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《ドン行自転車最果て行き》 2001年8月


  日本海岸を行く (小樽〜浜益〜初山別)

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    小樽の朝                    

小樽の公園で迎える朝。テントから出ると、オレンジ色の太陽が早くも海の上でギラギラと輝いていた。気温18度。
 夜露でテントのフライシートがびしょ濡れなので、野球グラウンドのバックネットに引っ掛け、陽に当てて乾かす。
 早朝から地元の人が次々と犬の散歩にやってくるが、観察していると、みんな車で来て、公園をぐるっと一周して、また車で帰っていく。北海道ではちょっと近所へ行くにも自動車を使うというが、なるほど徹底している。

 6時20分に出発。街なかのローソンで紅茶とサンドウィッチとヨーグルトを買って、運河に沿った遊歩道のベンチで朝食。朝早くからもう観光客が散歩している。通りかかった若い女性客が話す言葉は中国語だった。
 電光表示の温度計によれば7時過ぎで気温
19.4度。とてもさわやかで、運河の水面に映る空は真っ青だ。

     石狩湾

 7時05分に小樽の街をあとに国道5号線を札幌方面へ走り出す。ただし、札幌へは行かず、ここからは日本海に沿ってひたすら北をめざして突っ走る予定。とにかく今日は行けるところまで行くつもり。

 小樽から札幌にかけて鉄道は石狩湾の海辺を走るが、国道は丘陵地帯を行く。そのため起伏が激しく、予想以上にきつかった。気温20度の表示があったが、早くも汗が額から流れ落ちる。
銭函駅 時折、眼下に見下ろす石狩湾はまだ積丹の海と同じ美しさで、エメラルドのような輝きの中に岩礁が透けて見える。


 海岸線を離れて札幌市街へ向かう5号線と別れ、小樽から19キロ走って函館本線の銭函駅前に8時17分に着いた。駅舎は北海道らしい建築様式で、名前にもご利益がありそうだ。ここで少し休憩。

 銭函からは
国道337号線に入り、小樽市札幌市の境界付近を北東へ向かうと、やがて石狩市に入る。このあたりは大都市近郊の新しく開かれた土地らしく、平坦で広々としているが、工場や物流倉庫が目立ち、殺風景な印象。海は見えない。道路の幅は広いが、交通量はさほどでもない。
 15キロほど走って左折、国道231号線に入ると、今度は大渋滞だった。札幌と留萌方面とを結ぶ幹線道路で、海水浴へ向かう車が多いのだろう。今日は日曜日である。それにしても、北海道で道路がこんなに渋滞しているのを初めて見た気がする。こちらは渋滞とは関係なく、広い歩道をスイスイ走る。しかし、暑い。

 
231号線を6キロほど北へ行くと石狩川を渡る。河口が近いので、川幅は広く、橋も長い。その橋の上で大きなリュックサックを背負った青年に追いついた。
「ずっと歩いているんですか。頑張ってください」
 夏の北海道では徒歩旅行者を結構見かける。ライダーをもじって、トホダーと呼ばれている。旅の原点はやはり自分の足で歩くことだとは思うが、なかなか真似はできない。

(前方に望来の集落が見えてきた)

 ずっと平坦だった道が上りになり、しばらく見えなかった石狩湾が左手に再び見えてきた。渋滞も徐々に解消して、石狩市から厚田村に入り、丘陵地帯を越えると
望来(もうらい)という海辺の集落に着く。ここには海水浴場があり、賑わっている様子。ここまで小樽から53キロ、時刻は1040分。あまりに暑いので、冷房の効いたセイコーマートで涼む。

 望来
11時に出発。国道はここでいったん海辺を離れて、内陸を迂回するが、丘を越える短絡ルートがあるので、そちらを選ぶ。真っ青な空に白い夏雲がぽっかりと浮かび、海も輝くように青い。カンカン照りの陽射しは肌を刺すようだが、吹く風はさわやか。暑いけれど、熱気が肌にまとわりつく本州の暑さとは質が違う。

