このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

6000系

6063号車
2005.5神明町車庫跡
ここに展示された都電は客車6000形といわれる形式で、昭和22年に1号車(6001号)が誕生し、昭和28年までに289両の車両が製造され、都内全域にわたり活躍しました。ここにある6063号は、昭和24年3月に63番目に製造されたものです。活躍の第1号は、昭和24年3月19日から青山車庫管内の路線を走行し、それから大久保、南千住車庫管内に移り、昭和24年9月からは、神明町車庫管内を走行し、昭和45年12月28日荒川車庫管内に移籍し、昭和53年4月27日まで約29年間活躍し、廃車となりました。
6080号車
2005.5飛鳥山公園
2004.11飛鳥山公園(修復前)
この都電6080は昭和53年4月まで飛鳥山公園脇の荒川線を走っていた車両です。荒川線の前身は「王子電気軌道株式会社」といい通称「王電」の名で親しまれた私営の郊外電車でした。明治44年8月大塚⇔飛鳥山上間2.45㎞の開業がはじまりで、その後王子を中心に早稲田、三の輪、赤羽を結ぶ路線が完成し昭和17年当時の東京市に譲渡されたのです。この車両は6000型と呼ばれており戦後はじめての新造車で昭和24年に製造されたのものです。青山、大久保、駒込の各車庫を経て昭和46年3月荒川車庫の配属となり現役を退くまで都民の足として活躍していました。帰宅では都電のワンマン化を機会に交通局から譲り受け子供たちの施設として設置したものです。
6152号車
2005.8荒川遊園地
2005.8荒川遊園地
都電6000形は昭和22年(1947年)から290両が製造され、都電全盛期時代の主流として活躍した車両です。この6152号車は、昭和24年(1949年)7月にに製造されてから平成13年(2001年)12月に廃車となるまで、50年以上も働き続けました。また、昭和53年(1978年)の荒川線ワンマン化に伴い6000形最後の1両としていつのころからかクラシックな外観でヘッドライトが1個あることから「一球さん」の愛称で、沿線地域の人々や都電愛好者から親しまれていました。
6162号車
2005.5大塚南公園
2005.5大塚南公園
東京でただ一か所となった都電荒川線は、現在一日約6万5千人の都民の皆様が利用しております。荒川線が誕生したのは、明治44年です。この年、王子(飛鳥山上)−大塚間が開業しました。当時は、私鉄の王子電気軌道という会社で運行されており、長い間「王電」の呼び名で親しまれていました。この「王電」は、昭和17年に東京市に移管され「市電」と名前が変わり、昭和18年の東京都制施行により「都電」と呼ばれるようになりました。昭和37年の頃には、東京都内200㎞以上もの都電の線路が網の目のようにありました。その後、自家用車の増加や地下鉄の開通により、都電の多くの路線が次々に廃止されました。三ノ輪橋ー赤羽間及び荒川車庫早稲田間も廃止予定でしたが、路線の大部分が専用軌道であること、地域住民の強い要望などにより王子駅前ー赤羽間のみ廃止し、後は残すことになりました。そして昭和48年には、二つの路線をつなぎ、三ノ輪橋ー早稲田間として12.2㎞を一本化し名前を「都電荒川線」と改め、現在にいたっています。6000形の車両は、現在荒川車庫で応急車として残されている6152号車以外は昭和53年4月27日付ですべて廃車となりました。
6191号車
2005.10府中交通公園
この電車は、むかし「チンチン電車」の愛称で親しまれていた都電で昭和22年から昭和28年までの間に290輌製造されました。昭和30年頃には東京都内では40路線の系統の電車が運転されていましたが、自動車の普及に伴いだんだんその数が減って東京都内では、現在、三ノ輪橋から早稲田までの区間の荒川線だけとなりました。この電車は、荒川線を最後に28年間も休まずに働き続けてまいりました。1日最高2300人位、1日平均1000人位の人々に利用され、任務を終えて荒川の車庫で休んでいるのを府中市が、よい子のみなさんに利用していただくために、昭和56年7月東京都交通局より買受けました。みなさんのお友だちとして、いつまでも、かわいがってください。
6000系
改造車
1978荒川線ワンマン化記念花電車

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