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奥多摩周遊道路 1997年11月8日
東京の山奥に位置する檜原村と奥多摩町を結ぶ奥多摩周遊道路を初めて自転車で走った時の記録です。
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秋も深まって奥多摩の紅葉が見たくなり、自転車で朝5時半過ぎに世田谷の自宅を出発。少し肌寒い。
甲州街道、奥多摩街道、睦橋通り、五日市街道を経て、JR武蔵五日市駅前を過ぎ、ここからは秋川渓谷に沿って檜原街道をひたすら山奥へと上っていく。今日は思い切って奥多摩周遊道路を越えてみようと考えている。
檜原村に入って、北秋川と南秋川の合流点にある中心集落の本宿を過ぎ、ここからは南秋川沿い。この道は檜原村の最奥の集落・数馬まで9月に走ったばかりなので、記憶に新しい。前回はまだ夏の緑だった山々がすっかり色づいて美しい。
杉か檜の皮で葺いた屋根が特徴的な兜造りの民家が並ぶ数馬に着いたのは10時20分。自宅から69キロ。標高はもう700メートルに近いはず。きつい上り坂の連続で、すでにバテバテの状態。バス停のベンチに座り込んで、しばらく休憩。10分後にまた走り出す。
九頭竜神社前を過ぎ、しばらく上ると、「九頭竜の滝」の案内板があった。道端に自転車を止めて、沢へ下りてみたが、あまり大した滝ではない。体力を無駄遣いしてしまった。
いよいよ北秋川の谷もどん詰まりで、眼前に山が迫ってきた。山腹のかなり高い位置にガードレールが見える。あんなに上るのかぁ…。今まで経験したことのない標高1,000メートル以上の峠越えルートである。
奥多摩周遊道路は中学1年生の遠足の時にバスで通ったことがあり、急カーブと急勾配の連続する険しい道をどこまでも高く高く登っていったような印象が残っている。今年の夏に北海道ツーリングで標高740メートルの知床峠を越えて(といっても、ほとんど自転車を押して歩いたわけだが)、峠越えの魅力というものがなんとなく分かってきたような気がして、相当な苦難を覚悟しつつも、今回はこの道を走ってみようと思い立ったわけである。
かつて有料道路だった時代の名残の料金所跡を過ぎて、すぐに左手に岩肌を滑り落ちるような落差の小さい滝があり、「夢の滝」との看板が出ている。名前が陳腐なので、そのまま通過。
ここからは9〜10パーセントの急勾配が延々と続く。ヘアピンカーブを2つ曲がると、旧料金所はもう遥か眼下だった。
秋の陽射しは思いのほか強くて、汗が噴き出し、五日市に近い戸倉のセブンイレブンで買ったペットボトルの水がすでに残り少なくなってきた。峠まではまだまだ距離があり、水が貴重なのは分かっているが、少し進むごとにちびちびと口に含んでしまう。この先に「都民の森」というのがあるらしいので、そこで水の補給ができればいいのだが。
数馬から5キロ上って「都民の森」に着いた。檜原村の最高峰・三頭山(1,531m)の山腹に広がる豊かな自然林で、総延長23キロにも及ぶ散策路があるそうだ。駐車場はクルマやバイクでほぼ満車状態である。
期待していた通り、水場があったので、ペットボトルに水を汲み、ひと息ついてから、再び走り出す。
道路は右に左に曲がりくねりながらぐんぐん上っていく。こういう場所はバイク乗りにとって格好の遊び場になっているらしく、何人ものライダーたちが(表情は見えないけれど)嬉しそうに同じ区間を何度も往復している。走行シーンを写真やビデオで撮影している人もいる。行楽のクルマや観光バスも多くて、自転車で走っていると、けっこう神経をつかう。
やがて、浅間尾根展望台。浅間尾根はここから東へ峰を連ねて北秋川と南秋川の2つの谷の分水界をなす、いわば檜原村の背骨である。尾根の標高は大体800〜900メートル程度だが、現在地点はすでに1,000メートルに達しているはずだ。
ここから見渡す檜原村は本当に山また山で、これが東京の風景とは信じられないが、確かにここも東京都内である。夜になれば、東の地平線に大都会の夜景が遠く見えるのかもしれない。
さて、数馬から延々8キロ続いた苦しい急勾配がようやく緩やかになり、11時45分、ついに「風張峠」の標識が視界に飛び込んできた。道路際には「標高1,146M 奥多摩周遊道路最高地点」の札が立っている。我ながら自転車でよくもこんな高いところにまで上ってきたものだ。しかも、一度も自転車を押して歩くことなしにである。それだけに達成感も大きい。
下界では美しかった紅葉がここではもう終わりに近く、白樺はすっかり葉を落としてしまったし、楓の紅葉もカラマツの黄葉も色あせている。沿道に植えられた桜も赤や黄色の葉をわずかに残すばかり。そんな晩秋の山並みを眺め、いよいよ下りにかかる。
やがて左側の視界が開けて、遥か眼下に奥多摩湖の湖面がちらりと見えてきた。ここから湖畔までの600メートル近い標高差を曲がりくねりながら延々と下る周遊道路の道筋も見え隠れしている。これからあんなに下っていくのかと思うと背筋がゾクゾクする。
まもなく月夜見山(1,147m)の肩を回って、檜原村から奥多摩町に入ると、すぐに月夜見第2駐車場がある。標高1,089メートル地点で、ここからは小河内ダムが一望できる。明るい陽射しを浴びて、盛りを過ぎたはずの紅葉も鮮やかに映えている。
月夜見第2駐車場から見た小河内ダム(左)と第1駐車場から見た奥多摩湖(右)
さらに下ると、今度は993メートルの月夜見第1駐車場。こちらも絶好の展望地で、クルマで来た人々で賑わっていて、小さな売店もある。東京都の最高峰・雲取山(2,017m)を頂点とする山々が幾重にも重なりつつ秋の空に霞み、一方、下界に目を転ずれば、多摩川が刻んだ深い谷間を藍色の湖水が満たしている。その複雑に入り組んだ湖岸を縫うようにいくつものトンネルをくぐりながら続いている道路は青梅街道で、行き交うクルマが小さく見える。さぁ、行こう!
