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《海の道 自転車紀行》 1996年 夏
太平洋航路:東京〜新門司

 昨年(1995年)の夏、2泊3日で房総半島一周という初めての自転車旅行を経験した。それで味をしめて、今年の夏は思い切って九州まで行ってみることにした。といっても、実は行き先はどこでもよかった。昨年、自転車と一緒にフェリーで東京湾を横断したことで、もっともっと遠いところまで愛車を連れて船で旅をしたいと思うようになり、沖縄行きを除けば東京から最も時間のかかる東京〜新門司間のフェリーを選んだわけである。所要時間は実に34時間近い。そのわりに料金は安くて、2等なら12,000円であった。とにかく、船旅がしたくて、愛車と共に九州へと旅立つ。


     東京フェリーターミナル

 東京港の有明埠頭。ここは都会の僻地である。最新の観光スポットとして脚光を浴びる臨海副都心から目と鼻の先にありながら、運河を渡って「10号埋め立て地」と呼ばれる一角に入ると、途端に風景が荒んでくる。路上にはトレーラーがところかまわず放置され、信号機のない交差点を大型トラックが猛スピードで走り過ぎる。空き地には雑草が伸び放題に生い茂り、都市社会の管理システムの空白域みたいなところである。そんな埋立て地の先端部に東京フェリーターミナルはある。
 歩道をふさぐトレーラーの間をすり抜け、雑草を払いのけ、垂れ下がる柳の枝をくぐりながら自転車を走らせ、フェリー出航の2時間前に南ターミナルに着くと、すでに乗船手続きの列ができていた。

乗船を待つ これから乗るのは19時10分出航のオーシャン東九フェリーの徳島経由、新門司行き「おーしゃんいーすと」。ターミナルビルの背後に巨大な船体が見える。全長166メートル、総トン数11,500トンの立派な船で、1991年就航だから比較的新しい。
 窓口で乗船手続きを終え、「新門司」のタグを自転車に貼り付けて駐車場へ回る。バイクツーリングの人たちに混じって、自転車ツーリストも数人いる。僕はリュックサックだけだが、ほかの人はみんなキャンプ道具も一式積んでいるから、かなりの重装備である。

     乗船

 17時50分頃から係員の誘導で先に徳島までのバイクと自転車が乗り込み、続いて新門司行きのバイク、そして僕ら自転車がスロープを使って船内へ。あらかじめギアを軽くしておいて、一気に駆け上がった。

 車両甲板の片隅に自転車を残して、階段を上がるとメインデッキのエントランスホールで、ここには案内所、売店、レストランなどがある。本格的な船旅というのは初めてなので、妙にワクワクする。
 ところが、3階の2等室へ行くと気分は暗転。カーペット敷きの大部屋に毛布と枕のセットが隙間もなくズラリと並んでいて、係員が客に入室順に次々と割り当てている。
「今日はほぼ満席となっております」
 ということで、ぎっしり寿司詰めである。1人当たりの占有面積は長さ2メートル弱、幅60センチ程度か。しかも、隣は体重が軽く100キロは超えていそうな兄さんである。これではあんまりなので、特別に1人分のスペースを空けてくれたが、それにしても…である。災害時の避難所の光景を思い出した。
「でかくてすみません」
「なんか難民船みたいですね」
 これほど混んでいると、お互いにコミュニケーションのきっかけにはなる。彼は徳島で降りて、バイクで四国を一周するという。その隣の人は門司までで、福岡市へ帰る途中とのこと。彼もバイクである。とりあえず、船内の仲間ができた。空いていたら、こう簡単には行かない。

 家族連れも結構多く、部屋に4台あるテレビはどれも子どもたちに占拠され、アニメ番組ばかり。
 狭い場所でじっとしていても仕方がないので、船内施設をいろいろと探検していると、19時前からレストランが営業開始。さっそく行ってみる。
 カフェテリア形式で、トンカツや玉子豆腐など、あれこれ選んで、最後に精算すると1,020円になった。最初の夕食ぐらい乗船前に調達しておけばよかった。

