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 EF65形電気機関車の分類

 

EF65には、大きく分けて0番台(一般型)、500番台(P形及びF形)、1000番台(PF形)の3種類が存在する。

1 0番台(一般型)

EF65の0番台、一般型は1965(昭和40)年から1970(昭和45)年までの間に135両が製作された。このうち77号機から84号機までの8両は、後述するP形に改造されている。また131号機から135号機は、1990(平成2)年にセノハチの補助機関車のEF67形100番代に改造された。

主に一般貨物列車の牽引を主としたが、高速性能を持つことから85km/h牽引の急行貨物列車(後に直行、現在は高速貨物列車Cと呼ばれる)にも多く使われた。また1972(昭和47)年から増発された95km/h運転の特急貨物列車B(現在の高速貨物列車B)もこの機関車が牽引する機会が多かった。現在は殆どがJR貨物に引き継がれ、現在残っている同機の過半数はJR貨物の更新塗色となっている。

また、一部は旅客会社に所属され、ジョイフルトレイン牽引用に客車に合わせた塗色となったものも存在あった。国鉄末期の1985(昭和60)年に、当時の国鉄岡山鉄道管理局が改造したサロンカー「ゆうゆうサロン岡山」に合わせた塗色となり、JR西日本に引き継がれる。またほぼ同じ時期に名古屋鉄道管理局が改造してデビューした「ユーロライナー」の牽引用に、一般色のままJR東海に引き継がれた同機のうち3両がそれに合わせ塗色となったのだが、前者は二度目の塗色変更を経て廃車、後者はユーロライナー自体の廃車により、1両のみが存在し、それも今後が注目されている。

    

(写真左)一般形の116号機  2005-9 海田市にて

(写真右)パンタグラフが下枠交差形に改良された100号機   2003-3 五日市にて

 

   

(写真左)JR化後に車籍復帰し、茶色に塗られたEF659(現在は廃車) 1992−8 早川〜根府川間

(写真右)更新車となり、塗色が変更された128号機  2006-4  五日市にて

 

    

(写真左)岡山支社のサロンカー「ゆうゆうサロン岡山」牽引用に塗色変更された123号機(現在は2度目の塗色変更を経た後、2003年に廃車)  1987−4 廿日市〜宮島口間(当時、現在この場所は宮内串戸駅となっている)

(写真右)カートレイン牽引用に待機する名古屋のサロンカー「ユーロライナー」牽引用に塗色変更された105号機(現在ユーロライナーは廃車、また105号機も廃車) 1991-3 名古屋にて

 

2 500番台

 EF65の500番台、これは高速列車用として増備されたもので、特急旅客用の「P形」(PはPassenger=旅客の略)と、特急貨物用の「F形」(FはFright=貨物の略)が存在する。両タイプとも互換性は多いものの、各種装備が異なっており、別の番台区分をつけてもよさそうである。

a.P形

 EF65P形は、500番台のうち501〜512、527〜531、535〜542の計25両が該当する。このうち535〜542号機は、一般型(77号機〜84号機)からの改造機である。

 1965(昭和40)年に、速度性能の劣っていたEF60形500番台に変わり、東京と九州を結ぶブルートレインの牽引用として増備されたものである。基本的な性能はEF65形の一般型と同じだが、20系客車を110km/hで牽引したときに、非常ブレーキ制動後に600m以内で停車できるためのブレーキ装置がつけられたほか、20系客車との連絡電話、パンタグラフつき電源車の非常パンタグラフ降格装置を備えている。

 早速1965年10月の改正から、東京と九州を結ぶブルートレイン5往復を置き換え、東京〜下関間をロングラン。また一時期は新大阪〜九州間のブルートレインや、「日本海」の大阪〜米原間を担当した。1968(昭和43)年10月の改正では110km/h運転を開始し、日本の高度経済成長で満席で往来する東京〜九州間ブルトレの先頭に立った。詳しい運用については「EF65特急伝説」の項をご覧いただきたい。

 しかし東京と下関を連続で高速走行した結果、老朽化は一般型より速いペースで進行し、1978(昭和53)年10月の改正で(置き換えは同年7月から始まって改正までには完了した)後述する1000番台(PF形)に置き換わり、P形はEF10番台系の貨物用機の置き換えに回された。現在は501号機はJR東日本の高崎運転区に、その他はJR貨物の高崎機関区の所属であるが、501号機はJR貨物に貸し出し中である。また老朽化により廃車となったものや、更新塗色となったものも存在し、昔からの特急色で残るのは2両のみである。

 

(写真左)12系の臨時列車を牽引する「Pトップ」こと501号機  1999-5

(写真右)ブルトレ牽引時の塗色のまま、石炭列車を牽引する539号機(2004年廃車) 2004-7

 

b.F形

EF65F形は、500番台のうち513〜526、532〜534の計17両が該当する。

1966(昭和41)年、北九州〜東京市場間に鮮魚特急貨物列車が運転され、最大で1000tとなるこの列車を100km/h運転する電気機関車が要求された。この要求を満たすためには3500kWの出力が必要となったが、当時の技術力ではEH級の機関車が必要となった。

しかし、東海道、山陽本線にはセノハチ越えガ存在し、軸重の関係でF形機関車が必要となった。しかしF形機での大出力機を作るには運転開始には間に合わず、当面はEF65形の重連でスタートすることとなった。

