このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 日立電鉄と茨城交通  2004年12月19日&2006年8月6日

 2004年12月の日立電鉄(2005年3月末で廃止)と茨城交通湊線の乗車記および2006年8月の日立電鉄廃線跡探訪記を紹介します。


 2004年12月19日、常磐線と水郡線を乗り継いで、茨城県の常陸太田駅までやってきた。今日は日立電鉄と茨城交通という2つのローカル私鉄に乗ってみるのが目的である。

     日立電鉄乗車記

 JR常陸太田駅から車が行き交う国道をはさんだ向かい側に日立電鉄の常北太田駅がある。
 日立電鉄は常北太田(常陸太田市)と鮎川(日立市)を結ぶ18.1キロの鉄道で、途中の大甕(おおみか)でJR常磐線と接続している。日立市といえば、日立製作所の企業城下町だが、この日立電鉄も日立傘下の鉄道である。だから、経営は安泰か、といえば、全く逆で、乗客の減少が続き、どうやら来年3月末での廃止が本決まりらしい。それで廃止になる前に乗ってみようと考えたわけ。
   (常北太田駅)

 さて、常北太田駅は駅舎のあるホームのほかに島式ホームもあり、赤い電車がたむろしている。日中はほぼ1時間に1本の運転で、次は13時17分発。鮎川まで700円の切符を買って、改札を通る。
 車両番号が2215と2006という2両編成の電車に乗り込んで、まもなく発車。乗客は多くないが、ほかにもカメラをもった鉄道ファンらしき人たちがいる。
 まもなく鉄橋を渡って、のどかな田園風景の中を行くが、全くの田舎というわけでもなく、住宅も適度にある。車窓風景としては、まぁ、平凡といえる。

 ところで、この電車は元は東京の地下鉄で走っていた車両だそうだ。車体が赤く塗られているので、丸の内線かと思うが、実は銀座線の車両である。昔の銀座線は駅間で一瞬車内灯が消えるというのが特徴だったが、その時のための非常灯が今も車内の壁面に残っている。ただし、銀座線と日立電鉄では線路の幅が違うので、台車は日比谷線(日立電鉄と同じ線路幅)の車両から流用されているらしい。
 そういう電車だが、整備状態は良好とはいえず、窓ガラスは汚いし、外壁の塗装も色褪せ、ペンキが剥げたりしている。今も営団地下鉄のマークが残る扇風機にはどす黒い埃がこびりついている。座席もあちこち破れ、クッションを指先でトントン叩くと、砂埃が浮き上がってきたりもする。まるで“走る粗大ゴミ”だ。
 車内の中吊りも自社広告か公共広告がわずかにある程度。経営の苦しさが至るところに見て取れる。

 小沢、常陸岡田、川中子、大橋、茂宮(もみや)、南高野(みなみこうや)と停まって、常磐線の下をくぐる短いトンネルを抜けると針路を北に向けて久慈浜に着く。電車の車庫がある、わりと大きな駅。日立港に近く、ここからは日立市の市街地を行く。
 久慈浜を出ると、電車は再び常磐線の上を越えて、常磐線との乗換駅・大甕に到着。ホームは常磐線ホームの西側に隣接している。
 大甕を発車すると、またまた常磐線をオーバークロスして海側に出て、水木、大沼、河原子、桜川と停まっていく。このあたりはまさに日立の“城下町”といった雰囲気である。

 終点の鮎川に13時54分に着いた。何もない駅で、駅員の姿もない。すぐ西隣を常磐線が通っているが、あちらには駅はない。特急列車も普通列車も勢いよく通過していく。ちなみに鮎川の位置は常磐線では常陸多賀と日立のちょうど中間あたり。

 

 鮎川に用はないので、14時20分の電車ですぐ折り返し、大甕に14時33分着。これで日立電鉄の旅は終わり。たぶんこれが永遠の別れになるのだろう。
 大甕14時47分発の常磐線に乗って勝田15時03分着。次は茨城交通線である。