東京フェリーターミナルを出港     出航〜東京港

 銅鑼が鳴った。いよいよ出航だ。夕涼みがてら甲板に出る。
 船を岸壁に固定していたロープが外され、船上に巻き取られると、船はゆっくりと動き出した。定刻より10分遅れの19時20分である。
 方向転換を終え、針路を定めた「おーしゃんいーすと」は白い航跡を描き始めた。
 フェリーターミナルのビルや深夜の出発を待つ苫小牧行きの「さんふらわあ」が少しずつ遠ざかり、暗い海を縁取る夜景がどこまでも広がっていく。
 東京都民のゴミ捨て場である埋立て地の黒々としたシルエットを右舷に見て、東京港の中央防波堤の灯台を過ぎると、船は東京湾を南へ向かう。
 羽田へ降りるジェット機が次々と頭上を通過する。空を飛べば、わずか1時間半の距離を、こちらは2泊3日の気が遠くなるほど遥かな海の旅路。浮き世離れとは正にこのことだが、世の中には浮き世離れした人々が予想以上にたくさんいたのだった。

     東京湾

 20時を過ぎる頃、横浜沖を通過。ベイブリッジが闇に浮かんでいる。左舷には房総半島の夜景もずっと続いている。
 さすがに東京湾で、タンカーや貨物船など航行する船舶が非常に多い。みんな暗い海を黙々と進んでいる。「おーしゃんいーすと」はそれらの船を追い抜いて、堂々と突き進む。この船の最大速力は25ノットだが、通常の航海速度は21.5ノットだという。1ノットは時速1.852キロだから、時速40キロ程度ということになる。ただし、交通量の多い東京湾内では厳しい速度規制があるそうだ。

 船内はいつしか落ち着いて、乗客もだんだんヒマを持て余し気味になってきた。子どもたちはゲームセンターに入り浸り、テレビコーナーでは巨人対ヤクルトの中継に人だかりができている。でも、今はテレビより甲板からの眺めの方がずっと面白い。

 船は三浦半島の沖を浦賀水道に向かって航行中。花火が次々と上がっているのは八景島あたりだろう。遠くて音は聞こえない。
 賑やかな夜景を隠す島影は横須賀の猿島。浦賀水道を照らす観音崎灯台も間近に迫ってきた。
 21時には観音崎を過ぎ、久里浜の夜景や剣崎の灯台が見えてくると、東京湾もそろそろ出口が近い。
 対岸の房総半島の方は町の明かりも乏しくなってきた。彼方では房総半島西端の洲崎灯台が微かに明滅している。昨夏の自転車旅行で訪れた岬である。夜更けの灯台の孤独な存在感というのは心にしみる。夜の船旅はいいなぁ、と思う。
ランプの点灯で現在位置がわかる
     船の時刻表

 ところで、エントランスホールの航路図には主要地点の通過予定時刻が示され、実際にそこを通過すると、地図上にランプが点るようになっている。メモしておいたので、順番に書き出してみる。

 東京19時10分、剣崎21時41分、伊豆大島22時52分、神子元島0時13分、御前崎1時51分、浜松3時25分、大王崎5時05分、尾鷲6時44分、潮岬8時51分、白浜10時06分、徳島12時30分着、14時00分発。日和佐15時52分、室戸岬17時37分、高知19時06分、足摺岬21時10分、宿毛22時52分、佐田岬1時01分、姫島2時31分、新門司5時00分着。

 船にもこれほど細かな時刻表があるとは知らなかった。どの程度正確に航行できるものなのだろう。

     夜の彼方へ

 夜風に吹かれながら夜の海を眺めていたら身体が冷えてきた。この船で嬉しいのはシャワーのほかに浴場もあって、深夜以外はいつでも自由に入れるということ。しかも、結構大きな風呂である。船の中でこんなにゆったりと湯につかれるとは思わなかった。寝床が狭いので、ここで存分に手足を伸ばす。

 東京湾を出ると、わずかに揺れを感じるようになるが、大したことはない。
 かなり高い位置にまで灯火が見えるのは伊豆半島。真っ暗な海に浮かぶ小さな町明かりは伊豆大島だろう。船から眺める遠い夜景にはしみじみとした旅情があって、その仄かな光の群れが忘れられない思い出へと昇華していく。
 深まりゆく夜の彼方へ「おーしゃんいーすと」は進み続ける。
 船内はパブリックスペースを除いて22時で消灯。歩き回る人も少なくなってきた。僕もそろそろ寝よう。