 再び国道と合流してアップダウンの連続で海沿いを行き、1150分に厚田村の中心集落に到着。小樽から64キロの地点。ここでまたセイコーマートがあった。コンビニはどこも家族連れや若者で大繁盛である。僕もここでおにぎりと割子そばなど買って日陰のベンチで昼飯にする。陽が当たらない場所は涼しくて気持ちがいい。

 たっぷり休憩して1240分に厚田を出発。まもなく「安瀬」という土地があったが、これで「ヤソスケ」と読むらしい。うーむ。
 その安瀬からは海岸まで山が迫って地形が険しくなり、トンネルや落石防護の覆道が続くようになった。豪快な海岸風景だが、昨日の積丹半島からずっと見続けてきた景色でもある。その積丹半島はキラキラ輝く石狩湾の彼方に薄青い影となって横たわっている。

 厚田村から浜益村に入ると、「濃昼」という土地がある。地図にも出ているから知っていたが、まさか「ゴキビル」と読むとは現地へ来て初めて知った。急峻な谷間にあるので、道はいったん沢沿いに上流へ遡り、谷が狭まったところを渡って、再び海岸へ出てくる。

 その濃昼から北の海岸線は切り立った断崖絶壁が続くので、道路は海岸を避けて、山の中へ入っていく。地図上には曲がりくねった旧道も描かれているが、「通行止」の文字があるから、すでに廃棄されてしまったようだ。いま走っている道は新しく立派な道路である。
 強い陽射しを浴びながら、延々と続く坂をふうふう言いながら上っていくと、標高200メートル地点を過ぎたところで送毛(おくりげ)トンネル1,901m)に入り、そこから5キロ余り下ると毘砂別(びしゃべつ)で再び海岸に出て、まもなく浜益の中心集落に着いた。このあたりは砂浜が続いて、海水浴客で大変な賑わいだ。浜はキャンプ場にもなっている。
 ここまで小樽から94キロ。時刻はまだ1450分だが、この先も難所続きなので、今日はもうここまでにしよう。洗濯物が溜まっているので、陽射しのあるうちに洗濯をしたいというのもある。
 というわけで、混雑する浜益川下海浜公園キャンプ場の片隅に場所を見つけてテントを張り、真っ先に洗濯。コインランドリーはないので、スーパーの買物袋に水を溜め、そこに洗剤を入れて、とりあえずTシャツ3枚をジャブジャブと洗う。自分のテントとキャンプ場の柵の間にロープを張って、洗濯物を干せば、あとは明朝までに乾いてくれることを祈るのみ。そうでないと、もう着替えがないのだ。

 夕方になって、水田の広がる中を4キロほど内陸に入った地点にある浜益温泉に出かけて、村営の保養センターで汗を流してきた。ここも海水浴帰りの家族連れなどで大変な混雑だった。
 帰りにセイコーマート(本当にお世話になっています!)に寄って夕食と明日の朝食の買い物。弁当やパン、タコ・イカザンギ、お茶、酒など買う。タコ・イカザンギの「ザンギ」とは唐揚げのこと。東京では聞かない言葉だが、北海道ではごく普通に使うようだ。「鶏のザンギ」という風に。この言葉に接すると「北海道だなぁ」と思う。

 日没間近のキャンプ場に戻り、浜から突き出た防波堤の先端で夕陽を眺める。ほかにも夕陽を見る人たちがいたが、彼らは太陽が水平線に没するのを見届けると、「はい、おしまい」とばかりに引き上げていった。しかし、ちょっと待て、と言いたい。これは僕の持論なのだが、夕空の美しさとはつまり夕雲の美しさである。極言すれば、夕陽は照明であり、雲こそがむしろ主役といってもいい。そして、雲がひときわ美しく輝くのは、むしろ日没後なのである。夕焼け空に高く低く散らばる雲が刻々と位置を変え、姿を変えながら、残照に映えてほんのりと色づき、輝き、やがて儚く色を失って宵闇に消えていくまでの一部始終を眺めるのは至福の時間である。幸い、今日は雲の出ぐあいも程よくて、白鳥の群れのような雲がゆっくりと飛んでいた。