急カーブが連続するので、あまりスピードの誘惑に身を委ねるわけにはいかないが、それでも速度計の数字はたちまち時速50キロを突破。一歩間違えれば、大事故につながるので、前後から接近するクルマやバイクに気をつけながら慎重に下る。爽快ではあるけれど、気持ちは張りつめ、風景を楽しむ余裕はまったくない。
風張峠から13キロ、月夜見第1駐車場から9キロをビュンビュン風を切りつつ、ひたすら下り続けて、奥多摩湖畔の川野に着いたのは12時45分。ここに周遊道路の奥多摩町側の料金所跡があり、標高は544メートル。このあたりでは紅葉もまだまだ美しさを保っている。
奥多摩湖は言うまでもなく多摩川の流れをせき止めてできた人造湖であるが、現在地点は湖の最奥部に近い、多摩川と支流・小菅川の合流点付近。
まず小菅川にかかる三頭橋を渡り、続いて多摩川本流にかかる深山橋で湖の北岸へ移ると、国道411号線・青梅街道にぶつかる。これを左へ行けば山また山の峠道を越えて山梨県の塩山・甲府方面、右へ行けば東京方面である。左へ行ってみたいところだけれど、今日は右へ曲がる。
あとは奥多摩湖に沿ってひたすら東へ走る。
晩秋の彩りを映す湖面を右手に見ながら、短いトンネルをいくつも抜け、山襞を縫って、小河内ダムに着いたのは13時半。昭和32年に完成した、いわゆる「都民の水がめ」であり、観光客も多い。
(小河内ダムとダムサイトから見下ろした多摩川の峡谷)
ダムの上から多摩川の深い谷を見下ろし、13時45分に出発。相変わらず長短さまざまなトンネルが連続する下り坂で、蛇行する多摩川の峡谷を何度も渡る。景色はいいけれど、交通量が多くて、神経が磨り減る。特にトンネルは狭くて怖い。
そんな道路の左側の崖の上には鉄道の線路跡が見え隠れしている。小河内ダム建設の資材運搬用に敷かれた鉄道の跡で、観光用に復活させてはどうか、との声もあると聞いたが、どうなのだろう。下から見上げたかぎりでは、立派な橋やトンネルが連続していて、建設にはカネもかかっただろうし、景色もよさそうだから、このまま捨てておくのは惜しい気もするが…。
(ダム建設用鉄道の終点付近)
ダムから約6キロを20分余りで下って、ハイカーで賑わう奥多摩駅前に着いた。多摩川と日原川の合流点に位置し、集落の名は氷川といい、奥多摩町役場もある。標高は330メートルほどだというから、風張峠からすでに800メートルも下ってきたことになる。
しばらく休憩して、14時25分に奥多摩駅前を出発。
ここからはもうノンストップ。青梅までは多摩川の左岸を青梅線と並行して走る。基本的にだらだらとした下りが続くから、苦にはならないが、交通量が多いのは相変わらず。途中、すぐ後ろでカップルの乗ったクルマがハンドル操作を誤って車体の左前部を道路際の崖にガシャンとぶつけた時には、慌てて振り向いたこちらまで電柱に接触しそうになり、一瞬肝を冷やした。
14時57分に御岳駅前を過ぎ、青梅駅前通過は15時25分。そこからは奥多摩街道、甲州街道経由で18時25分に帰宅。本日の走行距離は171.4キロ。
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