Takamura planning

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京都府/天橋立 (2007.1.20)


 『カニが食べたい』と『股のぞきがしたい』から始まった旅行企画、ひろくん、じゅんちゃん、あゆみん♪、綾ぴょん、筆者と計5名で行く事になりました。宿泊場所と目的地以外はまったく決めていない行き当たりばったりのこの企画、果たしてどうなることやら。
 まずは1日目は京都府宮津市へ。もちろん目的は『天橋立』で『股のぞき』です。


レンタルサイクル

<レンタルサイクル>

 さて、この『天橋立』は全長が約3.6kmであり、自転車で『天橋立』を渡りたいこともあったのでレンタルサイクルを借りました。『天橋立』は砂地と思っていましたが意外に走りやすかったですね。風が心地よかったです。
 しかし、『天橋立』で貸し出しているレンタサイクルは"赤"ばっか・・・。何故だろう?

松並木道(昼)

<松並木道(昼)>

 『天橋立』を走ると写真のような感じが延々と続きます。約8000本の松の中には名前をつけられている松も多く、例えば『蕪村の松(松の絵を描いた与謝蕪村にちなみ命名された松)』などがあります。結構数があるのでじっくり探しながら歩くのもいいかもしれませんね!
 また途中松の木にはホースがかけられています。『天橋立』のように、海にこれだけ近い環境で松が育つのは不思議だったんですが普通にこのホースで水をあげるそうです。なるほど。しかし、このような塩水が近い環境で松が育つのは未だに解明されていないそうですョ。不思議ですね〜。

松並木道(夕方)

<松並木道(夕方)>

 そして、『天橋立』も夕方になると幻想的な景色を見せます。夕日と松の葉が絶妙ですね!『天橋立』に行くならこの景色を見てから帰りたいもんです。ちなみに景色を重要視したためか外灯がまったくありません。という事は夜は真っ暗になるのかしら?

皇太子殿下御手植松

<皇太子殿下御手植松>

 『天橋立』を渡る途中に皇太子殿下が明治40年5月13日(!)に御手で植えられた松がありました。今から何十年前になるんだろ?ちょうど写真中央に傾いている松がそれですね。倒れないようにいくつも支えがありました。そりゃ倒れたら一大事ですもんね(爆)。

大砲

<大砲>

 これも『天橋立』を渡る途中にひっそりとあります。海軍思想普及の為に大正12年2月5日に海軍大臣より下府されたものらしいです。スペックは以下の通り
 名称 40口径安式15センチ砲身
 製造会社 明治35年イギリス、アームストロング
 砲身価格 1万6千円(安っ!)
 重量 約5トン
 長さ 6メートル40センチ
 砲丸重量 45キログラム
 発射弾有効距離 12,500メートル
 発射弾飛行時 38秒
 弾丸火薬 1発価格100円(安っ!)
 元搭載艦名 軍艦春日

作業船

<作業船>

 『天橋立』とはまったく関係ないですが途中このような工事船が係留されていました。で思わず「へぇ〜」っと。あんな大きなアンカーを浜辺に打ち込むんですね。それも2本も。それで作業船を固定するんですね。こういうのを見ると思わず興味を持ってしまいます。

籠神社

<籠神社>

 『天橋立』を渡ると『籠神社』があります。『天橋立』はその昔は『籠神社』の境内であり、参道だったそうですョ。まず境内に入ろうとすると剣豪岩見重太郎に前足を切られたというユニークな経歴を持つ"狛犬"が迎えてくれます。
 『股のぞき』が出来る『笠松神社』に行くにはこの『籠神社』を通らねばなりませんが、中にはいろいろとお守りがあり、見ているだけで結構楽しめます。ちなみに筆者は"恋人おみくじ"を引きましたが結果は"中吉"でした。うーん。微妙・・・。内容は"O型との相性はいいとの事"。是非お待ちいたしております(爆)。
 また境内には"天照大神和魂社""春日社""猿田彦社""真名井稲荷""倭宿禰命像"が並んでおり、壮観でした。

