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《東京の水辺》
 江戸城のお濠めぐり〜内濠編 Part1(桜田濠〜二重橋〜和田倉濠)

 皇居を取り巻く一連のお濠が内濠で、江戸・東京の歴史を感じさせる景観が多く残り、外国人観光客も多いところです。皇居西側の半蔵門前から反時計回りに内濠をめぐってみました。


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地図の下方が北です。

 


     桜田濠

 
東京の都心に向かう場合、どちらの方角からアプローチしても、最終的にはどこかで皇居のお濠端に出るわけですが、できれば、まずは皇居西側の半蔵門前でお濠端に出ることをお薦めします。地下鉄なら半蔵門駅で下車。新宿通りを歩いて内堀通りに突き当たり、半蔵門の交差点の横断歩道を渡ります。半蔵門に向かって右が桜田濠、左が半蔵濠ですが、ここは右へ行きましょう。すると、眼下に桜田濠の絶景が広がります。僕は東京の絶景No.1だと思っています。道路から水面までの標高差がかなりあり、スケールは全く違うものの、北海道の摩周湖展望台に立った時と似た気分になります。どちらも、ある種の神聖さを感じさせるのです。違うとすれば、摩周湖が自然の神秘なのに対し、桜田濠の聖性は歴史に由来するものだということでしょう。また、摩周湖は深いブルーの印象が強いのに対して、桜田濠は明るいグリーンの印象です。

 さて、半蔵門から桜田濠に沿って桜田門へ向かいましょう。僕はここを歩いたこともサイクリングしたこともありますが、とりわけ自転車で走る時の気分は何とも言えず素晴らしいものがあります。なにしろ、ずっと下り坂です。美しいお濠の風景を眺めながら、風に吹かれて走る爽快感は格別です。もちろん、歩行者やジョギングをする人がたくさんいるので、注意しながら、ゆっくり下りましょう。車道(内堀通り)からではこの絶景は楽しめないので、歩道を通れる歩行者と自転車だけの特権です。

 (半蔵門から見る桜田濠)


柳の井     柳の井

 桜田濠に沿って三宅坂を下っていくと、途中に柳の井の説明板が立っています。濠の斜面の水際近くに柳の木が1本立っていて、そのそばに井戸があります。内堀通りの反対側にあった井伊家の上屋敷(いまの憲政記念館、国会前庭北地区あたり)の門前にあった桜の井と並んで名水として知られ、江戸の人々に親しまれたということです。ふだんはなかなか見ることができませんが、ちょうど草刈り作業の直後に通りかかったら、ちらりと井戸らしいものが見えました。

(桜田門付近から半蔵門方面を眺める)


     桜田門

 坂を下るにつれて、桜田濠の水面が近づいてきて、やがて、大老・井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)で有名な桜田門が見えてきます。正式には外桜田門といい、枡形門が完全な形で残っています。
 枡形門とは防備のための二重の門です。比較的小さい最初の門(高麗門といいます)をくぐると、濠や石垣に囲まれた方形の空き地があり、通常は左側または右側に第二の門があります。このため城内に侵入しようとする敵勢は直進できないようになっています。そして、第二の門は渡櫓(わたりやぐら)という形式で、門の上部に櫓があり、ここから弓や鉄砲で敵を狙い撃ちして殲滅するのです。しかも、外部からは枡形の中が見えにくいため、敵の後続部隊からは門内で何が起きているか分からないようにもなっています。外桜田門の場合、高麗門を入ると、正面と左側が濠で、右側が渡櫓です。
 このような枡形門は江戸城の内濠、外濠に架かるほとんどの橋に設けられ、厳重な警備が行なわれていました。
 万延元(1860)年3月3日、大雪の朝、井伊直弼は上屋敷から60名ほどの供を従えて登城する途上、外桜田門を目前にして水戸の藩士らに襲撃され、暗殺されたのです。

 桜田門をくぐれば皇居外苑で、二重橋方面へ行くことができますが、ここは桜田門を見物しただけで、再び内濠の外周を進むことにします。


     凱旋濠

 桜田濠は桜田門の内側へ入り込み、二重橋の架かる二重橋濠に続いています。
 代わりに桜田門から祝田橋までの濠が凱旋濠です。
 桜田濠が自然の地形を生かした曲線美をみせていたのに対して、こちらは石垣に囲まれた直線的な濠で、まったく印象が異なります。
 祝田橋交差点で内堀通りは皇居外苑方面に折れますが、ここから平川橋付近まで日曜日はサイクリングコースとして開放され、貸し自転車もあります。
 ちなみに、祝田橋は江戸時代にはなく、凱旋濠と次の日比谷濠は一体だったようです。




広々とした水面を広げる日比谷濠     日比谷濠

 祝田橋の交差点を渡ると日比谷濠です。皇居外苑を囲むように直角に曲がった濠で、内濠の中で最も水面標高の低い濠でもあります。それもそのはずで、江戸時代の初めまで、ここは日比谷入江と呼ばれる海でした。家康の時代に埋め立てられ、埋め残されたのが日比谷濠です。

 江戸時代にはここに日比谷見附の枡形門があり、日比谷公園内に石垣が残っています。また、日比谷公園に入ってすぐの心字池も江戸時代の濠の跡で、今の帝国ホテルと日生劇場の間あたりを通ってJRの線路付近で外濠に繋がっていました。この濠も海を埋め残したものだと思いますが、明治時代には埋め立てられてしまい、心字池が唯一の名残です。

