Takamura planning

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京都府/梅小路蒸気機関車館 (2006.8.3)


 さて、今回は京都にある『梅小路蒸気機関車館』に行ってきました。梅小路公園内にあるこの施設は母方の実家が近くにあることもあり、ずっと気にはなっていたんですが、なかなか行く機会がありませんでした。今回平日に時間がとれたこともあり、やっと重い腰を上げて行く事にしました(笑)
 で、感想。思ったよりも楽しかったですね!大人の方が楽しめると思います。それもいい歳をした大人が(苦笑)。また機会があれば是非行ってみたいと思います!読者の皆様も近くにお越しの際には是非行ってみてください。
 なお、下には保存されている蒸気機関車と解説文を書き出していますが解説文はパンフレットを一部流用しています。余談ですが蒸気機関車の形式称号は1928(昭和3)年に定められた車両称号規定によるもので、動輪(実際に動く車輪)の軸数をアルファベットで表したものと、数字で組み合わされています。
 名称の頭文字が"A"は動輪1軸、"B"は動輪2軸、"C"は3軸、"D"は4軸、"E"は5軸を表しており、アルファベットの後の数字で10〜49はタンク機関車(台車のない機関車)、50〜99はテンダー機関車(台車のある機関車)となっています。その後に続く数字は製造番号になります。つまり『D51』の場合、「動輪が4軸あり、台車のあるテンダー機関車」ということになります。


旧二条駅舎

<旧二条駅舎>

 まず、『梅小路蒸気機関車館』に入るにあたって一番最初に出迎えてくれるのがいい雰囲気の木造建築『旧二条駅舎』です。
 この旧二条駅舎は、日本最古の木造駅舎で、当時私鉄であった京都鉄道株式会社が1904(明治37)年に、本社の社屋も兼ねて建設されたものだそうです。1996(平成8)年嵯峨野線(山陰線)の高架化のために、その役割を終えることになったそうです。ということはつい最近まで使われていたんですね〜。今は資料展示室になっています。


扇形車庫と転車台

<扇形車庫と転車台>

 さて、『梅小路蒸気機関車館』のメインとなる『扇形車庫と転車台』です。
 まず「扇形車庫」ですが、その姿が扇を開いた形が名前の由来の蒸気機関車の車庫です。明治時代の車庫はレンガ造りの長方形なものが一般的でしたが、大正・昭和の蒸気機関車黄金時代になると、より多くの車両を収納できる「転車台」と一体になった扇形車両が建設されるようになりました。梅小路の「扇形車両」は1914(大正3)年に建設されましたが、残存しているものは少なく貴重な存在なんだそうです。
 扇の要にある「転車台」は、任務を終えて帰ってきた蒸気機関車を乗せて方向を変え、「扇形車庫」に機関車を収納します。この方法は現在でも見る事ができます。結構迫力ですよ!


9600型9633号車

<9600型9633号車>

製造期間 1913年〜1926年
製造車両数 784両
全長 16.6m
重量 94.8t
動輪直径 1,250mm
最大出力 980ps
最高速度 65km/h
愛称 キューロク

 当時を代表する貨物用機関車です。この蒸気機関車は貨物用ですので動輪直径が1m25cm(!)になっています。今の電車ではこの大きさは考えられませんね!また他の特徴としては先輪が1軸で、砂箱や蒸気だめが低く作られており、全体が重厚になっています。『8620型8630号』と比べても一目瞭然ですね!
 この展示車は大正3年11月製造で名古屋から富山、そして北海道で働き、走行距離は267万キロ(!)になります。


8620型8630号車

<8620型8630号車>

製造期間 1914年〜1929年
製造車両数 687両
全長 16.9m
重量 75.9t
動輪直径 1,600mm
最大出力 759ps
最高速度 95km/h

 当時を代表する旅客用機関車です。9600型とともに日本が最初に量産したもので、貨物列車もけん引できる万能の機関車でした。ここにある機関車は関東地区で活躍していたもので走行距離は323万キロ(!)になるそうです。それが今でも動くのだからびっくりです。77歳を超えている訳ですから。いかに大事に整備されてきたか解りますね!一技術者として感嘆するばかりです。


C11形64号車

製造期間 1932年〜1947年
製造車両数 381両
全長 12.6m
重量 66.8t
動輪直径 1,520mm
最大出力 783ps
最高速度 85km/h
愛称 シーのチョンチョン

