このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

C57 26号機

2006.5行田市本丸児童公園
私たち「C57」型は形態が美しいことから「貴婦人」と呼ばれ、旅客列車用として合計201輌製作されました。私は昭和13年川崎車両(株)で生まれ、おもに「東海道」「東北」本線の花形コースを、持前の快速で客車を引いて、2,985,783㎞(地球を約74周半)を走り、昭和46年12月を最後に引退しました。私が引退した昭和46年は高崎線行田駅開業5周年記念にあたり、国鉄高崎鉄道管理局(現・東日本旅客鉄道株式会社高崎支社)のご協力により、行田市に迎えられ、ここで余生を送らせて頂いています。

トップ アイコン前ページへもどる

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください