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★向日町運転所(1975〜1996) →京都総合車両所(1996〜)
1.1975(昭和50)年3月改正
この改正で山陽新幹線が博多まで開業し、山陽本線の昼行特急はすべて廃止となった。そして南福岡の581系または583系は向日町運転所に転属し、向日町をベースに運用されることになった。また夜行の寝台特急も整理され、京阪神〜九州間の寝台特急は長崎、佐世保行きが「あかつき」、西鹿児島、熊本、博多行きが「明星」、大分、宮崎、都城行きが「彗星」とされた。このうち581系または583系が使われた寝台特急は「明星」のうち京都〜西鹿児島間の1往復、新大阪〜西鹿児島間の1往復、新大阪〜博多間の1往復を担当した他、「彗星」にも581系または583系の列車が登場し、新大阪〜大分、宮崎間の1往復ずつを担当した。都城行きは従来の客車である。
また、この改正で、本来なら「明星」の一員となるべきと思うが、新大阪〜西鹿児島間の寝台特急「なは」が登場した。「なは」は改正までは481系または485系による大阪〜西鹿児島間の昼行特急だったが、新幹線の博多開業で一旦消滅し、愛称は夜行にコンバートされている。本来沖縄の本土復帰を願って登場した愛称だが、廃止になるときに「唯一鉄道のない沖縄の県庁所在地の愛称だから」と言うことで愛称が引き継がれたのだろうか。そして那覇から遠くなった熊本止まりの今でも愛称が残っているのである。しかしこの「なは」、なんと「明星1・7号」と運転区間、使用車両が同じで愛称が違うと言う、紛らわしい感じでもあった。
また名古屋〜博多間の「金星」は現状維持で残り、名古屋での間合いの「しらさぎ」も残ったほか、「明星」「なは」の間合いによる「有明」も3往復が同区の581系または583系であった。しかし「有明」は10往復に増強された分は481系または485系での運転となり、西日本地区の581系または583系の時代はこの時点で終っていたのかもしれない。現に食堂車は昼夜ともに営業が休止され、「しらさぎ」では他の列車の485系または489系が食堂車を営業しているのに、581系または583系では食堂車の営業が行われないと言う問題も発生したのである。
列車番号 | 列車名 | 運転区間 | 運転距離 | 備考 |
21M | 金星 | 名古屋22:50→博多10:11 | 832.2km |
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22M | 金星 | 博多18:53→名古屋6:10 | 832.2km |
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23M | 明星1号 | 新大阪17:55→西鹿児島8:36 | 962.7km |
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27M | 明星3号 | 京都18:20→西鹿児島9:57 | 1001.7km |
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35M | なは | 新大阪20:41→西鹿児島11:44 | 962.7km |
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37M | 明星7号 | 新大阪22:28→博多8:05 | 760.1km |
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38M | 明星1号 | 博多20:05→新大阪5:46 | 760.1km |
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24M | なは | 西鹿児島16:50→新大阪7:35 | 962.7km |
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28M | 明星6号 | 西鹿児島19:19→京都10:22 | 1001.7km |
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36M | 明星7号 | 西鹿児島19:50→新大阪10:46 | 962.7km |
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3003M | 彗星1号 | 新大阪18:28→宮崎8:26 | 917.4km |
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3011M | 彗星3号 | 新大阪18:28→大分8:27 | 710.4km |
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3012M | 彗星1号 | 大分19:56→新大阪6:54 | 710.4km |
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3004M | 彗星3号 | 宮崎19:06→新大阪9:36 | 917.4km |
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1001M | 有明1号 | 博多7:00→西鹿児島12:10 | 317.1km |
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1005M | 有明2号 | 門司港6:55→西鹿児島12:53 | 396.3km |
