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岳南電車の旅 2013年 夏 




 東海道線・吉原駅を起点に富士山の南麓を走る9.2キロのローカル線、岳南電車の旅。

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 富士山を間近に望む静岡県富士市の東部を走る岳南電車(岳南鉄道)は東海道線の吉原駅(当初の駅名は鈴川)と吉原の中心市街を結ぶ目的で1949年に鈴川〜吉原本町間が開業したのが始まりで、順次路線が延長され、1953年に岳南江尾まで開通した、全区間で9.2キロの小さなローカル線である。
 ただ、ローカル線といっても、のどかな田園地帯を走るというよりは煙突からモクモクと煙を吐く製紙工場が立ち並ぶなかを行くイメージが強い。そうした立地ゆえに工場からの紙製品積み出しなどのため、長らく貨物列車も運行されていたが、トラック輸送への切り替えが進み、2012年3月16日限りで貨物輸送が全廃、ただでさえ苦しい経営がさらに悪化して存続の危機に立たされている路線でもある。当面、地元・富士市の公的支援を受けて、かろうじて命脈を保っているものの、先行きは決して明るくない。2013年春には経営主体が不動産事業やゴルフ場事業を手掛ける岳南鉄道から子会社の岳南電車株式会社に移り、なんとか存続の可能性を探っているというのが現状のようだ。

 さて、2013年8月、そんな岳南電車に乗ってきた。
 東海道線の吉原駅に12時52分に着き、東海道線ホームの静岡寄りの階段を上って橋を渡ると、岳南電車の乗り場へ行ける。
 窓口で一日乗車券を購入。終点・岳南江尾(がくなんえのお)まで片道運賃が350円のところ、土曜・休日なら大人400円、平日でも700円で一日乗り放題である。かなりお得な切符だ。
 待っていたのは岳南の伝統色であるオレンジ色のマスクをもつ7000形電車(車番は7003)。東京の人なら、おや、どこかで見たような…と感じるかもしれないが、京王井の頭線の3000系を改造し、車体の両端に運転台をつけた電車である。ワンマン運転なので、車内の両端にバスのような料金箱が設置され、乗車口には整理券の発券機もある。

(吉原駅で発車を待つ7003単行)

 岳南電車ではこの7000形が3両(7001〜7003)と、2両連結の8000形(8001+8101)1編成の計5両の電車が在籍し、日中は7000形が行ったり来たりしているようだ。

 1両だけの電車はロングシート全体にまんべんなく乗客が座っていて、空席はたくさんあるが、ガラガラとまではいえない、といった程度の乗車率で、12時58分に吉原を発車。西へ向かって動き出し、東海道線と並行して田子の浦港の運河を渡ると、右へカーブして北へ向かう。
 東海道新幹線の高架をくぐり、まもなく最初の駅、ジヤトコ前。単線にホームを添えただけの無人駅で、2005年4月までは日産前という駅名だった。もともと日産自動車の工場があり、それを子会社のジヤトコが引き継いだことによる改称だ。
 次の駅が開業時の終点だった吉原本町駅。ここも線路1本に片側ホームだけの駅だが、日中のみ駅員が配置されていて、吉原に次いで乗降客が多いらしい。ここでかなり降りて、車内は早くもガラガラといって差支えない乗車率になった。
 ちなみに岳南電車の駅で、始発から終電までずっと駅員がいるのは吉原だけで、早朝・夜間を除き駅員がいるのもこの吉原本町だけ。つまり、この先はすべて無人駅で、駅に着くたびに乗務員室から運転士が出てきて、乗客の運賃精算や切符の回収をしている。

 吉原本町付近から線路は東へとカーブして、すぐに本吉原に着く。島式ホーム1面2線の交換可能駅だ。開業時はここが吉原駅だった。1956年に起点の鈴川が吉原と改称され、こちらは本吉原に改められたわけだ。岳南鉄道本社もここにある。

 次の駅は岳南原田。起点から4.4キロ地点と、ほぼ中間地点の駅で、13時08分着。島式ホーム1面2線のほかに使われなくなった貨物側線もある。ここで吉原行きと行き違い。この駅は通勤通学時間帯のみ駅員が配置されるようだ。

(岳南原田駅)

(まさに工場の中を行く。夜間に乗ってみたい区間)

 岳南原田を出ると、武骨な工場の中を通り抜け、貨物ホームの名残を見ながら比奈駅に着く。ここにも貨物側線があり、構内は広いが、活気はまるでない。

 さらに貨物ヤード跡を見ながら走り、岳南富士岡に到着。貨物輸送の廃止で役目を失った電気機関車が留置され、車庫もある駅。岳南原田とともにこの駅も通勤通学時間帯には駅員が配置されるようだ。あとで降りてみよう。

 だんだん農地の中に住宅が点在するような、のどかな感じになって、須津(すど)駅。ここも1面2線の駅。

 
(左・須津駅と右・神谷駅)