 日比谷濠の水は浄化され、送水管によって桜田濠に送られているそうです。


馬場先濠     馬場先濠

 
日比谷濠に沿って北へ行くと、すぐ馬場先門です。かつてはここにも石垣に囲まれた枡形門がありましたが、明治時代に撤去され、現在は何も残っていません。そして、ここから次の和田倉門交差点にかけての濠が馬場先濠です。そして、通りの反対側は丸の内のビジネス街で、濠をはさんで対照的な眺めが続きます。
 では、馬場先門跡から皇居外苑へ入ってみましょう。



楠木正成像     皇居外苑(皇居前広場)

 芝生に黒松の風景が美しい皇居外苑は皇居前広場とも呼ばれ、いつも国内・海外からの大勢の観光客で賑わっています。
 ここは江戸時代には「西の丸下」と呼ばれ、老中など幕府の重臣の屋敷や有力大名の屋敷が集中していました。
 広場の南東に高村光雲による楠木正成像(馬は後藤貞行作)があり、楠公(なんこう)像として親しまれています。



     二重橋

 馬場先門からまっすぐ皇居へ向かうと二重橋です。お濠の向こうは旧江戸城西の丸で、現在は皇居ですから、もちろん一般人が渡ることはできません。
 桜田濠から直接つながるお濠には2本の橋がかかっています。手前の橋は有名な石造りのアーチ橋で、正門石橋といいます。この橋を渡って西の丸大手門の中に入ると、180度方向転換して、もう一度濠を渡ります。この橋は正門鉄橋と呼ばれています。一般的には、この2つの橋の総称が二重橋ということになっています。しかし、本来の二重橋は奥の鉄橋のことで、かつて木製の橋だった時代、濠が深くて橋脚が立てられないため、橋桁を渡して土台にし、その上に橋脚を立てて橋を渡していました。橋桁が二層式になっていたことから二重橋と呼ばれたのです。
 橋の彼方には伏見櫓が見え、みごとな景観です。

(正門鉄橋と皇居の奥へ続く二重橋濠)

(二重橋から北へ伸びる二重橋濠)


坂下門と蛤濠     坂下門と蛤濠

 二重橋から皇居外苑を北へ二重橋濠に沿って進むと坂下門です。西の丸に続く坂の下に位置しているので、この名があり、現在は宮内庁への通用門となっています。
 ここは文久2(1862)年、「坂下門外の変」の現場となったところです。幕府の安定をはかるため朝廷との公武合体を推進する老中・安藤信正は14代将軍・徳川家茂のもとに孝明天皇の妹・和宮を降嫁させましたが、これに憤激した尊王派の志士によって信正が坂下門外で襲撃され、負傷して失脚した事件が「坂下門外の変」です(殺されそうになった上に失脚させられたわけですから理不尽というか気の毒な話ですが、そのぐらい幕府の権威も権力も低下していたということでしょう)。

 坂下門から北側の濠は蛤(はまぐり)濠といいます。直角に折れ曲がった濠で、この内側は江戸城の本丸(現在の東御苑)です。


桔梗門     桔梗濠

 
蛤濠に沿って進むと、次の門が見えてきます。これが桔梗門で、正式には内桜田門といいます。この門があるため、いわゆる桜田門は正しくは外桜田門というわけです。
 桔梗門は江戸城本丸方面へ通じる門で、明治以降は門内に枢密院が置かれ、現在は皇宮警察本部があります。従って、一般人が門の中に入ることはできません。
 このあたりから本丸南端に位置する三層の富士見櫓がまるで天守閣のような姿を見せています。江戸城の天守閣は3代将軍・家光の時代に火災で焼失し、それ以後は再建されることはありませんでした。従って、それ以降はこの富士見櫓が天守閣のような役割を果たしていたそうです。

 桔梗門を過ぎると、お濠は桔梗濠と名を変えます。蛤濠より水位が低く、水が流れ落ちているのを見ることができます。
 お濠は桔梗門から東へ伸び、内堀通りにぶつかると直角に曲がって北へ続き、江戸城の正門だった大手門に至ります。その曲がり角で水面に白い影を映しているのが巽櫓(たつみやぐら)です。本丸の辰巳(南東)の方角にあるので、この名があります。桜田二重櫓ともいいます。 

(桔梗濠と巽櫓。奥に桔梗門。富士見櫓の屋根もちらりと見える。)


和田倉濠と和田倉橋     和田倉濠

 大手門から城内に入る前に和田倉濠を見ておきましょう。
 和田倉濠は皇居外苑の外側、日比谷通りに沿って馬場先濠の北に続く濠です。2つの濠を隔てる和田倉門の交差点を東へ行くと突き当たりが東京駅で、赤レンガの駅舎を望むことができます。濠はパレスホテルの前で直角に西に折れて、皇居外苑の北東端を囲んでいます。
 江戸時代には濠の曲がり角付近から東へも濠が伸びていました。道三濠といい、今の東京駅北方のJRの線路を越えたところで外濠(呉服橋付近)に通じていました。この水路により江戸城と隅田川、さらに江戸湾が結ばれていたわけです。江戸に入府した家康がまず掘削させたのがこの濠で、築城に必要な物資の運搬に利用されましたが、明治42年に埋め立てられ、現存しません。

 さて、昔の和田倉門は今の和田倉門交差点より北側に位置し、和田倉橋が復元され、門跡の石垣が残っています。そして、この門の内側が和田倉噴水公園です。昭和36年に皇太子殿下(今の天皇陛下)御成婚を記念して噴水がつくられたのが始まりで、その後、改修され、さまざまな噴水が美しい水の景色を演出しています。

 (和田倉噴水公園)


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