府中駅

<府中駅>

 『籠神社』を通って古風な裏参道を抜けると、いよいよ『股のぞき』が出来る『笠松公園』行きのケーブルカーが出ている『府中駅』につきます。大人320円を払ってケーブルカーに乗り込みます。

ケーブルカー

<ケーブルカー>

 初めてケーブルカーに乗りましたが最初は床が傾いているので何か変な感じを受けます。乗ったときに見える急傾斜に「これはのぼらんやろ〜」と思っていたら意外にスイスイと急傾斜を登り、その時はちょうど床が平らになるので普通に立っていられます。また中間地点ではケーブルカー同士がすれ違うときは迫力です。時間的には4分程度です。

天橋立

<天橋立>

 さて、いよいよやってきました『天橋立』。もともと『天橋立』は伝承によると神代の昔、天にあった男神イザナギノ大神が奥宮真名井神社の磐座にいらした女神イザナミの大神のもとに通うための梯子が倒れて天橋立になったと伝えられているそうです(宮津天橋立観光案内参照)。ロマンチックな話ですね〜。
 実際は日本海の荒波が、岬から土砂を運んでできた砂浜で出来ており、それを砂嘴といい、また宮津湾を二分し、左側を与謝の海、右側を阿蘇の海といいます。

股のぞき

<股のぞき>

 その『傘松公園』の中に股のぞき台が3つありました。股のぞきの仕方は写真の通りです(写真の出演はひろくんです)。上手くいくと天地が逆転し、まさに天に架かる橋のように見えるそうです。
 ちなみに筆者は股のぞきを試みましたがお腹が支えて見えるのは地面ばかりでした(爆)。

輪

<輪>

 そしてもう一つ、傘松公園の所にヘンチクリンな輪っかがありました。近くに土で出来たフリスピー形状のものが3枚セットで売っており、それを投げて輪っかの中を通すと願いが叶うそうです。一緒に行ったメンバーではじゅんちゃんのみが成功しましたね。しかし残念な事に誰も見ていませんでしたが(爆)。ちなみに筆者は・・・聞かないでください(T_T)

豪華料理

<豪華料理>

 さて、待ちにまった豪華カニ料理です。「煮カニ」「焼きカニ」「生カニ」・・・。もうカニ尽くしでした。何故消費者が黙々とカニの皮剥きに夢中になるのか原因が分かった気がします。皮が剥き終わった後、カニの身を食べたときのあの甘みは言葉にしようがありません。もうカニ最高っ〜って感じです。しょっちゅう食べれるものではないですが1年に一度は食べたいですね!
 また温泉も最高で特に露天風呂はよかったです。筆者は行った時ちょっと腰痛だったんですが温泉に入ることで治りました。温泉のありがたみを改めて実感しましたね。非常にリフレッシュできた旅行でした。


兵庫県/出石 (2007.1.21)


 昨日、あれだけカニを食べ続けて今日はお腹が減らないのかと思ったらしっかりお腹が減っていました(笑)。本日は兵庫県出石町へ。もちろん目的は『そば』です。
 行きの車の中では筆者は爆睡。その際はひろくん、ご迷惑をおかけしましたm(__)m


出石城下町

<出石城下町>

 『天橋立』から自動車で2時間弱、兵庫県出石町にやってきました。丹波の小京都というだけあって昔ながらの日本家屋が並びます。その城下町にあるお店もいろいろ種類があって見飽きませんね。そばアイスクリームから丹波牛の肉まんまでつまみ食いしながら歩くものきっと楽しいと思いますョ。そのせいか観光客も多く、非常に活気がありました。
 朝市もやっており、もの凄く安い!また厄除け(唐辛子を紐で結んで吊るす物)も多く売られていました。

