月22日)、霧島神宮駅から日豊本線の急行「錦江1号」で隼人へ行き、肥薩線に乗り換えて栗野へ、さらに山野線で薩摩大口駅に12時21分に着いた。朝から青空がのぞいたかと思えば激しい雨になったりで、とても不安定な天気である。

薩摩大口駅にて     宮之城線

 薩摩大口13時30分発の宮之城線川内行き(532D)に乗車。川内まで66.1キロあり、2時間以上かかる。(乗車車両はキハ52-49)
 どんよりとした曇り空の下、列車はのんびり走る。太陽は顔を隠したままだが、蒸し暑い。
 途中駅で高校生が乗ったり降りたりする。降りていく高校生を観察していると、駅前にとめてあったバイクで家路につく人が多い。このあたりでは高校生でもバイクがかなり普及しているらしい。

 列車は丘陵地帯を抜けて平地に出た。しかし、前方には山が迫っている。そこが薩摩永野駅で、スイッチバック式になっている。ホームではひょうたんが風に揺れていた。
 14時に進行方向を変えて発車。

 14時34分に宮之城に到着。7分停車。
 宮之城線では宮之城〜川内間でディーゼルカーに貨車を1〜2両つなぐ貨客混合列車が走っているそうだが、今日は貨車の連結はなかった。

 再び雨が強く降り出し、だんだん水田が広がって、川内には15時36分に着いた。
 このあとは16時11分発の鹿児島本線下り普通列車に乗って伊集院まで行き、鹿児島交通線に乗り換えて、日置という駅の近くにある吹上浜ユースホステルに泊まるというのが今日の予定である。
 ところが、大雨のせいか鹿児島本線はダイヤが乱れていて、川内駅の改札口の上の発車案内板には14時56分に発車したはずの急行「かいもん3号」がまだ表示されている。
 15時55分頃、ほぼ1時間遅れの「かいもん3号」がやってきたのでこれに乗って、30分ほどで伊集院に着いた。雨はいつしか上がっている。

     鹿児島交通線(伊集院〜日置)

 ここで乗り換える鹿児島交通は伊集院から枕崎まで49.6キロのローカル私鉄。
 伊集院駅の駅舎のあるホームに派手なオレンジ色のディーゼルカーが停まっていた。両端が丸くなった旧式のスタイルである。
 日置までの切符を買って、17時05分発の列車に乗車。走り出すと、信じられないぐらい揺れる。窓際の席に座っていたので、何度も壁に頭をぶつけそうになった(何度かはぶつけた)。
 次は上日置。ホームに背の高い草が生い茂り、駅舎はどう見ても廃墟としか思えない。その荒れ方は2年前に乗った日中線の熱塩駅以上だった。
 伊集院から7.9キロを16分で走って日置に着いた。線内の主要駅のひとつで、行き違いもできる。この駅は駅員がいたが、やはり草ぼうぼうで、かなり荒れた印象だった。今日はここまで。

 カニが歩いている駅前から徒歩20分ほどで今夜の宿、吹上浜ユースホステルに着いた。宿泊者はなんと僕だけ。トイレは庭にある別棟で、風呂も屋外にある露天の五右衛門風呂だった。蚊がやけにデカイ。夜は宿のお姉さんとオセロゲームなどして過ごす。
 ところで、今回の旅の初めに甲子園球場で高校野球を見てきた。準々決勝の第一試合、早稲田実業の1年生エース荒木大輔投手が沖縄・興南高校を3対0で完封したのを東京の自宅で見届けた後、新幹線で大阪へ行き、第四試合の横浜高校vs箕島高校という強豪同士の対戦を球場で観戦したのだった。3対2で横浜が勝った。それから新大阪発の寝台特急「明星5号」(熊本行き)で2日前に九州入りしたわけだが、今日は高校野球の決勝戦。横浜高校と早稲田実業が対戦し、愛甲猛投手が荒木投手に投げ勝って横浜高校が優勝したそうである。

     鹿児島交通線(日置〜枕崎)

 翌日(8月23日)、YHのお姉さんに車で日置駅まで送ってもらい、駅で加世田駅までの切符を買って、10時11分発の加世田行きに乗車。
 ディーゼルカーは今日も激しく揺れながら、水田や森の中を走る。時折、東シナ海が見える。
加世田駅 相変わらず、どの駅にも線路際にも線路上にも雑草が生い茂り、列車は背の高い草や竹などを掻き分けるようにして走る。窓から顔を出すと危ない。
 さつま湖駅は砂浜と一体化したような駅だった。
 10時51分に沿線最大の駅、加世田に到着。ここで下車。
 駅構内にはたくさんの廃車体が放置されている。ほとんど朽ちかけたようなものまである。解体するカネがないのだという。沿線各駅の荒れ具合から見ても、このローカル私鉄の経営が苦しいことはよく分かる。将来、この路線にSL列車を走らせる計画があると吹上浜YHで聞いたけれど。

   (加世田駅にて)

 市内をぶらついたりして、駅に戻り、12時02分発の枕崎行きに乗る。キユニ101とキハ102の2両連結。
 加世田駅を発車直後、構内の片隅に小さなSLがちらっと見えた。
 加世田から終点・枕崎駅までは20.6キロ。途中にある9駅はすべて無人駅で、行き違い施設も全くない。そのため、加世田と枕崎の間は1列車しか入れない。列車本数も伊集院〜加世田間が12往復なのに加世田〜枕崎間は8往復しかない(朝昼晩と1日3往復が伊集院から国鉄に乗り入れ、西鹿児島まで直通)。

 12時42分に枕崎駅に着いた。国鉄・指宿枕崎線との接続駅で、1本の島式ホームの片側(駅舎側)を鹿児島交通が使用し、反対側を国鉄が使用している。国鉄駅に鹿児島交通が間借りしているのかと思ったら、逆だそうである。草深いのはこの駅も同じだった。

 この旅から3年後、1983年6月21日にこの地方を襲った集中豪雨により、鹿児島交通線は線路が各地で寸断され、復旧の努力も空しく、翌年3月18日をもって全線廃止に追い込まれました。
 
 また、国鉄宮之城線(川内〜薩摩大口)は民営化を目前に控えた1987年1月に廃止、山野線(水俣〜栗野)も1988年2月1日付けで廃止されました。


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