このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

No110号機

2004.11青梅市青梅鉄道公園
1872年(明治5)10月14日、新橋〜横浜間に開業した日本で初めての鉄道に使われた10両のうちの1両で、当初は10号の番号が与えられました(のちに3号→110号と改番)。開業当時の機関車としてはこの機関車と「交通博物館」に保存されている「1号機関車」(150形)、台湾の「二二八和平公園」に保存されている「9号機関車」のほか現存するものはなく、たいへん貴重な存在になっています。

2221号機

2004.11青梅市青梅鉄道公園
日露戦争の頃、今までより大きな力の機関車を必要とすることから造られたもので、中型のタンク式ながら動輪が3組(C形)あります。明治後期の代表的な機関車で使いやすく、別名「B6」の名で呼ばれていました。貨物や勾配区間用として昭和30年頃まで各地で活躍しました。

5540号機

2004.11青梅市青梅鉄道公園
明治の後期から大正の初めに旅客用として活躍した、中距離用の蒸気機関車で炭水車(テンダ)を連結しています。動輪は2組(B形)ありますが、高い位置に斜めにシリンダーが取り付けられ、機関車の大きさに比較し先輪のついている台車が長いのが特徴です。明治期には連結器が螺旋(鎖)式でしたが、後に自動連結器に交換されています。

8620号機

2004.11青梅市青梅鉄道公園
蒸気機関車が国産技術で製造されるようになり、本格的な標準形式として生まれた、大正時代を代表する旅客用機関車(C形)です。動輪の大きさも1600ミリと大きくなり、蒸気の力を車輪に伝えるバルブギアなど構造的にも成熟しています。一形式で687両製造されましたが、当園の「ハチロク」はこれらの中でも、最初に製造した栄誉ある1号機です。

9608号機

2004.11青梅市青梅鉄道公園
大正時代の標準形貨物用機関車(D型)で、国産独自の技術が各所に使われています。取り付け位置の高いボイラーは、この機関車の特徴で、火室面積を広げるために独特の設計になっています。四国地方を除く全国各地で784両が活躍し、「キューロク」の愛称で親しまれました。蒸気機関車が国鉄から最後になくなった昭和50年頃まで使われました。

C11 1号機

2004.11青梅市青梅鉄道公園
蒸気機関車全盛期時代に造られた、近距離用の標準型タンク式蒸気機関車です、ターンテーブルを使わずに頻繁に往復できるように、作業性のよい広い運転台を採用しています。輸送量の少ない都市近郊や地方のローカル線で活躍したほか、貨物の入れ替え用としても幅広く使われました。

C51 5号機

2004.11青梅市青梅鉄道公園
大正時代後期から造られた、急行用の本格的な高速形蒸気機関車で、動輪の直径は国鉄最大の1750ミリを初めて採用しました。東海道本線で特急「燕」を牽き、東京〜大阪間を当時としては驚異の8時間台で結びました。高圧の蒸気を使うなど、後の幹線旅客用機関車の手本になった花形蒸気機関車です。

D51 452号機

2004.11青梅市青梅鉄道公園
国鉄を代表する貨物用蒸気機関車で、製造技術が確立し性能も安定していたため、一つの形式としては我が国最高の1115両製作されました。戦前から戦後に渡り全国で活躍した万能機関車で、「デゴイチ」の愛称で呼ばれました。両数が多いため、製作年次で形態に若干の相違点が見られます。昭和50年、この仲間が北海道で国鉄最後の定期貨物列車を牽きました。

E10 2号機

2004.11青梅市青梅鉄道公園
国鉄が最後に新製した、急勾配用の我が国最大の珍しいタンク式蒸気機関車です。太いボイラーや5組(E形)の動輪を持ち、カーブを曲がりやすくするため、中間の動輪にはフランジがありません。当初はバック運転を前提としたため、機関士席が通常の反対側に位置しています。奥羽線の板谷峠や北陸線の倶利伽羅峠などで活躍しましたが、いずれもほどなくして電化されたため長期に活躍することはありませんでした。

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