辰鼓楼

<辰鼓楼>

 さて、その出石城下町でのシンボルとなっているのがこの『辰鼓楼』です。『辰鼓楼』は明治4(1871)年に旧三の丸大手門脇の檜台に建設されました。建設当初、太鼓櫓とも呼ばれ太鼓により時刻を知らせていました。この建物に明治14年、医師・池口忠恕氏が大時計を寄贈しました。まだ時計などあまりなかったこの時代、この大時計を寄贈する為に職人2人に時計技術の習得をさせたそうです。今では3代目の時計が時を刻み続けています。

出石城

<出石城>

 その『辰鼓楼』の後ろには有子山(321メートル)があり、頂点には天正2(1574)年に山名氏政が築城した髙城跡があり、山麗には慶長9(1604)年に小出吉英が築いた平山城が明治まで存続しました。今ではこの平山城の事を『出石城』と呼んでいるようです。
 朱の鳥居をくぐって本丸跡までいくと意外に小さいことに驚かされます。城全体としてもかなり小さかったと思われます。また発掘途中のせいかいろいろと発掘道具がまとめられていましたね。写真のように基礎の形状はわかりました(苦笑)。

出石城隅櫓

<出石城隅櫓>

 その『出石城』の跡には昭和43年に復興した『隅櫓』があります。これがあると"城"って感じがしますね。ちなみに『隅櫓』の入り口の前には"発掘調査現場事務所"という看板が。それを見た途端に興ざめしてしまいました。でも未だに発掘しているんですね〜。いつかは本丸も復活させてほしいもんです。

鳥居

<鳥居>

 山麗から中段の出石城、その上にある稲荷神社までの石段にはずっと朱の鳥居が続きます。こういう中を歩き通るのはあこがれていたんですが、石段を歩くのに精一杯で感激に浸る暇はありませんでしたね(失笑)。でも非常に綺麗でしたョ。

稲荷神社

<稲荷神社>

 そして朱の鳥居を抜けて行き着く先は『稲荷神社』です。『稲荷神社』でお参りをしたあと、そこから城下町を見るとまさにタイムスリップをしたような印象を受けます。ちょっとした感動と心地よい筋肉痛にしばらく浸っていました。

本陣

<本陣>

 さて、運動(?)もして空いたお腹を満たす為に昼食を食べる事にしました。もちろん『皿そば』です。城下町にはたくさん『皿そば』を食べさせてくれるお店があり、その中で『本陣』を選びました。『本陣』は『辰鼓楼』の近く(というか正面)にあります。入り口から風情を感じさせるものがあり、お店の低い梁に頭をぶつけつつ、細い階段を2階へ上がっていきました。注文して待つ間のお茶が非常においしく(何だったか忘れましたが・・・)。『皿そば』を楽しみに待ちました。

皿そば

<皿そば>

 しばらく待つとやってきました『皿そば』。まさに皿にそばが載っていましたね(笑)。1人5枚で5人分、合計25皿がやってきました。そばつゆに山芋、卵、薬味を入れてそばを漬けて食べるとこれがまた美味しい!そばのコシもあり、あっという間に25皿完食、さらに5皿追加しました(爆)。
 もともと何故『皿そば』が有名かというと、宝永3(1706)年に出石藩主松平氏と信州上田の仙石氏がお国替えになり、その際、仙石氏と供に信州から来たそば職人の技法が存来のそば打ちの技術に加えられ誕生したそうです。その後、出石焼が始まり白地の小皿に盛る文化が確立されたそうです。なるほど。出石皿そばのルーツは信州そばだったんですね!そりゃ美味いはずだわ(笑)。

マンホール

<マンホール>

 さて、好評(?)のマンホールシリーズ、今回は出石バージョンです。ちょっと汚れていて見にくいですが花(何の花だか分かりませんが)と『辰鼓楼』があります。これからもこのシリーズを続けていきますのでよろしく。


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