 続いて、神谷を経て、再び東海道新幹線の高架をくぐると、終点の岳南江尾。13時19分着。吉原から21分の旅。ここまで来た乗客は3人だけだった。ここも無人駅なので、運転士にフリー乗車券を提示して下車したが、駅の周辺には何もないので、同じ電車で折り返そうと思う。次の発車は13時26分発で、7分ある。

(岳南江尾で並ぶ7000形8000形

(夏の花々が咲くホーム)

 岳南江尾。何もないけれど、いい駅だと思う。この鉄道はほぼ全区間で車窓に富士山が望まれるそうだが、今日は雲に隠れて、わずかに裾野が見えるばかり。
 駅のすぐそばを通る新幹線がこんなちっぽけな駅には目もくれず、猛スピードで走り過ぎていく。



 
(何もない岳南江尾駅。クマゼミだけが騒がしい)

 駅前ではシャワシャワシャワシャワ…とクマゼミが鳴いている。一般に関東にはいないとされるセミで、僕はこの夏初めて耳にした。箱根の西側に来たのだな、と実感する(最近は東京でもたまに声を聞くようにはなっているが…)。
 ところで、駅には「ここの地盤は海抜2.8m」という表示がある。そんなに低いのか…。東日本大震災での津波被害の記憶があまりに生々しいだけに、心配されている東海地震が発生したら…と考えずにはいられない。すでに十分な対策が取られていることを願うばかりだ。

(彼方に見えるはずの富士山は雲に隠れている)

 13時26分、吉原行きの電車は3人の客を乗せて発車した。3人のうち僕を含めて2名は先ほどの電車で来たばかりの折り返し乗車である。
 
 13時33分、3つ目の岳南富士岡で下車。降りたのは僕ひとり。ホームの屋根でアブラゼミが鳴いている。

(陽炎の彼方に走り去る電車)

 ここには貨物輸送に活躍した4両の電気機関車と2両の有蓋貨車(ワム80000)が留置されており、鉄道好きにはなかなか楽しい駅である。
 4両の機関車のうち、最も古いのはED29−1で、1927年製造。今年で86歳。もとはJR飯田線の前身にあたる豊川鉄道の機関車で、1959年に岳南鉄道に譲渡され、貨物輸送に活躍したが、その後、運用からはずれて長らく休車状態であったようだ。

(手前からED29、ED403、ワム×2、ED501)

 2番目に古いのは1928年製造、今年で85歳のED501。見た目も古典的かつ個性的な小柄な機関車だ。もとは長野県の上田温泉電軌(現・上田電鉄)の車両で、名古屋鉄道を経て、岳南にやってきたようだ。主として本線から各工場へ通じる引き込み線や貨物ヤードでの入れ換え作業を担当していたとのこと。


(ED501とED403) )


 最も新しいのがED40で、ED402ED403の2台が在籍。いずれも1965年製造で、上高地に近い奈川渡ダム建設の資材輸送のために松本電鉄が導入し、ダム建設完了後の1971年に岳南に譲渡され、貨物輸送の主力機として最後まで活躍した。2台のうち、車庫の中にいるED402はこげ茶色一色だが、ED403はこげ茶色の車体に黄色の帯を巻き、「NIPPON DAISHOWA PAPERBOARD YOSHINAGA」と書かれている。

(車庫で休む7002とED402)

 いつでも走れそうな機関車たちを見物し、金魚やメダカが泳ぎ、ホテイアオイが薄紫の花を咲かせる池など眺めて、駅の外へ。少し歩くと、富士山からの伏流水が湧きだす湧水公園があるが、前に一度行ったことがあるので、今回はパス。

 

 駅舎には「かぐや姫」のイラストがペイントされているが、これは『竹取物語』発祥の地との伝承をもつ土地が沿線にあることにちなむようだ(ただし、異説も多数あり)。岳南江尾にいた8000形にも、かぐや姫のヘッドマークがついていた。
 ところで、駅の掲示など眺めていると、岳南電車としても、いろいろな増収策を講じていることが分かる。ビール電車やジャズ電車の運行とか、記念乗車券・入場券の発売、「岳南電茶」(赤い7000形をあしらった箱に入った紅茶と緑色の8000形の箱に入った煎茶の2種類)などグッズの販売など。通勤通学客がいない休日にはたった400円で全線一日フリー乗車券を発売しているのも、僕みたいに他所から少しでも多くの人に乗りにきてほしい、という願いの表れだろう。客単価は安くても、空気ばかりを運ぶよりはマシである。