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1007M | 有明3号 | 小倉10:22→西鹿児島16:12 | 385.3km |
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1018M | 有明8号 | 西鹿児島14:12→博多19:04 | 317.1km |
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1020M | 有明9号 | 西鹿児島15:58→小倉21:50 | 385.3km |
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1022M | 有明10号 | 西鹿児島17:07→門司港23:29 | 396.3km |
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3M | しらさぎ2号 | 名古屋10:15→富山14:10 | 316.0km |
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10M | しらさぎ5号 | 富山15:15→名古屋19:16 | 316.0km |
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またこの改正では南福岡時代の編成から若干変わり、以下のようになった
クハネ581+モハネ582+モハネ583+サハネ581+サロ581+サシ581+モハネ582+モハネ583+サハネ581+モハネ582+モハネ583+クハネ581
(モハネ582はモハネ580、モハネ583はモハネ581、クハネ581はクハネ583のこともある)
2.1978(昭和53)年10月改正
1975(昭和50)年3月から、この改正までは変更なく来たが、逆に言えば1976(昭和51)年7月の長崎、佐世保線の電化で同運転所の581系または583系の乗り入れはなく、既に寝台特急は客車のブルートレイン、電車は485系を中心とした純粋な座席電車で賄えるようになって来ていた。そしてこの改正では、新幹線の博多開業に加え、国鉄運賃5割値上げによる旅客減少で、京阪神〜九州間の寝台特急は特に影響が直撃した。
この改正で、京阪神〜九州・下関間の寝台特急では、新大阪〜下関間を呉線経由で結んだ寝台特急「安芸」が廃止となり、呉線を走る優等列車が全滅したほか、「明星」は京都〜西鹿児島間の1往復をはじめ3往復が廃止となった。また「安芸」の廃止などで24系25形客車に余剰が発生し、これを「彗星」1往復に充てた関係で、同運転所の581系または583系は2往復の運用が減った。また「明星」の京都発着列車が廃止となった関係か、新大阪〜西鹿児島間の「なは」が京都発着となり、同一区間、同一車両、異名と言う現象はなくなった。また「金星」の名古屋での間合いで運転されていた「しらさぎ」は485系または489系に置き換えとなり、「金星」で名古屋に着いた車両は昼間は神領電車区で休むことになった。「しらさぎ」が冬季に遅れを出したりすると「金星」が運転できなくなることもあったようで、こういう措置なのだろう。
これによって余剰が出た同所の581系または583系は、「雷鳥」にも使われる事になった。「雷鳥」は大阪〜新潟間の「北越」の吸収および大阪〜新潟間の架線下ディーゼル急行「越後」の格上げもあって、当時の在来線での最多本数の16往復体制となったが、485系または489系が不足気味で、余剰になった583系を当てて補充をさせた。これによって同所の583系は耐寒耐雪構造への工事が再び始まり、「雷鳥」に充当したが、山陽・九州系統とは別運用となり、これまでの夜行→昼行の運用ではなくなっていた。しかし皮肉なことに、これによって限定運用が組めたことで食堂車の営業が可能となった。西日本地区の583系特急では約3年半ぶりの食堂車営業となった。また耐寒耐雪車と言う事で、本来東北本線用に作られた583系にその工事がなされ、「雷鳥」に581系が入ることは先頭車以外は稀だったと思う。
列車番号 | 列車名 | 運転区間 | 運転距離 | 備考 |
21M | 金星 | 名古屋22:50→博多10:11 | 832.2km |
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22M | 金星 | 博多18:47→名古屋6:10 | 832.2km |
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23M | 明星1号 | 新大阪17:55→西鹿児島8:35 | 962.7km |
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35M | なは | 京都20:06→西鹿児島11:44 | 1001.7km |
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37M | 明星7号 | 新大阪21:43→博多7:15 | 760.1km |
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38M | 明星2号 | 博多20:05→新大阪5:46 | 760.1km |
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24M | なは | 西鹿児島16:50→京都7:50 | 1001.7km |
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36M | 明星8号 | 西鹿児島19:21→新大阪9:45 | 962.7km |