 今日の走行距離は103.8キロ。


  雄冬

 白々と明けた浜益のキャンプ場。気温は19.5度。天気は曇り。洗濯物はまだ微かに湿っているが、まぁ、仕方がない。6時に出発。
 今日も海辺の国道をひたすら北へ向かう。山あいに入ったり海辺に出たり上ったり下ったりして、紅白の灯台がある(ぽろ)の集落を過ぎると、やがてトンネルとシェルターの連続になった。なかでも最長のガマタトンネル2,060メートルもあり、長いトンネルの中で後続車の轟音が背後に迫ってくると、巨大な怪獣に追われているようで恐ろしかった。
 浜益から18キロ走って、7時ちょうどに雄冬岬に到着。10分休憩。
 暑寒別岳の山塊がそのまま日本海に没する急峻な地形で、断崖に滝がかかっている。「白銀の滝」というそうだ。崖の上では南方系のセミであるミンミンゼミが鳴いている。緯度でいえば、ミンミンゼミ発生地の北限とされる屈斜路湖の和琴半島よりもここは北に位置しているはずだが。
 浜益村から増毛(ましけ)町に入り、すぐに雄冬の集落を通過。かつては道路が通じておらず、増毛からの船便だけが頼りという文字通りの陸の孤島だった。この国道が全面開通したのは昭和561981)年のことだという。

   増毛

 シェルターやトンネルの続く険しい海岸線に沿ってひたすら走り、だんだん上り勾配になって山の中に入り、
別苅(おおべっかり)トンネル1,992m)を抜けると、長い下りが始まる。調子に乗って事故を起こさないよう心にブレーキをかけながらも、ぐんぐん加速して勢いよく下っていくと、まもなく平地に出て、やがて増毛の市街地に入った。髪の毛に不安のある人にとってはご利益のありそうな地名である。江戸時代から開けた港町で、かつてはニシン漁で栄え、いまも由緒ある歴史的建築物が多い。日本最北の造り酒屋もある。
増毛駅前
 ここにはJR留萌本線が通じている。その増毛駅を探し当て、しばらく休憩。ここまで
42キロ。時刻は850分。
 増毛は終着駅といっても、単線の線路にホームを添えただけの小さな駅で、駅員もいない。しかし、ホームに並んだプランターには夏の花が植えられ、線路際の草地にはタンポポモドキが賑やかに咲いている。駅の裏の小高い丘には紅白の灯台があり、なかなかいい感じだ。駅前には古くて風格のある木造3階建ての旅館があり、「富田屋」の文字が右から書いてあった。
 2年前に留萌駅で見た観光用のSL列車が今年も運転されていて、しかも、増毛まで乗り入れていることを、駅のポスターで知ったが、まだ当分来ないので、910分に出発。

   SLすずらん号

 すっかり穏やかになった海岸線に沿って、留萌に向かって走る。国道より一段高いところを鉄道が並行しているので、箸別、舎熊といった駅に寄り道する。

 (箸別駅と舎熊駅)

 舎熊の集落を過ぎたあたりだったか、海岸から飛び立ったアオバトの群れが目の前を横切って山の方へ飛び去った。あの緑色の野生鳩には海水を飲む不思議な習性があるそうだ。

 朝方は曇っていたが、青空が戻って、影が濃くなってきた。気温はせいぜい25度程度なのに、陽射しが強いせいで、非常に暑く感じる。日陰に入れば涼しいが、その日陰がほとんどない。
 留萌市に入って、浜辺のベンチで休憩。連日ハードなサイクリングをしているせいか、早くもバテ気味である。
 1040分頃、留萌市街手前で、留萌本線をオーバークロス。あと10分ほどするとSLが来るはずだ。おじさんが一人カメラをセットして待ち構えている。せっかくのチャンスだから僕もここでSL見物。
 蒸気機関車が好きで好きでたまらない、といった様子のおじさんの熱弁を聞くうちに1050分を過ぎ、まもなく黒煙をはきながら11171を先頭に「SLすずらん号」がやってきた。

