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鹿島鉄道の旅 1999年12月23日
久しぶりに小さな旅に出る。
今回の目的は鹿島鉄道。常磐線の石岡から霞ヶ浦の北側を通って鉾田へ通じる27.2キロのローカル私鉄である。鉄道というのは旅の手段であって、目的にするのは変なわけだが、なかには一度は乗ってみたい鉄道というのもあるものだ。
11時53分に石岡に着き、まずは駅前のハンバーガーショップで腹ごしらえした後、鹿島鉄道の切符を買おうとしたら、土曜・休日にかぎり1,100円の「一日フリーきっぷ」が発売されていることがわかった。石岡〜鉾田の片道運賃が1,080円だから、断然お得である。
駅の窓口で尋ねると、鹿島鉄道のホームで売っているとのこと。JRの係員が改札を素通りさせてくれたので、そのまま入場して、跨線橋を渡って鹿島鉄道の乗り場へ行くと、切符を買うには石岡までの乗車券が必要だという。それはそうだ。そうでないと不正乗車をしても分からない。でも、すでに石岡までの切符は僕の手元にないので、結局、また橋を渡って改札口まで戻り、僕が石岡からの乗客であることを示す入場証明をもらってこなければならなかった。それなら最初からJRの改札係がそう言ってくれればよかったのに。ぼんやりしていたのだろうか。
とにかく、無事にフリー切符を手にして、列車を待つ。次の鉾田行きは12時31分発である。
ところで、この鹿島鉄道。かつては日本最大の非電化私鉄・関東鉄道の一員で、鉾田線といったが、関鉄4路線のうち不採算の筑波線と鉾田線が1979年に経営分離され、それぞれ別会社となった。筑波鉄道(旧筑波線)は結局、1987年に命脈尽きたが、鹿島鉄道は何とか生き延びているのだ。
側線にはDD13−171という凸形のディーゼル機関車と一緒にキハ431という可愛らしい気動車が休んでいる。クリームと朱の塗色といい、2枚窓の前面といい、実に懐かしい感じの骨董品のような車両である。あとで知ったことだが、これは北陸の加越能鉄道の加越線(石動〜庄川町、1972年廃止)で走っていた車両だそうだ。ほかには北海道の夕張鉄道出身の車(キハ714)もいるらしい。
その431がおもむろに動き出し、いったん引上線に入った後、ホームに入線してきた。それが鉾田行きである。
筑波鉄道はボックス型の座席が多かったが、これは緑色のロングシート。そこにまばらに乗客が座っている。乗務員は運転士だけのワンマン運転。
12時31分に動き出した列車はエンジンを唸らせながら、勾配を上り、左へカーブしていく。
のどかな田園風景が広がるのかと思いきや、意外に宅地化が進んでいる。後部運転台の窓ガラス越しに線路がまっすぐ伸び、その彼方に筑波山が霞んでいる。
石岡南台、東田中と過ぎて、玉里で上り列車と行き違い。新高浜、四箇村と進んでも、まだ住宅が並んでいる。今はガラガラだが、ラッシュ時には混雑するのだろうか。
常陸小川はわりと大きな駅で、ここまでは運転本数も多い。構内にはひどく錆びついたディーゼル機関車が放置されている。DD901という番号プレートがついていた。
ようやく住宅地が途切れて、冬枯れの田園風景が広がり、小川高校下を過ぎるころから右に霞ヶ浦が近づいてきた。あとでこのあたりで途中下車して、湖畔を歩いてみよう。
冬の陽射しの中、桃浦、八木蒔、浜と進み、湖畔を離れて玉造町に到着。今年の夏の北海道ツーリングの時、大洗へ向かう途中に休憩した駅である。まだ記憶が鮮明で、つい最近のことのようだが、あの日は35度の猛暑。そして今はもう冬。あの暑さが妙に懐かしい。
次の榎本にはオイルタンクが隣接し、貨物側線もあった。近くに航空自衛隊の百里基地があり、鹿島鉄道は燃料輸送を担っているという。石岡駅で見た機関車がタンク車を引いて走るのだろう。筑波鉄道が廃止され、鹿島鉄道が生き残った1つの要因かもしれない。(その後、鹿島鉄道の燃料輸送は廃止されています。)
列車は丘陵地を切り通しで抜けては平地へ下るという繰り返しで、冬枯れの田圃やススキ野原や笹ヤブや杉林の中を行く。カラスウリの赤い実が印象に残った。
仮宿前、巴川、坂戸と停まって、13時24分に終点の鉾田に着いた。1本の線路の両側にホームがあって、いかにも終着駅らしい雰囲気。古びた駅舎にも独特の味がある。
列車はわずか2分で折り返すが、これは見送り。といっても、鉾田ではべつにすることもなく、しかも、次の列車まで1時間半近くあったので、ちょっと後悔した。
駅の南側に広がる湿地帯のヨシ原を眺め、近くの書店で郷土史や茨城の自然に関する本などを立ち読みして時間をつぶし、14時52分の石岡行きに乗る。
今度はキハ601といって、旧国鉄キハ07の改造車。3枚窓の平板な前面が個性的というか珍妙というか。いかにも取ってつけたような改造車ならではの顔である。
初めはワンマン運転だったが、榎本で行き違い列車から車掌が乗り移ってきて、ここから2人乗務となった。
15時23分着の桃浦で途中下車。列車の行き違い施設はあるが、こじんまりとした無人駅である。
少し歩くと静かな湖畔に出た。このあたりは霞ヶ浦の最北端に近く、西に筑波山、東には夏に立ち寄った霞ヶ浦ふれあいランドの展望タワーが見える。青い空と白い雲が映る揺らめく水面にはカイツブリがいて、なんだかとてものどかな気分。すでに冬の太陽は西に傾き、もうしばらく待てば対岸に沈む夕陽が見られそうだが、それより先に次の列車の時刻が近づいてきた。
桃浦15時57分発。今度はKR−501という新型車両で、面白みはないけれど、乗り心地は格段によい。この車両は先刻、榎本で行き違った列車の折り返しで、さっき榎本で車掌が降りてしまったから当然ワンマンだったが、今度は常陸小川で対向列車から車掌が乗り移ってきた。このあたり、比較的乗客の多い石岡近郊区間は2人乗務となるように人員のやりくりも工夫しているようだ。
住宅地の彼方に太陽が沈み、16時22分に石岡に着いた時には駅に灯りがともっていた。あとは常磐線に乗れば、東京までは1時間半である。
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