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3001M | 彗星1号 | 新大阪18:22→宮崎8:26 | 917.4km |
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3002M | 彗星6号 | 宮崎19:06→新大阪9:36 | 917.4km |
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1001M | 有明1号 | 博多7:00→西鹿児島12:10 | 317.1km |
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1005M | 有明3号 | 門司港6:52→西鹿児島12:53 | 396.3km |
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1007M | 有明5号 | 小倉10:22→西鹿児島16:14 | 385.3km |
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1018M | 有明16号 | 西鹿児島14:12→博多19:04 | 317.1km |
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1020M | 有明18号 | 西鹿児島16:00→小倉21:47 | 385.3km |
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1022M | 有明20号 | 西鹿児島17:10→門司港23:11 | 396.3km |
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4013M | 雷鳥9号 | 大阪10:05→金沢13:17 | 267.6km |
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4019M | 雷鳥11号 | 大阪11:05→富山15:02 | 327.1km |
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4019M | 雷鳥19号 | 大阪14:05→金沢17:17 | 267.6km |
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4019M | 雷鳥31号 | 大阪19:05→富山23:08 | 327.1km |
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4016M | 雷鳥6号 | 富山8:20→大阪12:25 | 327.1km |
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4024M | 雷鳥18号 | 金沢14:07→大阪17:25 | 267.6km |
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4032M | 雷鳥26号 | 富山16:20→大阪20:25 | 327.1km |
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4034M | 雷鳥30号 | 金沢18:07→大阪21:25 | 267.6km |
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3.1980(昭和55)年10月改正
この改正では全体に本州が減量と言う内容の改正で、特に山陽・九州方面の寝台特急列車は一部が整理され、同運転所の581系または583系にも影響があった。
客車列車も含めた京阪神〜九州間の寝台特急では、大きく変化したのは「明星」である。熊本行きの季節列車(24系25形)が廃止となり、京都〜西鹿児島間の581系または583系を使っていた「なは」が季節列車に格下げとなり、京都発着を新大阪発着に変更、24系25形客車に使用車両を変更し、「明星」とされた。逆に新大阪〜西鹿児島間の581系または583系による「明星」が「なは」となった。この結果「明星」は西鹿児島行きが客車、博多行きが電車となった。
またこれによって九州での間合い運用に変化が見られ、「有明」の1往復を481系または485系に変更し、「にちりん」に581系または583系使用の列車が登場した。これは「彗星」の間合いであった。
また、北陸本線の「雷鳥」の運用に関しては変化がなかった。
列車番号 | 列車名 | 運転区間 | 運転距離 | 備考 |
21M | 金星 | 名古屋22:50→博多9:39 | 832.2km |
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22M | 金星 | 博多18:47→名古屋6:09 | 832.2km |
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23M | なは | 新大阪18:25→西鹿児島8:38 | 962.7km |
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31M | 明星5号 | 新大阪21:56→博多7:13 | 760.1km |
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32M | 明星2号 | 博多20:49→新大阪6:09 | 760.1km |