     日本海オロロンライン

 2年ぶりに訪れた留萌の街で大休止。昼食後、再び日本海に沿って北上開始。ここからは2回目の道。今日は初山別まで行きたい。まだ75キロぐらいあるが、初山別の天文台に隣接したキャンプ場に泊まってみたい。
 ところで、日焼けで腕時計の跡がくっきり残るのが嫌で、今朝から時計を自転車のフロントバッグに入れていたのだが、もうどこかで落としてしまったらしく、見当たらない。まぁ、いいか。安物だし、サイクルコンピュータにも時計機能がついている。

さて、しばらくは起伏も少ない海辺の道。留萌から小平(おびら)にかけては海水浴場が続き、賑わっていたが、小平の集落を過ぎ、小平トンネルをくぐると、ほとんど無人の海岸が続くようになる。
 海に落ち込む丘陵の裾を縫うような国道232号線は通称が「天売国道」。天売とは羽幌町の沖合いに浮かぶ島の名前で、ウミガラスの繁殖地として知られている。ウミガラスはその鳴き声からオロロン鳥の別名があり、それにちなんで、この日本海岸ルートは「オロロンライン」とも呼ばれている。札幌と稚内を結ぶメインルートで、長距離路線バスも走っている。


 このあたり、かつては国鉄羽幌線(留萌〜幌延)が通じていたが、昭和62年3月末で廃線となり、その跡もすでに消えつつある。知らなければ、気づかないほどだが、時折、右手の丘陵に線路を失ったトンネルが虚ろに口を開けていたりする。

 留萌から25キロほどの地点に小平町の道の駅「おびら鰊番屋」。ここにはかつて北海道のニシン漁が盛況だった頃の網元・花田家の番屋が保存されている。明治37年頃の建築で、国の重要文化財にも指定されているそうだ。
 ここで自転車ツーリングの女の子を発見。彼女が北へ向かって走り出すのを見て、僕もそのあとを追走する。こう書くとストーカーみたいだが、女性はそれほど飛ばさないので、その後方で一定の間隔を維持しながら走ると、体力的にも気分的にも非常に楽なのだ。勿論、程よい速度で走ってくれれば男でもいいわけだが。

 時速20キロほどのペースを保つ彼女の後ろ姿を50100メートル先に見ながら、こちらも坦々とペダルを踏む。彼女が乗っているのはクロスバイクで、テントなどは積んでいないから、宿に泊まりながらのツーリングなのだろう。

 海を見下ろす丘の上に風力発電用の風車がずらりと出現すると苫前町で、(りきびる)を過ぎると海辺を離れ、だんだん坂が多くなる。途端に前方の彼女との距離が詰まり、急な上り坂でついに彼女が自転車を押し始めたので、やむなく「こんにちは」と声をかけて追い抜いた。自転車で一人旅というのが不思議に思える大人しそうな感じの子だった。
 苫前の中心集落でセイコーマートを見つけて、アイスを買って一休み。その間にまた彼女に抜かれたが、もうどうでもいい。それよりブレーキのゴムが磨り減って、効きが悪くなったので、近くの海岸で工具袋を取り出して調整する。ここにも海水浴場やキャンプ場があって、それなりに賑わっていた。