 この『C11』は小型の「タンク機関車」です。他の形種は「テンダー機関車」といって、石炭と水を別の台車(機関車の後ろにある)に積んでいますが、この『C11』はそれがなくボイラーの外側で一体となったタンクに積んでいます。運転距離の長くない場合や勾配線区には便利な為、この形式が『C11』、『C12』、『C13』と引き継がれて製造されました。
 展示車両は昭和9年に作られ、奈良や函館でローカル線の旅客・貨物列車のけん引、貨車等の入れ替えに活躍、最終は会津若松地方を走りました。総走行距離は179万キロ(!)にもなります。


C51形239号車

製造期間 1919年〜1928年
製造車両数 289両
全長 19.9m
重量 113.8t
動輪直径 1,750mm
最大出力 1,175ps
最高速度 110km/h
愛称 シゴイチ

 この『C51』は急行旅客列車として活躍しました。中でも1930年に運転が始まった超特急「つばめ」をけん引しました。高速を出す為に1m75cm(!)という世界最大の大動輪を採用したことでも有名で、以降製造された大型機関車にも採用されています。
 この展示車はお召し列車に104回も使われた記録を持ち、新潟に保管されていたものです。ところで"お召し列車"ってなんだ?

C51形239号車




C53形45号車

製造期間 1928年〜1930年
製造車両数 97両
全長 20.9m
重量 127.3t
動輪直径 1,750mm
最大出力 1,556ps
最高速度 110km/h
愛称 シゴサン

 1928(昭和3)年から2年間で97両作られた急行旅客用機関車です。東海道・山陽本線の特急から普通列車まで幅広く使われていました。通常機関車のシリンダーは左右に並んでいますが(車のエンジンと一緒)、この形式ではさらに中央部にもシリンダーがあって、いわゆる3シリンダー(!)になっています。昭和初期には世界各国でもこのような構造を取り入れてスピードアップの努力がなされていました。しかし、検査修繕の作業に困難な点もあって『C59形』が登場してからは1950(昭和25)年までに全機廃車になったそうです。展示車は1961(昭和36)年に復元しました。

C53形45号車




C55形1号車

製造期間 1935年〜1937年
製造車両数 62両
全長 20.3m
重量 113.0t
動輪直径 1,750mm
最大出力 1,211ps
最高速度 110km/h
愛称 シゴゴ

 この形式は中型の旅客用機関車で、今までの形式ではちょうどラクダの背のような蒸気ドームが2つ並べてボイラーの上にありました。ところがこの形式では砂箱の部分を一体のカバーに収めて中央に一つにまとめてあります。後年製造された貴婦人の愛称で親しまれている『C57形式』の母体ともなりました。一部、当時流行した流線型に改造して特急列車を引いた機関車でもあります。この頃からデザインにも凝りだしたんですね!
 展示されている1号車は苗穂や小樽などに所属していたもので走行距離は322万キロ(!)にもなるそうです。


C58形1号車

製造期間 1938年〜1947年
製造車両数 427両
全長 18.2m
重量 100.2t
動輪直径 1,520mm
最大出力 1,097ps
最高速度 85km/h
愛称 シゴハチ

 この形式は旅客と貨物の両方に対応できる万能型として量産されました。1938(昭和13)年から1947(昭和22)年にかけて戦中・戦後の混乱期に427両が製造され、全国のあらゆる線区で活躍した中型機です。この形式からの特徴は運転席を密閉型として寒さを防ぎ、煙の粉も入らないように工夫されています。
 この保存機の1号機は大宮や北見に所属していたもので昭和47年6月に北海道の北見で最終運転しましたが、今までに走った距離は207万3248キロ(!)でした。保存されてからも山口線でC57とともにSL運転をしました。
 驚いたのは戦時中、"鉄"がない!ということで家庭から鍋など全て徴収して戦艦"大和"と作ったりしていたにも関わらず、このようにSLを作る(それもこれだけの装飾を施した)だけの余力を残していたんだなぁ・・・と思いました。

C58形1号車

 その『C58形』の機関車のサイドにある煙よけ板にはこのような装飾がしてあります。これは鳳凰でしょうか。正面にある"菊の紋"といい、この『C58形』、ただ者ではないようです・・・。


C59形164号車

製造期間 1941年〜1947年
製造車両数 173両
全長 21.5m
重量 134.6t
動輪直径 1,750mm
最大出力 1,702ps
最高速度 110km/h
愛称 シゴク

 『C53』の後継機として1941(昭和16)年から1947(昭和22)年までで173両が製造された完成度の高い大型急行旅客用機関車です。非常に性能のいいことで知られ、東海道・山陽をはじめ、あらゆる幹線の急行や特急(「つばめ」「かもめ」「さくら」など)を引いた花形機関車です。
 保存されている『C59形』は保存機の中では全長が一番長く、比較的軽量されています。またこの『164号車』は糸崎や梅小路を振り出しに昭和25年には呉線の急行列車「あさ号」を引いて最後まで活躍しました。当時の急行列車は『C53形』と共にこの機関車が使用されました。走行距離は200万キロ(!)だそうです。