 さて、30分余りの滞在後、14時06分発の吉原行きに乗車。日中は上り下りとも30分に1本程度の運行である。
 岳南富士岡からは僕のほかにジャージ姿の女子中学生の団体が乗り込み、けっこうな賑わいになった。
 電車は7001の単行。車両の前後に富士山の世界文化遺産登録を祝うヘッドマークが取り付けられているが、デザインは小学生によるものだ。沿線の小学生を対象にヘッドマークのデザインを募集し、入選作を実際に電車に取りつけ、また、それ以外の作品は車内展示で、窓ガラスを覆い尽くすほどたくさん貼りつけられている。こうすれば、作品を応募した児童やその家族が乗ってくれる、という期待もあるのだろう。


(車内にはヘッドマーク・デザインコンテストの応募作品が展示されている)


 さて、次は14時13分着の本吉原で降りてみたが、思った以上に何もない。駅舎すらない。島式のホームから構内踏切を渡ると、岳南鉄道本社の駐車場になっているが、貨物輸送が盛んな頃は貨物側線があったのだろう。その駐車場を通り抜けて、駅前通りに出る。
 すぐ横にB●●K ●FF(これだけ伏字が多ければ、何の店だか分からないだろう…笑)の富士本吉原店があったので、時間つぶしに入って、中古CDを1枚購入。

(本吉原駅) 

 
(カーブを曲がって7001がやってきた。車内はガラガラ)

 吉原で折り返してきた14時31分発の7001単行に乗って、再び岳南江尾方面へ。車内はガラガラだ。

(岳南原田で列車行き違い)

 岳南原田で吉原行き(7003)と交換し、再び工場の中を通り抜けて、14時37分着の比奈で下車。
 昨年3月までは吉原〜比奈間で貨物列車が運転されていて、比奈に貨物ヤードがあったようだ。
 工場地帯を走る岳南鉄道にはかつて沿線に点在する工場への専用引き込み線が多数存在していた。各工場で出荷する製品を貨車に積み込み、これを入換え機のED501が本線まで引き出し、各工場からきた貨車を比奈のヤードに集めて1本の長大な貨物列車に仕立て上げ、ED40が吉原まで牽引していたのだろう。列車は吉原でJR貨物(それ以前は国鉄)に引き継がれ、東海道線で各地へ向かったわけである。岳南の貨物輸送の廃止はJR貨物側の合理化の一環として決まったということである。トラック輸送よりも環境にやさしいと言われる鉄道貨物だが、衰退の一途をたどっているのは寂しいかぎりだ。

(岳南江尾へと走り去る7001)

(ショウリョウバッタが飛び立つ比奈駅のホーム)

(各駅に富士山ビュースポット表示があるが、今日は見えず)


 
(使われなくなった貨物側線。右写真で本線と並行して貨物引き込み線が伸びているのが分かる)

 島式ホームから構内踏切で貨物側線の錆びたレールを横切り、無人の駅舎を通り抜ける。駅前にある唯一のお店が鉄道模型店というのが珍しい。
 昨年の春まではこの駅に貨物列車が発着し、駅員もいて、それなりに活気があったのだろう。訪れる鉄道ファンも多かったに違いない。
 2011年6月にはテレビドラマ『贖罪』(放送は2012年1月)の撮影がこの駅で行われたという表示板も設置されていて、「出演者 小泉今日子・池脇千鶴他」とあるからキョンキョンがこの駅にやってきたということだろうか。そういえば、岳南江尾にもたしかモーニング娘のPVドラマの撮影が…というような表示板があったな。

 

 

 ところで、比奈には地元・富士市が『竹取物語』発祥の地と唱える「竹採塚」があり、平安時代の「姫名(ひめな)郷」に由来するという比奈の地名も、比奈→雛という連想からなんとなく「かぐや姫」と結びつけようとする向きがあるようだが、まぁ、確かなことは分からない、ということにしておこう。

(白百合の咲く比奈駅に電車がやってきた)

 その比奈駅で20分ばかり過ごして、14時58分発の吉原行きに乗車。そのまま吉原まで戻ってきた。

(線路と並行する廃鉄橋も専用線の痕跡か。岳南原田付近にて)

(起点の吉原駅に戻ってきた)

 岳南電車と東海道線の間には今も貨物側線が残り、ここが岳南からJRへ貨物列車の引き継ぎの場となり、実際に有蓋車がズラリと並んでいたという記憶があるが、今はもう貨車の姿はない。本線をコンテナ貨物列車が時折通過していくばかりだろう。

 さて、岳南電車の旅はこれで終わり。あとは東海道線で小田原まで行き、小田急に乗り換えて帰るだけだ。
 吉原駅の岳南とJRの連絡口にはJRの券売機がないので、岳南の出札窓口で小田原までのJR切符を買おうとしたら、JR東海と東日本の境界である熱海までの切符しかなく、しかも、昔懐かしい硬券なのだった。窓口で鋏を入れてもらい、自動改札機は通さずに、そのまま東海道線ホームへ急いだ。

(昔ながらの硬券) 
 
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