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鎌倉サイクリング 2000.4.8
世田谷の自宅を5時半に出発して自転車で鎌倉方面へ出かける。R246〜境川自転車道という馴染みのルートで8時15分に片瀬海岸に着いた。ここまで56キロ。
浜辺でおにぎりの朝食後、海を見ながら鎌倉方面へ向かう。昨秋から僕の中では吉川英治ブームで、『新・平家物語』(講談社、吉川英治歴史時代文庫、全16巻)、『私本太平記』(同・全8巻)を立て続けに読んだので、腰越では源義経主従のことを考え、稲村ヶ崎では新田義貞の鎌倉攻めを思ったりする。
鶴岡八幡宮にやってきた。ちょうど桜が満開で、朝から多くの人が訪れている。
境内の源平池には陽気に誘われたアオダイショウがいて、また、桜の木にも大イチョウの周辺にもタイワンリスがいる。リスは今や鎌倉ですっかりお馴染みの動物になった。
イチョウの木の下には小鳥が1羽。全身が濃い灰色で、翼に黒い縦斑がある。クロジ? そんな名前が浮かぶ。実際に目にするのは初めてだが、図鑑で見た記憶がある。リスが食べ残したヒマワリの種を探すのに夢中のようで、真上から見下ろすように写真を一枚撮っておいた。
次に訪れたのは源頼朝の墓。鶴岡八幡宮の東側、鎌倉初期の政庁があった大蔵(大倉)幕府跡を見下ろす山の麓にツバキやタブの照葉樹に囲まれて、それはある。茶店があり、店先でリスに餌付けをしていて、たえず木々がざわついている。タイワンリスは相当な数がいるようだ。
頼朝の墓から急な小道をさらに歩いて登ると崖に開いた横穴(鎌倉ではヤグラという)の中に大江広元の墓もある。頼朝が政治顧問として京都から招き、幕府の政所別当(長官)に任じられた人物である。
自転車に戻って、さらに東へ行くと鎌倉宮。祭神は太平記の時代の大塔宮・護良(もりなが)親王。後醍醐天皇の皇子である。鎌倉幕府打倒を企て隠岐に配流となった天皇に代わって各地の武士に挙兵を呼びかけ、ついに討幕を果たしたものの、その後、足利尊氏と対立して捕らえられ、鎌倉の東光寺の土牢に幽閉され、暗殺された。建武2(1335)年、親王は28歳であった。その東光寺の跡に明治天皇の勅命により明治2年に造営されたのが鎌倉宮である。境内には護良親王が幽閉されたと伝えられる土牢が今も保存されていた。
鎌倉の街の東のはずれまで走ると、僕の好きな寺の一つ、瑞泉寺がある。境内にはムラサキダイコンの花が咲き乱れ、梅の梢では2羽のエナガが戯れていた。
さて、鎌倉のような街では自転車の機動力が本領を発揮する。瑞泉寺から一気に北鎌倉まで走り、明月院参道沿いの葉祥明美術館へ。ここも鎌倉へ来るたびに訪れるお気に入りの場所。
素敵な絵を眺めて、また鎌倉に戻り、海辺で昼食の後、江ノ島・湘南港の灯台がある板張りのデッキで休憩。ここは船の甲板みたいに真下が海で、気持ちがいい。
花祭りで賑わう竜口寺に立ち寄った後、藤沢・町田経由で帰るが、途中、境川沿いの道は猛烈な向かい風で閉口した。18時45分帰宅。走行距離は148.9キロ。
檜原・都民の森 2000.4.29
みどりの日に檜原村へサイクリング。5時25分に出発。甲州街道〜新奥多摩街道〜睦橋通り経由という、いつものルート。新緑の丘の彼方に真っ白な富士山がくっきりと見える。
ハナミズキの咲く五日市街道を走り、7時45分に五日市駅前を通過。檜原街道に入り、秋川渓谷に沿って山奥へ向かい、8時45分に檜原村役場のある本宿に着く。
ここからは南秋川沿いに奥地へ進む。新緑の山々のあちこちでミソサザイが歌声を聞かせ、キビタキのさえずりも耳に届いた。五日市あたりで耳にした「チチチッ、チチチッ」という鋭い声の主が初めは分からなかったが、上川乗の渓流でキセキレイが同じ声で鳴いていた。なんだ、キミたちだったのか。
山ツツジや山吹が咲き、平地ではとっくに終わった桜の花もまだ残る山道は自然も豊かだし、道端の石仏や石塔が古い歴史を語りかけてくれる味わい深い道でもある。
谷が開けて少し空が広くなると人里の集落。人里と書いてヘンボリと読む。その由来については諸説あるそうだが、確かなことは分からない。遥か遠い昔に渡来人が住みついた場所として古代朝鮮語と関連づける説もあるが、いずれにしても歴史の古い土地のようだ。お婆さんに「おはようございます」と挨拶された。