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36M | なは | 西鹿児島19:34→新大阪9:43 | 962.7km |
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3001M | 彗星1号 | 新大阪18:42→宮崎8:28 | 917.4km |
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3002M | 彗星4号 | 宮崎19:40→新大阪9:22 | 917.4km |
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1005M | 有明3号 | 門司港6:52→西鹿児島13:10 | 396.3km |
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1009M | 有明9号 | 博多11:05→西鹿児島16:07 | 317.1km |
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1032M | 有明32号 | 西鹿児島16:16→門司港22:24 | 396.3km |
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1036M | 有明36号 | 西鹿児島17:49→博多22:54 | 317.1km |
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3013M | にちりん3号 | 小倉7:35→宮崎13:08 | 340.0km |
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5017M | にちりん7号 | 博多8:23→宮崎15:00 | 408.2km |
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5034M | にちりん24号 | 宮崎13:35→博多20:10 | 408.2km |
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3044M | にちりん34号 | 宮崎18:00→小倉23:28 | 340.0km |
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4013M | 雷鳥9号 | 大阪10:05→金沢13:17 | 267.6km |
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4019M | 雷鳥11号 | 大阪11:05→富山15:02 | 327.1km |
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4019M | 雷鳥19号 | 大阪14:05→金沢17:17 | 267.6km |
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4019M | 雷鳥31号 | 大阪19:05→富山23:08 | 327.1km |
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4016M | 雷鳥6号 | 富山8:20→大阪12:25 | 327.1km |
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4024M | 雷鳥18号 | 金沢14:07→大阪17:25 | 267.6km |
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4032M | 雷鳥26号 | 富山16:20→大阪20:25 | 327.1km |
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4034M | 雷鳥30号 | 金沢18:07→大阪21:25 | 267.6km |
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4.1982(昭和57)年11月改正
この改正では上越新幹線の開業及び東北新幹線の本格開業の運びとなったが、その両新幹線と関係のない山陽、九州夜行でも変化が見られ、同所の581系または583系にとっては運用削減を余儀なくされた。
先ず、名古屋〜博多間の「金星」の廃止。これによって名古屋発着の寝台特急は姿を消した。
運転区間からしてかつての「つばめ」を思わせる特急だったけど、山陽新幹線の博多開業以後は利用客が減って、この改正で廃止となったのだが、山口県下では固定客もいただけに勿体無く、当時の国鉄を象徴させる廃止でもあった。また「明星」のうち季節の客車列車1往復と、581系または583系使用の新大阪〜博多間の「明星」が廃止となった。これによって「明星」からも581系または583系が姿を消したが、この新大阪〜博多間の「明星」は、581系がはじめて新大阪〜博多間に運転された「月光」のダイヤを踏襲しており、一つの時代の終焉を告げる感じでもあった。くしくもこの改正で同所の581系または583系は多くの車両が休車となったのだが、581系のモハネユニットも近郊型電車への改造の種車となるために運用を外された。
また、「なは」「彗星」は残存したものの、サハネ581形が2両編成から外され、10両編成に減車された他、下り「なは」のダイヤが「明星」の季節列車に使われていたダイヤに改められた。1980(昭和55)年10月で、伊丹〜鹿児島間の飛行機に対抗するために組んだダイヤも目立った効果はなかったのである。また九州内特急の運用も、「有明」がついに1往復のみとなり、581系または583系でスタートした門司港発着列車が485系に置き換えられた。