     茨城交通湊線乗車記

 常磐線・勝田駅から太平洋に面した阿字ヶ浦駅まで全区間ひたちなか市内を走る14.3キロのローカル線が茨城交通湊線。
 勝田駅の乗り場は常磐線上りホームの水戸寄りにあり、そこに切符売り場もある。1日フリー乗車券を800円で売っていたので、これを買う(阿字ヶ浦までの片道運賃は570円)。
 次の阿字ヶ浦行きは15時22分発。キハ37100−03というディーゼルカーたった1両。2002年製造の新型車で、日立電鉄とは比較にならないぐらい清潔で、窓もきれいだ。地元の利用者には好評に違いないが、単なる物好きな旅行者としては味気なくもある。

 列車は発車すると、常磐線から分かれて左へカーブし、すぐ日工前に停車。工場への通勤者のための駅のようだが、駅前には大きなジャスコもある。
 市街地を抜けると、あたりは田園風景に変わっていく。僕は運転席のすぐ後ろの席に座っていたので、前方がよく見える。線路はほぼまっすぐ伸びている。
 金上(かねあげ)、中根と停車して、那珂湊に着いた。この路線の中心駅で、構内には旧国鉄のディーゼルカーなどクラシカルな車両がたくさんあって、古きよき時代の地方駅の雰囲気が漂っている。ちょっと降りてみたくなった。

 勝田から那珂湊まではほぼ南東方向へ伸びてきた線路がここからは大きくカーブして北東へ向かう。
 まもなく、列車の前方を犬が横断し、次に雄のキジが横切った。あとはサルが出てくれば、近くに桃太郎が潜んでいるに違いないが、もちろん出てこない。かわりにキジがもう1羽。
 列車は台地上に上って、殿山、平磯、磯崎と停まり、終点の阿字ヶ浦には16時48分に着いた。

 (阿字ヶ浦駅にて)

阿字ヶ浦の海岸 阿字ヶ浦駅は冬の夕暮れ時というせいもあるけれど、なんとなく寂しげな駅だった。降りたのはほんの数人。
 駅は海岸段丘のはずれに位置し、線路の終端部まで行くと、眼下に太平洋が見える。夏場は海水浴客でにぎわうところで、駅のホームはかなり長く、臨時改札口もある。駅の脇には無料のシャワーまである。かつては上野からの臨時急行「あじがうら」号がここまで乗り入れていた時代もあるのだ。

 構内には古いディーゼルカーが2両。夏場に海水浴客のための更衣室として使用されているようだが、うち1両はチョコレート色の車体に白帯を巻いていて、「羽幌炭鉱鉄道 キハ22 1」と書かれていた。
 すぐに折り返し列車があったけれど、それには乗らず、駅前から坂を下って海を見てきた。

 (追記その1)
 帰りの列車はキハ3710−02という車番で、往路のキハ37100−03とほとんど同形式に見えたけれど、なぜか0が1つ少なかった。ついでに、3710という数字は湊線のミ・ナ・トに因んでいるらしい。

 (追記その2)
 手元にある1979年8月の時刻表を見ると、急行「あじがうら」のダイヤは以下の通り。
 9411D 上野7:35→我孫子8:08→土浦8:33→水戸9:14→勝田9:27→阿字ヶ浦9:58
 9416D 阿字ヶ浦16:08→勝田16:49→水戸16:56/17:02→土浦17:44→我孫子18:13→上野18:49
   (運転日7月25日〜8月5日。茨交線内は普通列車。時刻は終着と上りの水戸駅以外は発車時刻のみ掲出)