     真夜中の遠州灘

 夜中の3時頃、目が覚めた。どこかで誰かが寝言を言っている。
 そっと寝床を抜け出し、甲板に出てみた。もちろん、まだ真っ暗闇である。現在は遠州灘を西へ西へと向かっているはず。陸地は全く見えないが、北の空が仄かにぼーっと明るい。あの空の下に一晩中無数の光が瞬いているのだ。
 遠く離れた南の洋上には東へ向かう船の灯りがいくつか見える。日本近海では見渡すかぎり一隻の船も見えない、ということはまずないようだ。
 そして、星空。冬の星座のオリオン座が夏の未明の南東の空に姿を見せていた。

洋上の夜明け     洋上の夜明け

 もうひと眠りして、4時過ぎに再び目が覚める。そろそろ夜が明ける頃だ。そうなると、もう寝ていられない。
 船内の航路図には浜松まで緑色のランプが点灯して、次の目標地点は志摩半島の大王崎となっている。現在は愛知県沖だろうか。甲板に出てみると、すでに東の空が赤く染まっているが、雲が多いようだ。

 空も海もだいぶ明るくなった頃、左舷を行く「さんふらわあ」とすれ違う。高知発、那智勝浦経由の東京行きだろう。こんな大海原の真ん中で出会うと、手を振りたい気分になる。あちらの東京着は14時40分。お互いにまだまだ先は長い。

東京行きフェリーとすれ違う 「さんふらわあ」が水平線の彼方に遠ざかる頃、ようやく雲の間から太陽が顔を出した。ほかにも数人が甲板に出てきて、日の出を眺めている。

 明るくなるにつれて、陸影もはっきりしてきた。伊勢湾に出入りするらしいタンカーや貨物船の姿も多くなった。海も凪いで、さわやかな朝である。

     トビウオ

 果てしない海を眺めていて気がつくのは、この海域にはトビウオがたくさんいるということ。海面近くを泳いでいるらしく、船に驚いて、次々と飛んで逃げていく。
 観察していると、どうやら大小2種類のトビウオがいるようだ。
 大型種は大きな翼を広げて、数十メートルも一気に飛ぶ。
 一方、小型のトビウオは一度に10匹近い群れがパーッと飛び散るように逃げていく。ちょうど小石を水面に水平に投げた時のようにピョンピョンピョンと飛んで波間に消えていく。魚のくせにどうしてあんなに飛べるのか、不思議である。

     イルカ

紀伊半島沖。この辺でイルカに会う。 7時過ぎにレストランで朝食を済ませ、さすがに少し退屈を覚えながらも甲板で時間の大半を過ごす。船室で毛布にくるまって寝て過ごす人が多いが、それではあまりにもつまらない。船に乗った意味がない、とさえ思う。まぁ、ごろんと横になれるところに船旅の意義を見出している人もいるわけで、むしろ、そちらの方が現代人としては普通の感覚かもしれない。
 とにかく、とても満ち足りた気分で、船の最前部のデッキから穏やかな熊野灘や紀伊半島の山並みを眺めながら、イルカでも出てこないかなぁ、とぼんやり考えていたら、船の前をイルカの群れが横切っていった。
「あっ、イルカがおった!」
 隣で小学生の男の子も声をあげる。野生のイルカは日本近海でも珍しくないそうだが、僕は初めて見た。けっこう感動する。

     潮岬

本州最南端・潮岬 8時45分頃、紀伊半島の先端で本州最南端の潮岬が近づいてきた。岩礁に囲まれた緑の丘に白い灯台がすっくと立っている。船内にもアナウンスが流れ、カメラを持って大勢甲板に出てきた。
 それにしても、静かな海である。「おーしゃんいーすと」はまさに滑るように進んでいく。これでは船に弱い人でも酔いようがないのではないか、と思うほどだ。
 ただ、空は薄曇りで、陽射しも弱々しい。ぎらつく夏の太陽の下、真っ青な海の上を航海していくイメージを抱いていたのだが、全然違う。しのぎやすいが、物足りなくもある。

     紀伊水道

 のどかな航海の果てに四国の山並みが見えてきた。想像していたよりも険しそうな印象である。
四国が見えてきた 四国最東端の伊島を過ぎて、紀伊水道にさしかかると、海面にゴミが目立ってくる。ビニール袋やポリ容器、発泡スチロール、板切れなどが浮いている。船舶の数も多くなったが、トビウオはもういない。
 空は完全な曇り空に変わり、四国の上空はとりわけ雲が低い。海も青さを失い、鉛色に沈んでいる。今後の天気が気になる。

 11時からレストランでは昼食の営業開始。しかし、今回は節約して自動販売機のカップラーメンで済ませた。運賃は安くても、乗船時間が長いから、けっこう出費がかさむのである。