一方で、北陸方面の運用も変化が見られた。東北・上越新幹線の開業で485系に余剰が出て、「雷鳥」は2往復が増発されたにもかかわらず、485系、489系が主力となり、583系は2往復のみとなった。しかし元々同所の583系は運用が分かれており、「雷鳥」の編成は12両のままで、食堂車の営業も継続されていた。またこの改正で、583系がついに急行運用に進出した。大阪〜富山間の急行「立山」で、従来475系(471・473・457系含む)で使われていたが昼行は「雷鳥」に格上げされ、夜行のみが季節列車に格下げされながらも残った。この夜行「立山」に583系が使われる事になった。また583系の特性を生かして3両のみが寝台をセットされ、他の車両は座席車のままであった。運転距離の短さなどもあって利用率は今ひとつであったが、今後の583系利用の実験的な運用となり、これが後の「きたぐに」への投入につながったのは言うまでもないだろう。
列車番号 | 列車名 | 運転区間 | 運転距離 | 備考 |
27M | なは | 新大阪20:26→西鹿児島10:46 | 962.7km |
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36M | なは | 西鹿児島19:34→新大阪9:42 | 962.7km |
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3001M | 彗星1号 | 新大阪18:42→宮崎8:28 | 917.4km |
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3002M | 彗星4号 | 宮崎19:40→新大阪9:22 | 917.4km |
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1007M | 有明7号 | 博多10:05→西鹿児島15:09 | 317.1km |
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1030M | 有明30号 | 西鹿児島15:02→博多20:13 | 317.1km |
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3013M | にちりん3号 | 小倉7:35→宮崎13:03 | 340.0km |
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5017M | にちりん7号 | 博多8:23→宮崎15:02 | 408.2km |
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5034M | にちりん24号 | 宮崎13:42→博多20:10 | 408.2km |
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3044M | にちりん34号 | 宮崎18:02→小倉23:28 | 340.0km |
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4023M | 雷鳥17号 | 大阪12:05→金沢15:18 | 267.6km |
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4029M | 雷鳥23号 | 大阪14:05→金沢17:17 | 267.6km |
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4032M | 雷鳥26号 | 金沢16:07→大阪19:25 | 267.6km |
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4038M | 雷鳥34号 | 富山18:37→大阪21:55 | 267.6km |
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6501M | 立山 | 大阪23:20→富山5:50 | 327.1km | 季節列車 |
6502M | 立山 | 富山22:38→大阪5:05 | 327.1km | 季節列車 |
また、管理人はその頃、初めて583系に乗車した。小学校の修学旅行で、行き先は阿蘇、湯布院、別府方面だったが、広島から博多まで新幹線(勿論当時は0系しか存在しない)で、博多から熊本まで「有明7号」に乗ったのだが、なんとそれが583系だったのである。この車両は人気の車両なのだが、流石に昼夜を走り続けて15年以上が経ち、ガタが来ている感じであった。
同改正での編成(なは、彗星、有明、にちりん)
クハネ581+モハネ582+モハネ583+サロ581+サシ581+モハネ582+モハネ583+モハネ582+モハネ583+クハネ581
(雷鳥、立山用)
クハネ581+モハネ582+モハネ583+サハネ581+サロ581+サシ581+モハネ582+モハネ583+サハネ581+モハネ582+モハネ583+クハネ581
(クハネ581はクハネ583のこともある)
5.1984(昭和59)年2月改正