秋川渓谷もいよいよ狭まり、いつも通りに笛吹(これでウズヒキと読むそうだ)あたりで息切れして、最後の2、3キロはヘロヘロになって数馬には9時20分着。兜造りと呼ばれる屋根を杉か檜の皮で葺いた古い民家が多く残る、檜原村の最も奥に位置する集落で、五日市からの路線バスもここが終点である。標高はもう700メートルに近い。10分休憩。
数馬からは奥多摩周遊道路の最大9〜10パーセントの連続勾配をグイグイ上る。山々は常緑の針葉樹以外は、ようやく淡い萌黄色の芽吹きが始まったばかりで、まだ早春の色である。
ウグイスやセンダイムシクイ、ミソサザイの声が盛んに聞こえるが、小鳥の声や雄大な風景を楽しむ余裕はほとんどなく、バテバテのノロノロ運転で、10時15分に標高1,000メートル付近の都民の森にたどり着いた。ここまでの走行距離は71キロ。さすがにこんなに高い所まで登ってくると、ちょっとした達成感がある。
都民の森
は三頭山の中腹に広がる山岳森林公園で、総延長23キロにも及ぶ散策路が整備されている。今日はこの中を少し歩いてみよう。
森の中核施設である森林館からコガラの声を聞きながらウッドチップを敷き詰めた歩きやすい散策路を15分ほど行くと三頭大滝。南秋川の源流・三頭沢の水が流れ落ちる落差33メートルの滝である。滝の正面に吊り橋がかかっている。
ここから沢沿いの山道が始まる。これを登っていくと三頭山の山頂に通じている。たまには山登りでもしてみるか。
ミソサザイの声を聞きながら登るうちに思わぬ鳥の声がして、思わず耳をそばだてた。コマドリである。去年、北海道で聞いた、あの突き抜けるように響く金属的な声がするのだ。北海道では海岸近くでも鳴いていたが、本州では標高の高い山でないとなかなか声を聞けない鳥である。姿を見るのはもっと難しく、僕もまだこの目で見たことはない。
やがて、沢沿いに立派な望遠レンズのついたカメラをセットした人たちが集まっていた。コマドリの姿を狙っているのだろう。薄暗い森の中に苔むした倒木があり、いかにもコマドリが出そうな場所だ。ここで待っていれば会えるかもしれない。それにしても、やけにたくさん声がする。
「ずいぶんたくさんいるんですねぇ」
そばにいたおじさんに小声で話しかける。
「いや、これだよ」
おじさんは何やら小型の機器を取り出した。なんとコマドリの声を収録したテープを流しているのだ。こうすると、なわばりを侵害されたと勘違いした本物がやってくるという寸法である。そんな「おびき出し作戦」をみんながやっているので、付近一帯にコマドリの声がやたらに響いているのだった。なんだ、すっかり騙された。紛らわしいったらありゃしない。東京の山は油断できない。
「あ、来た来た。あそこに…」
誰かが小声で囁き、その場に緊張感が走る。シャッターチャンスを逃すまいと、みんなカメラを構える。
果たして、コマドリはまんまと騙されて、山奥から出てきた。そして、みんなの狙い通りに近くの倒木に小さなオレンジ色の姿を現わした。まさかこんな場所で会えるなんて…。コマドリは苔むした岩や倒木をひと通りパトロールして、やがて低空で僕の頭上を飛び越して、背後の林の中に姿を消した。これまでにも各地でいろいろな野生生物に会ったけれど、この感動は最上級だ。
さて、帰りも自転車で走ることを思えば、体力の消耗は避けたいところだが、そう考えながらも、息を弾ませつつ、ようやく芽が膨らみ始めたばかりのブナの自然林を上へ上へと歩き続け、ついに標高1,527.4メートルの三頭山の頂上に立った。時刻は12時40分。たくさんのハイカーが弁当を広げている。
山梨県側には真っ白な富士山が見事に聳え、反対側には奥多摩湖が深い緑色の水を湛えているのが眼下に見える。まだ冬の色を残す林ではゴジュウカラが丹念に木の幹を調べて回っていた。
5分ほど休んだだけで、尾根伝いの道を少し急ぎ足で下って、昔の甲州道の鞘口峠を経て1時間で森林館に戻った。
14時には再び自転車の人となる。帰りは1,000メートル近い標高差を下っていくわけだから基本的には楽である。これから風張峠を越えて奥多摩町へ抜けることも考えたが、素直に来た道を引き返すことにする。
数馬までの5キロを急カーブとクルマに神経をつかいながらもビュンビュン飛ばして5分余りで下り、檜原温泉センター「数馬の湯」で山登りの汗を流す。ある意味でこれが今日の最大の楽しみだったかもしれない。
15時に数馬をあとにして、朝と同じルートで19時に帰宅。今日の走行距離は143.9キロ。
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