東京行き「おーしゃんうえすと」 正午頃、この船の姉妹船「おーしゃんうえすと」とすれ違う。昨夜新門司を発った東京行きである。出発地が19時10分発で、目的地に翌々日の早朝5時到着というのは上りも下りも一緒だから、両船が出会う地点がちょうど航海の中間地点ということになる。やっと半分だ。

     徳島に寄港

 
東京から17時間余り。前方に淡路島も見えてきて、徳島の津田埠頭には12時30分に接岸。吉野川河口南側の寂しいところで、フェリーターミナルの建物も小さい。周囲には四国山地から伐り出された木材が山積みになっている。
 一晩隣同士だった巨体の兄さんはここで降りるので、僕も福岡の彼と一緒に車両甲板へ降りて見送った。
「なんか寂しくなっちゃったなぁ」
徳島港に寄港 客の大半が下船して、船内はすっかり閑散としてしまった。徳島には1時間半も停泊するので、まだ徳島からの乗客は乗ってこないが、もう昨夜のような混雑はなさそうだ。
 と思ったら、乗船開始とともにまたまたドドッと乗ってきて、もとの賑やかさに逆戻り。今度は特に家族連れが多い。

     シュモクザメ

 14時の定刻通りに徳島を出航した「おーしゃんいーすと」は先ほど通ってきた紀伊水道を再び南下する。太平洋が荒天の時は瀬戸内海経由の第2航路が設定されているが、今日は海も穏やかなので、太平洋回りである。
 徳島で積み込まれた新聞を買って、船内価格130円の缶コーヒーを飲みながら目を通し、その後は再び甲板で海を見ていたら、大きなシュモクザメがすぐ下を悠々と泳いでいた。頭がハンマーみたいな形をしたやつである。野生のサメというのも初めて見た。

高知沖を行く     高知沖

 17時半過ぎには室戸岬を回る。ここからは土佐湾の外縁をまっすぐ足摺岬へ向かうので、陸地が遠ざかっていく。
 周囲を取り巻く太平洋の無限の広がりを眺めていると、地球の表面の大部分は水なのだという当たり前の事実が実はとても不思議なことだと思えてきた。

 2度目の夕食を福岡の彼と共にしていると、稲妻が光って雷鳴が轟いた。窓がいつしか雨に打たれている。単なる夕立ちならいいが、新聞の天気予報だと明日の福岡地方はどうやら雨らしい。降られると困るのだが…。

 ところで、この船で一番のお気に入りはやっぱり展望風呂である。昼間にも一浴したが、三たび入浴しようとして驚いた。風呂が大しけ。ちょうど足摺岬沖を通過中だが、いつの間にか船が揺れ出し、それに合わせてお湯も激しく波打って、バッシャ-ン、バッシャーンと大量に溢れ出している。湯船に身を沈めると、波にのまれてひっくり返りそうになった。
 とにかく、明日は九州上陸。いい天気になるといいけれど。


夜明け前の新門司港に到着     新門司港到着

 「おーしゃんいーすと」の新門司港到着は早朝5時。実際にはもっと早く着いて港外で時間調整をしていたようで、目が覚めた時には窓外に見える船舶や港湾施設の灯はすべて静止していた。九州なので、夜明けが遅く、まだ真っ暗である。
 船内の電灯がつき、外より先に朝が来た。身支度を済ませ、甲板に出てみると、空には星が出ている。いきなりの雨中走行は避けられたようだ。
 航路図はすでに新門司に赤いランプが点灯し、これで東京からすべてのランプが繋がった。1,185キロ、33時間40分の遥かな旅はついに完結しようとしている。
 船がゆっくりと動き出した。新門司港に着岸である。船内では下船準備がととのい、出口付近に眠そうな目をした人々が集まってきた。
 車両甲板へ降りて、ベルトで固定された自転車を解放してやる。甲板内にクルマやバイクのエンジン音が充満し、ヘッドライトが乱反射する。さぁ、改めて出発だ。
さぁ、出発だ! 接岸作業が完了して、ハッチが開くと、スロープを一気に下って九州に上陸。
 あとから福岡の彼もバイクでやってきた。もうひとり、福岡に帰省するという大学生も一緒である。
「じゃあ、気をつけて」
「いい旅を…」
 別れの言葉を口々に交わして、走り去るバイクのテールライトを見送り、僕もゆっくりとペダルを踏み出した。



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