この改正では、京阪神〜九州間の夜行特急が更に整理された。「あかつき」1往復の佐世保編成が廃止され、「なは」を統合する形で西鹿児島行きと佐世保行きに変更され、「明星・あかつき1/4号」とされた。また従来の24系25形の「明星」は「なは」と解消され、愛称は昼行DC特急→昼行EC特急→夜行EC特急と流れ、この改正でブルートレインの客車寝台特急になった。また「彗星」も583系の1往復が廃止され、京阪神〜九州間の寝台特急から583系が衰退することになった。1967(昭和42)年10月に初の電車寝台特急として「月光」がデビューしての17年目で、581系を含めた583系グループは山陽・九州から撤退することになった。またこれによって九州内特急の「有明」「にちりん」は全て485系に置き換わった。また余剰となった583系のうち、581系ユニット全てとクハネ581、サハネ581は715系に改造されることになり、西九州地区の客車列車および電化後も残っていた「架線下DC」の電車化がすすめられた。
この結果、同運転所の583系(581系は既に715系に改造されて消滅)は北陸系統のみとなった。が、食堂車も営業され、有終の美を飾るのにはある意味でふさわしかったのではないだろうか。
列車番号 | 列車名 | 運転区間 | 運転距離 | 備考 |
4023M | 雷鳥17号 | 大阪12:05→金沢15:18 | 267.6km |
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4029M | 雷鳥23号 | 大阪14:05→金沢17:17 | 267.6km |
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4032M | 雷鳥26号 | 金沢16:07→大阪19:25 | 267.6km |
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4038M | 雷鳥34号 | 富山18:37→大阪21:55 | 267.6km |
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6501M | 立山 | 大阪23:20→富山5:50 | 327.1km | 季節列車 |
6502M | 立山 | 富山22:38→大阪5:05 | 327.1km | 季節列車 |
6.1985(昭和60)年3月改正
この改正では、「雷鳥」も全て485系に置き換わり、同運転所の定期特急運用は消滅した。また季節夜行の「立山」も廃止(厳密には、臨時列車に格下げされて485系化の上、愛称を「アルペン」に改称)となり、どう運転所の583系は、大阪〜新潟間の夜行急行「きたぐに」に運用されることになった。
「きたぐに」は従来、大阪〜青森間をロングランする急行だったが、1982(昭和57)年11月で新潟へと打ち切りとなった。そしてこの改正で、長い間続いた客車時代に別れを告げ、583系電車に衣替えすることになった。また「きたぐに」は寝台、座席ともに需要が高く、またA寝台の利用率も良いため、この改正でA寝台車のサロネ581形が、比較的余剰気味だったサハネ581形の改造によって登場することになった。
元々583(581)系は、登場時にはA寝台車も計画されていたのだが、昼間に使うときにリクライニングシートとするために、その昼夜兼用のレイアウトが難しいことや、B寝台車でもA寝台並みのベッドの広さがあることで、A寝台車は作られず、グリーン車を昼夜問わず連結することでお茶を濁していた。だが「きたぐに」に運用する際は、定期運用は夜行運用のみなので可能になったわけだが、急行運用に格下げされたときに当初の夢が実現したのも、皮肉な話である。それよりも当時、夜行列車が、急行列車が削減されていく中で、「きたぐに」が急行のままで残ったことを喜ぶべきであろう。また583系の特長を生かして、寝台と座席の混成で編成されており、客車列車のような風格はないが、転用先が見つかったのは、今となっては喜ぶべきだっただろう。
また、この改正では583系ユニットも近郊型の715系(1000番台)や419系に改造され、715系1000番台は東北仙台地区、419系は北陸地区へと投入されたが、急行に格下げされ、イメージ的にも客車の印象が強い「きたぐに」だが、近郊型に改造された715系や、419系を見ていると、優等列車に運用できるだけ幸せなのかと思ってくる。
列車番号 | 列車名 | 運転区間 | 運転距離 | 備考 |
501M | きたぐに | 大阪23:20→新潟8:50 | 600.7km |
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502M | きたぐに | 新潟22:00→大阪7:30 | 600.7km |
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同改正での編成
クハネ581+モハネ582+モハネ583+モハネ582+モハネ583+サロ581+サロネ581+モハネ582+モハネ583+モハネ582+モハネ583+クハネ581
(クハネ581はクハネ583のこともある)。
また、この改正ではもうひとつの583系の配置されていた青森運転所でも、食堂車、サシ581形が編成から外されたのだが、この向日町運転所の編成でもサシは外された。また485系でも、食堂車は全て廃止となり、全国的に見ても食堂車の営業が行われている特急は東海道・山陽新幹線「ひかり」(一部営業休止)と、東京〜九州・山陰間のブルートレイン(「出雲3・2号」を除く)、北海道内の特急の一部のみとなったのである。他の交通機関の発展や、外食産業の充実で、車内で食事、と言うのが減少したのだろうが、食堂車のメインスポンサーだった日本食堂も、人手不足や食堂経営の面からも、撤退はやむをえなかったのであろう。もっともこのころはすでに街中のファミレスも冷凍食品やレトルト食品でお茶を濁しており、厨房の狭い食堂車で本格的な料理を出すのが難しかったのだろうか?
