このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
レーシングドライバー
■中嶋 悟■
我が師匠であり師でもある中嶋悟様です。言わずとしれた日本人初のF1ドライバーですね!現役を引退したとはいえ、サーキットにいると存在感がありました。TIサーキットは限られた場所とはいえピット上に入れるので入ってみるとちょうどNakajima Racingのまん前でした。そこに陣とっているとピットから中嶋監督の姿が!(上写真)。もう感動以外の何者でもありませんでした(泣)
。 そして予選が始まったら中嶋監督はピットのモニターをじっと見ていました。で、予選が終わり、T.コロネル選手がピットからのそのそと。中嶋監督の隣に座ってしばらく話していました。その時に中嶋監督がT.コロネル選手に「お前、脇が臭いぞ」といい、「え、ほんまですか?」とT.コロネル選手が脇を嗅いでいる写真・・・かどうかは判りません(笑)(写真下)。
■星野 一義■
元祖"日本一速い男"の星野一義選手です。レースは9月でしたがまだ残暑が厳しく暑かったです。レーシングカーの中はもっと暑いんでしょうね。星野一義選手は予選が終わったら汗だくになってピット裏まで来て上半身を脱いで涼んでいました。ちょっとドキッとします(笑)。貴重なショットだと思いませんか?
元祖"日本一速い男"の星野一義選手です。5年ぶりの再会ですがあまり変わりませんね(笑)
今回のレースではピットとサロンとの間に通路があってパドックパスがあればその通路を行き来できるので、待ち伏せしていれば会うことができました。2003年に残念ながら引退しましたが人気は健在、多数の人垣が出来ていました。ピットまで行くのが大変そうでした。ちなみに胸ワッペンの"nismo"の"o"はいつから赤になったんだろ?
■高木 虎之介■
高木 虎之介選手です。モータースポーツ界では一躍時の人となりましたがご存知ですか?高木選手は元F1ドライバーであり、1998年には中嶋悟がF1の時に在籍したチーム、「Tyrell」で、1999年には「Arrows」で走っていました。
2年間のF1を経て日本最高峰の「Formula Nippon」に戻ってきたんですが、"出戻り"といった感は否めず、あまり期待していない中での10戦中8勝、ポールポジション6回とダントツの速さを見せチャンピオンになりました。
そして翌年、アメリカのCart(後にIRL)に参戦、2004年まで参戦の後2005年から国内レースに復帰しました。
こう書くと波乱万丈の人生ですね〜。しかし、日本、ヨーロッパ、アメリカとそれぞれのトップフォーミュラを経験しているんですから凄いですね!実は筆者は高木選手は好きになれなかったんです。何故か?それはレースクイーンと結婚したから(爆)。でも今回で『いい人だ』と思いました。何故か?それは高木選手がサインペンを持って積極的にサインしていたから(爆)。用意していればいいんですが用意していないと選手のサインはなかなかもらえないんです。でも高木選手はそうではなかった。あぁ〜、いい人だ〜。ということでサインをもらいました。でも他の選手に比べ人が少なかったですね。時とは残酷なものです(泣)
■土屋 圭一■
ドリキンこと土屋圭一です。解りやすい解説とドリフトで有名ですね。また、AE86=土屋圭一というぐらいAE86使いとしても有名です。今でもNSXやメルセデス・ベンツを自家用車として持っているのにAE86も大事に持っているところが本当に好きなんだと思わせますね。土屋圭一のビデオもいろいろ見ましたが、メーカーの人間がよくいう「これとこれとこれをチューニングすると速くなりますよ」というのがなくて「ちょっとしたチューンでコレだけ速くなるんだよ」という逆アプローチ的な考え方に好感が持てます。人気者なのもわかりますね!
ちなみに左側にいる顔半分切れているのは我が友人のケイスケ君です。
※AE86とはトレノ・レビンの事をいいます。走り屋なら知らない人はいない程の名車です。
■中谷 明彦■
我が師匠とも言うべき中谷明彦選手(右)です。理論派ドライバーと言われており、三菱のエースドライバーとして活躍しています。三菱ファンの筆者としては神様というべき存在ですね。新型ランサーなどがデビューするとインプレッションなどを必ずやりますが話が解り易く、また説得力があります。ちなみに左側にいるのは木下隆之選手です。鼻くそをほじっている訳ではありません(笑)
2年後の中谷明彦選手です。写真のせいか若くなって見えます。この頃になるとスーパー耐久1本に絞って参戦していました。2年前はじっくり?観察できませんでしたが今回マジマジと見てみると身長は意外に小さく小柄でした。ドライバーはこういう体格じゃないといけないんでしょうね(筆者は絶対無理!)。しかしサングラスが非常にお茶目に見えるのは筆者だけでしょうか(笑)。
■黒澤 琢也■
GN+クラスにアルテッツァで参戦している黒澤選手です。何で黒澤選手が好きかというと「和風マンセル」と言われるように非常に熱い男だからです。レースでも他車に譲らず怒られることもしばしば。でもこんなドライバーがいるからこそレースは面白いんです。F1もみんなシューマッハタイプのドライバーだったら面白くないもんね。今レースはS耐しか出ていませんが他のカテゴリーにも参戦してほしいもんです。
■新井 敏弘■
あまり聞き覚えのない選手かもしれませんがラリードライバーで世界に通用する日本人です。1990年にBC地区戦(東北、関東) クラスチャンピオンを獲得して以来、ラリーに次々と参戦し、2005年にはPCWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)でのチャンピオンを含め輝かしい戦績を残しています。スバルのワークスドライバーですね。
しかし、ドライバーはそうかもしれませんが小さいんですよ。話すと面白いしいい人です(笑)
■増岡 弘■
毎年行われる鈴鹿ラリーフェスタに今年も行ってきました。今回は増岡選手がゲストとして来ていました。画像はデモランした後ピットに戻ってきたところを捕まえて写真を撮ってもらいました。他にもファンサービスもやってくれて非常にいい人でした。「パリダカがんばってください!」としか声をかけられませんでしたが、その甲斐あってか一ヶ月後のパリダカでは見事総合優勝しました。しかし、筆者はデブですねぇ(笑)
■ペドロ・ラミー■
元F1ドライバーです。1993年の第13戦、イタリアGPからロータスでデビューを果たし、1994年までロータスで、1995〜1996年までミナルディで走りました。国籍はポルトガルになります。地味ですが堅実ないいドライバーです。
■ベルント・シュナイダー■
元F1ドライバーです。1988年にザクスピードからF1デビューを果たし、1989年にはザクスピード・ヤマハで鈴木亜久里のチームメイトとして参戦しますが16年戦中14戦で予備予選落ち。決勝に進出したのは2回のみで2回ともリタイアでした(ちなみに鈴木亜久里は全戦予備予選落ち)。それから1990年にはアロウズ・フォードからスポット参戦を果たします。
1991年はIMSA、1992〜1994年はDTM、1995年にはDTM、ITCの両方でダブルチャンピオン、1996年はITC、1997年にはFIA-GTでチャンピオンを獲っています。名実ともにメルセデスのエースですね!国籍はドイツになります。
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