C59形164号車




C62形2号車

製造期間 1948年〜1949年
製造車両数 49両
全長 21.4m
重量 143.0t
動輪直径 1,750mm
最大出力 2,163ps
最高速度 110km/h
愛称 シロクニ

 この形式は1948(昭和23)年から1949(昭和24)年までのわずか1年で49両が作られた最大・最強の超大型の旅客用機関車です。『D52形』のボイラーを流用して製造されました。東海道本線の特急「つばめ」や「はと」、昭和31年頃には北海道に渡って函館本線の雪の急行「ニセコ」など数多くの特急や急行列車を最後まで引いて活躍しました。
 保存されているこの『2号車』は糸崎や小樽などに所属していたもので、走行距離は260万キロ(!)になります。ちなみに煙よけ板につけられた「つばめ」のマークはこの保存車しかついておらず、陸の王者に相応しい貫禄があります。


D50形140号車

製造期間 1923年〜1931年
製造車両数 380両
全長 20.0m
重量 127.5t
動輪直径 1,400mm
最大出力 1,510ps
最高速度 75km/h
愛称 デゴマル

 この形式は大正初期のものを改良して1923年から1931(昭和6)年の9年間で380両が製造された貨物用機関車です。『9600形』を上回る大型機として設計され、輪送力を飛躍的に高めました。そのおかげで、その頃までの機関車では600トンしか運べなかったものが一躍950トンまで増強されました。その後各地で活躍した同じ仲間はつぎつぎと消えてゆき昭和47年(!)までの非常に長い期間、走り続けました。
 保存車は梅小路や門司に所属していたもので走行距離は24万キロ(!)になります。

D50形140号車




D51形1号車

製造期間 1936年〜1945年
製造車両数 1,115両
全長 19.5m
重量 113.0t
動輪直径 1,400mm
最大出力 1,400ps
最高速度 75km/h
愛称 デゴイチ

 蒸気機関車の代名詞のように親しまれているこの形式は昭和11年に登場しました。以来、約10年の間に1,115両が製造されました。両数の多いこともあって「デゴイチ」の愛称は機関車の代名詞にもなっています。その中から1号車から85号車、91号車から100号車までの95両が原設計型で加熱器・砂箱・蒸気ダメを一体のカバーに納めた半流線型をしており通称なめくじ型とも言われています。大型貨物用機関車として各地で活躍しました。
 この保存車両『1号車』は山陰線浜田地方で最終運転をしました。走行距離は236万8846キロ(!)となっています。
 皆様ご存知の通り名作アニメの「銀河鉄道999」のモデルとなった機関車です。でもアニメの中では客車を引いていましたが、実際は貨物用機関車だったんですね。残念。

D51形1号車




D51形200号車

全長 19.5m
重量 123.0t
動輪直径 1,400mm
最大出力 1,573ps
最高速度 75km/h

 『D51』の『200号車』です。1号車とは違い、最大出力がアップしています。この保存車は米原や岐阜などに所属しており、走行距離は255万キロ(!)にもなります。

D51形200号車




D52形468号車

製造期間 1943年〜1946年
製造車両数 285両
全長 21.1m
重量 136.8t
動輪直径 1,400mm
最大出力 1,949ps
最高速度 75km/h
愛称 デゴ二

 この形式は1943(昭和18)年から1946(昭和21)年の間に285両が製造された超大型の貨物用機関車です。戦時中に石炭等の海上輸送が困難になり、『D51形』の1,000tのけん引力では足りず、1,200tを目標に設計されたものです。しかし、資材の乏しい時代に造られているので煙よけ板など木製のものがありました。また、戦後余っていた機関車の一部は廃車となったり、C62への改造のためボイラを使用したりなどしましたが昭和26年頃には図面通りの材料で復元した160両が最後まで活躍しました。
 この保存車は姫路や北海道などに所属していたもので走行距離は245キロ(!)になります。

D52形468号車




火室

<火室>

 蒸気機関車(SL)は、石炭を燃やし、その熱で水を熱し、その水蒸気で動きます。ここはまず石炭を燃やす部屋ですね。古いものだと人力で石炭を入れますが、大型機関車は自動で石炭を火室にいれるものもあるそうです。
 ちなみに「銀河鉄道999」ではここを通ってボイラー室にあるスーパーコンピュータの部屋に行っていましたね。


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