 苫前から先も相変わらずアップダウンが多く、時折、海を見ながら丘陵地帯を行く。
 1610分頃、羽幌町の中心市街にさしかかる。日本海に浮かぶ焼尻・天売両島へのフェリーが出る港町で、かつては石炭採掘で賑わった町でもある。人口は1万人足らずだが、留萌・稚内間に点在する町村の中では最も大きく、街路は碁盤の目状に整備されている。
 海岸通から少し奥まった位置にある旧羽幌駅跡は今はバスターミナルになり、鉄道時代の名残といえば、わずかに腕木式信号機などが保存されているばかりだ。
 鉄道駅に代わって国道沿いに道の駅が設置されているが、今日は通過。
「初山別21kmの標識が目に入る。すでに浜益からの走行距離は114キロを突破したが、もうひと踏ん張りだ。
 市街地を抜ければ、人家もまばらな丘陵地帯や原野ばかり。風景になんだか愛想がない感じで、ただひたすらアスファルトの路面だけを見つめ、急な坂を上ったり下ったりしながら、西陽を浴びて突っ走る。沿道の草むらでキリギリスがさかんに鳴いている。
 1640分頃、羽幌町から初山別村に入り、中心集落には1720分に着いた。
 初山別郵便局の前に「聚山別駅逓所跡地」の碑が立っている。駅逓は北海道開拓時代の道路交通の中継地点で、いわば道の駅の元祖とも言うべき存在。宿泊施設を備え、馬を飼育し、郵便業務も担っていた。その跡地が今は郵便局になっているというのは自然な流れではあるのだろう。
 その裏手にある羽幌線の初山別駅跡地も訪ねて、ここからキャンプ場のある金毘羅岬まで最後の上り。この区間、海に迫る丘陵の斜面にへばりつくような羽幌線のコンクリート橋が2年前(1999年)にはまだ健在だったが、すでにほとんど撤去されていた(写真は今も残る廃線跡)。

 すっかり疲れ果てて、1740分、みさき台公園キャンプ場に到着。浜益から140キロ。よく走った。
 すでにたくさんのテントが並ぶキャンプサイトの一角、海を見下ろす位置に空地を見つけて、テントを設営。
 敷地内には昭和44年初点灯の金毘羅岬灯台がある。「赤白横線塗、塔形、コンクリート造」で、灯質は「単閃赤光、毎4秒に1閃光」。地上から頂部までの高さは12.1メートル、水面から灯火までは55.6メートル。灯台の名称は海の安全を祈願して岬に金毘羅神社を祭ったことに由来するという。

    しょさんべつ天文台

 さて、公園のすぐ下にある岬センターで入浴後、同じ敷地内のレストランで夕食をとるうちに、太陽が沈んで、宵闇が訪れた。
 夜の楽しみはキャンプ場に隣接したしょさんべつ天文台(写真は翌朝撮影)。65センチ望遠鏡を備えた日本最北の天文台で、一般公開されているのだ。今夜は快晴、満天の星で、天の川が肉眼でもよく見える。
 親子連れなどに混じって、解説員の説明を聞きながら、順番に望遠鏡をのぞかせてもらう。
 初めに観たのは「はくちょう座」の頭部に位置するアルビレオ。3等星と5等星の二重星で、3等星の方は地球から300光年の彼方にあるそうだ。光の速度で300年かかる距離といっても、ピンと来ないが、1光年が大体10兆キロだそうで、300光年とはつまり3,000兆キロということになる。うーん、頭がくらくらする。しかし、300光年というのは広大な宇宙においてはごく近所みたいなものなのだそうだ。ますます頭がくらくらする。
 次に観たのは夏の大三角形の一角、「わし座」の1等星アルタイル。いわゆる牽牛星、彦星である。こちらは地球から17光年の距離。
「意外に近いんですね」
 そんな言葉が思わず口をついて出てしまった。勿論、実際にはあまりに遠くて、天体望遠鏡でも青白い光のかたまりにしか見えないのだが、アルタイルは太陽の1.7倍の大きさがあり、6時間で1回転という猛烈な自転速度のため、饅頭のように扁平な形をしているという。
 ちなみに織女星、「こと座」の1等星ベガは地球から25光年、アルタイルからも16光年の距離にあるそうだ。七夕の夜に織姫と彦星が年に一度の逢瀬を楽しむには両者の隔たりは絶望的なまでに大きいのである。
 その「こと座」にあるドーナツ状星雲M57も望遠鏡で見せてもらった。こちらは地球から2,000光年以上の彼方にあるそうだが、光のリングがぼんやりと見えた。
 その後も小型の天体望遠鏡で火星を観察したり、星空を横切る人工衛星が肉眼で見えたりしたが、宇宙が身近になったというより、あまりの遠さに気が変になりそうだった。
 本日の走行距離は141.6キロ。光の速度だったら…。
 明日は稚内をめざす。



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