こうして前述のP形を基本としながら、重連総括制御装置、100km/h走行可能な10000系高速貨車とのブレーキ装置(ブルートレインなどの高速客車用とは違う)をつけた500番台が登場した。見た感じはP形をベースにしているが、連結器周りがP形に比べて賑やかになった。そしてP形と区別するために「F形」と呼ばれたが、「高速用」のためにP形との連番となった。

1965年に、P形の501〜512号機と共に513〜517号機が新製され、当初は東京機関区(現在の田町電車区)に配属となり、P形に混じってブルートレインを牽引したが、どちらかというと高速貨車の性能試験に使われることが多かった。ブルートレインも10000系貨車も速度的には似通っており、試運転を兼ねてのことだったと思われる。そして1966(昭和41)年にはP形の527〜531号機と共にF形の518〜526号機、532〜534号機が新製され、P形は東京、そしてF形は吹田第二機関区(現在の吹田機関区)に集中配置となり、F形は本来の高速貨物列車用に使われたが、100km/h走行となると単機で600t、重連で1000tで、重連運転は一往復のみに抑えられた。これは重連運転すると変電所の容量をオーバーしたりするなどで、必ずしも効率的ではなかったのである。ただ当時、狭軌の鉄道ではEF65のような機関車が性能的に適合し、これを暫定使用したのである。やがて本命のEF66の試作車、EF90が登場し、試運転を繰り返したが予想以上に好調で、1968(昭和43)年の改正から本格的にEF66として10000系高速貨車用に投入され、東海道、山陽本線でのEF65F牽引の10000系高速貨車は僅か2年で見納めとなった。

その後、東京〜札幌間にも10000系高速貨車が誕生し、これにF形が抜擢され、また上越線にも乗り入れることで耐寒耐雪装備を備えたが、重連運転時の不便さや耐寒耐雪装備が上越線には適合せず、再び東海道・山陽本線に戻ったが、EF65一般型とほぼ同じ使われ方をした。

いまやF形は1両も存在しなくなり、末期は高崎機関区を本拠地として首都圏の貨物を黙々と牽引していた。

(写真) F形の520号機。賑やかな連結器周りがF形の特徴  1994-3 東大宮〜蓮田間にて

 

2-3 1000番台(PF形)

 F形のほうにも述べたが、1968(昭和43)年10月、東京(隅田川)〜札幌間に1000t、100km/h運転の特急貨物列車が運転されることになり、この列車の直流区間(隅田川〜黒磯間)は東海道、山陽本線の特急貨物列車の牽引をEF66に譲ったばかりのEF65Fが重連で牽引していた。またこのEF65FはEF15ではスピード、牽引力の両面で苦しい85km/h運転の急行貨物列車も牽引し、これらの運用で上越線でも牽引した。

 しかし、EF65Fはもともと、EF66までのつなぎとしての使命だったので、貫通扉が設けられておらず、重連運転時の使い勝手が悪かったことや、上越線に乗り入れたときに東海道、山陽線用に作られたこのEF65Fでは改造による耐寒耐雪構造が十分でなく、置き換えが要望されていた。 しかし、東北本線や上越線ではEF66を必要とする貨物列車は今後も増発されないであろうし、また直流区間も短いということでEF65形に形式統一したほうが望ましいとされ、また短距離なだけに寝台特急列車、特急貨物列車の両方を牽引でき、なおかつ重連総括制御、耐寒耐雪構造のあるEF65が望まれ、汎用性を持つEF65が1969(昭和44)年に誕生した。前述のP形、F形の両方の機能を持つことから「PF形」と呼ばれ、1000番台に区分された。

 主に東北、高崎、上越線の直流区間で貨物列車の牽引に当たったが、20系客車を牽引して110km/h走行可能であり、これは1970(昭和45)年7月に臨時の寝台特急「あけぼの」牽引を開始。これがPF形牽引の初のブルートレインである。また1970(昭和45)年に大阪で開催された万博での輸送用に山陽本線でも活躍し、東海道、山陽本線でも1970(昭和45)年10月に「彗星」の新大阪〜下関間の牽引を担当した。

 その後、EF65の増備は汎用性の高いPF形で行われるようになり、1979(昭和54)年までに139両と、一般型よりも多く生産された。

 特に1978(昭和53)年に増備されたものは、前述のP形置き換えようとしてのもので、東京と九州を結ぶ寝台特急列車の先頭に立っていた。P形から譲り受けた全国唯一のヘッドマークで、管理人を含めた当時の「鉄道少年」たちの人気者となっていた。

 しかし、看板的運用の東京〜九州間特急の牽引は1985(昭和60)年からEF66へと変更され、また東北方面のブルトレ牽引も列車自体の削減や、交流、直流両用のEF81の通し牽引となったりで、運用が減っていった。

 現在もEF65の主力となっているが、旅客会社のものは運用が少なくなっており、2006(平成18)年には、ついに特急牽引の定期運用が消滅した。また一部はJR貨物に売却されるものも出てきている。

     

(写真左)初期形の1015号機。写真は東北・奥羽本線経由時代の「あけぼの」を牽引する1015号機  1990-8 大宮にて

(写真右)パンタグラフが改良された後期型。写真は2005年にJR貨物に売却された1129号機。2006-4 大竹にて

 

(写真)塗色が変更された更新車。比較的車齢の若いPF後期車も更新車が増えてきた 2003-3 八本松〜瀬野間にて

 

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