     日立電鉄廃線探訪記  2006年8月6日

 日立電鉄に乗りに出かけてから3ヵ月余り経った2005年3月末限りで日立電鉄は廃線となった。
 そして、2006年8月、僕は再び常陸太田へやってきた。第一の目的は常陸太田駅の西方にある坂東33ヶ所観音霊場の第22番札所・佐竹寺への参拝だったが、廃止から1年4ヵ月余りを経た日立電鉄の常北太田駅や線路跡がどうなったか、この目で確かめたいという思いもあった。

 (JR水郡線・常陸太田駅と佐竹寺)


     佐竹寺

 昼過ぎに常陸太田駅に降り立ち、まずは猛暑の中、佐竹寺へ向かう。案内書によれば2.8キロもあって、タクシーを利用しようかと迷ったのだが、あまり安易な巡礼もどうかと思い(本当はお金を節約したかったというのもあるが…)、徒歩で行く。カンカン照りで日陰も少なく、額から流れる汗を何度も拭いながら歩き続け、途中でカブトムシやオニヤンマの死骸が転がっているのを見つけたりして、30分ほどで佐竹寺に着いた。985年創建と伝えられ、平安末期から400年以上にわたって常陸国を支配した佐竹氏の菩提寺として発展した古刹である。
 立派な瓦屋根の仁王門は昭和15年の建築だそうで、迫力満点の仁王像は江戸初期のものだという。こういう札所はどこでもそうだが、大量の千社札が所構わずベタベタ貼り付けてある。どうやってあんな高いところに貼ったのか、と思うようなところにも貼ってある。もちろん、今はそういうものを貼ってはけない(前に別の寺で千社札を貼った人は修繕費として一千万円を奉納していただきます、という貼り紙を見たことがある)。
 さほど広くない境内は木々が生い茂り、木陰を吹き抜ける風が涼しい。ノウゼンカズラが咲いている。
 1546年に再建されたという本堂は茅葺き屋根の見事なもので、こけら葺きの裳階をめぐらし、外陣側面の円窓など造形的にも凝ったデザインで、桃山建築の先駆的なものとされているそうだ。
 薄暗い堂内をのぞくと、本尊の十一面観音は厨子の扉が閉じられていたが、お前立ちの観音様のお顔を拝むことはできた。ご朱印をいただいて、お寺をあとにする。

     日立電鉄廃線跡めぐり

 さて、14時過ぎに駅に戻って、次の目的・常北太田駅跡を訪れる。常陸太田駅から国道を挟んだ向かい側である。
 駅前は代行バスの乗り場になっていて、駅舎もバスの待合所として健在だった。ただ、構内にたむろしていた電車の姿はすでになく、線路も架線柱もすべて撤去され、片隅に枕木が積まれている。駅から通りを挟んで伸びる線路跡も封鎖され、立ち入れないようになっていた。
 もう1人、駅跡の写真を撮っている人がいた。お互いに会釈すると、
「これから大橋の陸橋へ行きますけど、一緒に行きますか?」
 という有り難いお言葉。喜んで車に乗せていただく。お名前はあとで知ったのだが、Kさんという地元の方で、日立電鉄の廃線跡を定点観察し続けているそうだ。
 この出会いがなければ、僕の日立電鉄廃線跡めぐりは常北太田駅だけで終了、となるところだったが、常北太田駅を出てすぐの里川鉄橋、久慈浜駅までの各駅跡、大橋陸橋の跡などを案内していただいたおかげで、以下のレポートが可能になった。


 (常北太田駅跡)


 まず案内していただいたのが里川橋梁。一見すると現役時代と変わらず、今にも電車がやってきそうだが、鉄橋の前後はすでに線路も撤去され、架線も両端が切断されて垂れ下がっている。鉄橋の撤去作業は渇水期にしか認められず、恐らく今年の冬にでも工事が始まるのではないか、とのこと。
  (里川橋梁)


