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霧の根室本線〜客車鈍行441列車 1983年3月21日
札幌発釧路行きの夜行急行「まりも3号」。年老いたダークブルーの寝台車スハネ16−501の狭いベッドの上で目を覚まし、時計を見ると5時半を回っていた。
まもなく白糠に停車。今秋の廃止が決まった白糠線に別れを告げようと訪れる旅行者数人を降ろして、列車は終着釧路をめざす。
寂しげな海岸で曇り空の朝を迎え、荒涼とした原野を走り抜けて、列車は定刻6時15分に釧路駅1番ホームに滑り込んだ。
釧路は北海道の中では雪の少ない街だが、数日前に吹雪に見舞われたせいで、まだかなりの雪が積もっている。
「まりも3号」からの乗り継ぎ客はすぐに接続する根室行き急行「ノサップ1号」か網走行き普通列車に乗り換えたようで、それらの列車が発車してしまうと、釧路駅は静けさを取り戻した。待合室では7時20分発の函館行き特急「おおぞら2号」を待つ人々がストーブにあたって静かに座っている。
そんな中で6時43分発の根室行き普通列車の改札が始まり、数人が改札口を通り抜けた。
根室行き441列車はディーゼル機関車DD51-502が牽く客車列車で、スハ44-15とスハフ42-510の旅客車2両。さらに荷物車と郵便車を1両ずつ連結している(番号不明)。この荷物車と郵便車は「まりも」から受け継いだ車両で、はるばる東京から津軽海峡を渡ってきたものである。
441列車はわずかな乗客を乗せて、定刻に釧路を出発。東の果てへの旅に出た。
氷の浮かぶ釧路川の鉄橋を渡り、東釧路で北へ向かう釧網線のレールを見送ると、だんだん何もない雪の原野へと出ていく。
初めは湿原だったが、別保(べっぽ)を過ぎると、丘陵が迫ってきて、原生林の間を縫うように進む。針葉樹はみな雪をかぶってクリスマスツリーのような姿になっていて壮観だが、なかには無残にも倒れてしまった木もある。いつの間にか霧が出てきたようだ。
霧の立ち込める原生林の中を右へ左へカーブしながら、ゆっくり上っていく列車はやがてピィーッという警笛を合図に短いトンネルに入った。
峠を越え、坂を下っていくうちに、原生林は途切れ、平地に出ると上尾幌に到着。ここで釧路行きの気動車と行き違い。休日の早朝のためか、車内はガラガラだった。
上尾幌、尾幌と開けたところを走るが、深い霧に包まれて、景色はおぼろげに見えるだけ。
門静で海辺に出た。車窓のすぐ下で灰緑色の海がゆったりうねっているが、沖合いは霧に掻き消されて、水平線も定かではない。
釧路以来、ようやく町らしい町が見えてくると厚岸。ここでも釧路行きと行き違いがあり、ホームでは弁当屋が「べんとーう、べんとーう」と車内を覗き込みながら売り歩いている。しかし、いかんせん乗客が少ない。ちょうど空腹だった僕は
鮭弁当を買い、ほかにも2人ぐらい買っていたが、結局、それきりだった。
厚岸を出ると、右車窓に氷雪に覆われた厚岸湖が現われ、列車は湖の北側に広がる別寒辺牛(べかんべうし)湿原を突っ切っていく。雪の間から枯れ草がのぞくほかは完全に白一色の世界。窓を開けて前方を見ると、視界は極めて悪く、行く手の線路も霧の中に消え入っている。空も真っ白、大地も真っ白で何も見えないけれど、列車は速度を緩めることもなく坦々と走る。
糸魚沢を過ぎると、再び森林地帯に入る。霧が木々に真っ白く凍りついて神秘的な霧氷の世界。
白い森を抜ければ、また平原に出て、牧場のサイロもあちこちに見えてくる。時折、朽ちかけた廃屋が車窓をよぎったりもする。風土の厳しさを実感させる眺め。そして、また森の中へ。
沿線の木々は寄生植物に取りつかれ、狂ったように身をくねらせ、魔法使いが住んでいそうなミステリアスなムードを漂わせている。
霧の立ち込めた静寂の中、茶内、浜中、姉別と停まって、9時16分、厚床に到着。ここでまた釧路行きと交換のため6分停車。駅の裏は地平線まで続く雪原で、何もない大陸的な印象の駅である。
厚床を出て、標津線のレールを左に見送り、列車は深い深い霧の中、ひたすら最果てをめざす。雪原と防霧保安林の交錯する単調で寂しい風景が果てしなく続くが、時折、現われるサイロや牛馬の姿がそこに人の生活があることを教えてくれる。
初田牛(はったうし)、別当賀(べっとが)…氷雪の大地の片隅を行く列車は不意に海岸段丘の上に出た。しかし、太平洋も霧の底に微かに見える程度。
再び海辺を離れ、落石を発車して間もなく列車は加速しきらぬうちに速度を落として停止してしまった。
機関車の警笛が聞こえてくる。あたりはまた森の中だ。乗客は何事かと窓を開け、身を乗り出して、前方を見やる。
地元の少年たちが「シカだ!」と口々に叫んでいる。
『只今、線路の中にシカが入っております。しばらくお待ちください』
車掌のアナウンスが流れる。
僕も窓を開けてみたが、車両の一番後ろの席に座っているので、前の人の頭しか見えない。
機関車が執拗に鋭い警笛を鳴らしても、シカは全然動こうとしないらしく、ついに列車がゆっくりと前進を始めた。
その時、大きなシカが3頭、線路脇の森の中に逃げ込むのが見えた。その現場を通過すると、雪の上にシカの足跡が生々しく残っており、薄暗い森の中で立派な角を持ったシカがこちらをじっと見据えていた。
列車は再び何事もなかったかのように坦々と走り、西和田、花咲に停車していく(昆布盛は通過)。なだらかにうねる白い丘の牧場風景が美しい。
やがて、霧の彼方に電波塔や住宅が続々と現われ、日本最東端の駅・東根室をあっさりと通過した。次はいよいよ終着駅・根室である。車内も下車の支度でざわついてきた。
最果て鈍行441列車は10時34分、そのゆっくりとした歩みを止めた。列車を降り、改札口を出て、駅頭に立つと、寒風吹きすさぶ街並みが広がっていた。霧の中のメルヘンのような旅路の果てにたどり着いた根室の街で急に現実に引き戻されたような気分になった。
(追記)
この日乗車したスハフ42‐510は現在、旧湧網線の能取駅跡に留置(放置)されています。保存状態は良好とはいえず、青いペンキがところどころ剥げ落ちていました。かつて元気に走っていた車両が今はこんなところで眠っているのかと、冷厳な時の流れに奇妙な感慨を覚えたものです。(右の写真は1997年8月撮影)
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