また、定期列車は全て485系になった「雷鳥」だが、臨時列車に関しては485系が不足気味で、583系が走ることがあった。この場合、当初はサロネ581を抜いた編成で運用されていたが、いつしかサロネ581を組み込んだままで走らせていた。この場合、サロネ581を座席車として使う場合は普通車料金で乗車できるようになっていた。
また、同年夏は新潟での間合いを生かし、新潟〜酒田間の昼行急行「庄内」として走ったが、この列車の面白いところは、座席車の部分だけを客扱いし、寝台車およびグリーン車は締め切りとしては知らせていた。
また、同年の秋に、同所の583系による臨時特急「日本海」が2往復運転された。臨時の寝台特急が2往復というのは、他の交通機関が充実してないとはいえ、今となっては考えられないが、おそらく修学旅行生を目当てにしたのであろう。この時期はいわゆる管理人が中学生のころだったが、管理人の世代である「団塊ジュニア世代」が中学2年生で、その時期にあたったためと思われます。また東北北部では飛行機による修学旅行は認められない、と言うのもあったと思う。2往復の臨時「日本海」の内、1往復は583系による運転で(もう1往復は20系客車)、向日町車と青森車が交互で運転されていた。が、同年度冬からは20系客車のみとなった。
さて、このコンテンツは基本的に特急運用のみを明記するのだが、今も定期運用を持つため、簡単に明記しておこう。
国鉄最後のダイヤ改正となった1986(昭和61)年11月改正を前に、「きたぐに」にイラストマークが入った。「きたぐに」として運用を開始したころは、「立山」時代と同様に赤文字で「急行」のサインを入れたのみだったが、イメージアップのためにイラストマークを入れたのだろう。ただしモハネユニットが1ユニット外され、10両編成となった。ダイヤ的には下りが22分、上りが25分短縮された。
また「きたぐに」だが、1988(昭和63)年3月の改正で、下り列車の新津→新潟間が快速列車となった(ただし自由席車のみに乗車可能)。
また、1986(昭和61)年度の冬から、京阪神発着のスキー客を対象とした臨時列車「シュプール号」が運転を開始し、神戸〜長野間の「シュプール妙高・志賀号」1往復が同所の583系が使われた。この京阪神地区発着のシュプール号、国鉄民営化後はかなり気合を入れ、延命工事を兼ねたリニューアルなどが行われ、またシュプール号に使われる編成はサロ581をサロンカーとして開放し、座席の一部をミニロビーにするなどの改善が行われた。「シュプール」号は好調で、毎冬の臨時列車として定着したが、後にスキー人口の減少やバブル倒壊、またスキー人口の減少→冬の高速道路の混雑緩和→マイカーやバスでのスキー、スノボ客が増える、と言うことや、当時のスキー客のメインターゲットであった「団塊ジュニア世代」が働き出して、そういった余裕がなくなったのもあるのかもしれない。
また、「きたぐに」以外では波動用のイメージが強かった同運転所の583系だが、臨時「雷鳥」にレギュラーとして使われた他(1995年ごろまで)、1989(平成元年)から神戸〜軽井沢間に避暑客を対象とした「シャレー軽井沢」にも使われた。モハネユニットを1ユニット外した8両編成で運転され、1991(平成3)年は上段をセットせずに2段B寝台として運転され、固定客も多かったがバブルが倒壊したころから需要が低迷し、1993(平成5)年を最後に運転されていない。1997(平成9)年夏に運転されたら利用が多かったと思うのですが(鉄道ファンなら何故かわかりますよね)。
その他、平成5年の夏からは、20系客車の老朽化及びJR東日本への乗り入れが禁止(なのだろうか?確かにそのころJR東日本から20系が撤退と言う出来事があったのだが)されたことで、大阪〜青森間の臨時寝台急行「あおもり」が同運転所の583系となった。この「あおもり」、元々は臨時の寝台特急「日本海81・82号」だったのだが、20系を特急として使うのには料金と設備との関係で合わなくなったからか、1990(平成2)年に急行に格下げとなり、愛称も「あおもり」となった。そして20系から583系へと車種変更されたのだが、かつては臨時の「日本海」も583系が使われた実績があり、ある意味でリバイバルと言えるだろう。
こうした数多くの臨時列車としても使われながら、また二度の塗色変更、配置されている車両基地の名称変更(1996(平成8)年に「京都総合車両所」に変更)もあったが、現在も「きたぐに」に、そして臨時列車や修学旅行、甲子園高校野球応援臨時列車、宗教団体の臨時列車に使われながら、今も活躍する同所の583系である。
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