 続いて、小沢駅跡。今日は常陸太田市議会議員選挙の投票日で、“駅前”の公民館が投票所になっていた。ホームに10キロポストが転がっている。日立電鉄の起点は常北太田でも鮎川でもなく、常磐線との接続駅の大甕(おおみか)駅となっていて、小沢は大甕からちょうど10キロの地点にあった(常北太田からは1.5キロ)。



 常陸岡田駅跡(常北太田から2.5キロ)。相対式ホーム。太田寄りに岡田変電所の建物が残っている。



 川中子駅跡(常北太田から4.3キロ)。そばに川中子温泉がある。このあたりは田圃や畑の中に線路跡が続いていて、雑草が生い茂っているところもあるが、きれいに除草されているところもある。



 大橋跨道橋跡。この区間は橋脚を連ねた陸橋になっていた。下を通る道路は旧国道6号線(陸前浜街道)のため踏切にはできなかったとのこと。
 橋脚は写真の1基を残して、あとはすべて撤去済み。前後の築堤はまだ残っていた。現地に立つと、ほとんど民家の庭先を電車が走っていたのが分かる。



 大橋駅跡(常北太田から6.2キロ)。駅の脇に農業倉庫。駅前には人の姿を見ると吠える犬がいる。電車が来なくなって、犬も寂しかろう。



 茂宮駅跡(常北太田から7.2キロ)。緩やかにカーヴするホーム。ここまで田園地帯を抜けてきた線路はここから丘陵の裾を行く。



 南高野駅跡(常北太田から8.4キロ)。



 久慈浜駅跡(常北太田から9.4キロ)
 日立電鉄は常磐線の下をくぐって、そのまま短いトンネルを抜け、まもなく久慈浜駅に着く。広い構内は先週まで線路が残っていたそうだが、すべて撤去作業が終わっていた。



 日立電鉄の線路跡は次の大甕駅を経て鮎川まで続くわけだが、すでに線路の撤去はほぼ完了しているそうで、車両も残っていないようだ。

      おまけ

 日立電鉄の廃線探訪はここまでにして、Kさんに勝田駅まで送っていただいた。その途中でも2ヵ所のポイントを案内していただく。

 ひとつは村松軌道の廃線跡。村松軌道は現在の常磐線・東海駅(当時の石神)と阿漕とを結んでいた4キロ足らずの鉄道。村松虚空蔵尊(日本三大虚空蔵尊の1つ。初厄を迎える13歳で厄除けにお参りする習慣が茨城県一円にあるといい、Kさんもお参りに訪れたそうだ)への参拝客を運ぶ目的で大正15年に開業したものの、乗合自動車に客を奪われ、昭和8年に廃止になった短命の鉄道。石神から常磐線の西側を北上し、常磐線の下をくぐって東(海側)へ向かう、そのガード下の線路跡が今は道路になっている。そのガードのところに連れて行っていただいた。写真の道が村松軌道の跡で、ガード上は常磐線。また、常磐線のガードには大正時代の銘板が残っていた。こんな貴重な(そしてマイナーな)ポイントを知っているのはまさに地元の方ならでは、でしょう。



 最後に案内していただいたのが、勝田駅から隣接する日立の水戸工場への専用線。現在は写真のように踏切部分で線路が封鎖され(ただし、柵は移動可能)、使用されていないようだが、1993年まで通勤列車も走っていたそうだ。晩年はバッテリー機関車が元東急6000系2両を引っ張っていたという。勝田駅構内の西端にホームが草に埋もれて残っていた。
踏切の工場側 同じ踏切の勝田駅側 勝田駅のホーム跡



 とにかく、これだけの廃線めぐりができたのはKさんのご好意のおかげで、ひたすら感謝、感謝です。本当にありがとうございました。
 Kさんは茨城県の鉄道に関するサイトを運営されていて、県内の鉄道路線(JR、私鉄、廃線)を完全にカバーされています。貴重な情報も多数あるので、興味がある方はぜひ訪ねてみてください。

    茨城県の鉄道趣味のページ  


    戻る     トップページへ

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください