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Red-Thunderの撮影日記
2006年10月08日 木次線90周年記念号
木次線の木次〜備後落合間に、「木次線90周年記念号」が国鉄メークのキハ58&28が走ることで、私は車で山陽、広島、中国自動車道を飛ばしていた。車で撮影、ということになったのだが、鉄道で行くと、芸備線の備後西城から東がバス代行になっているのに加え、木次線のダイヤがとてもではないが使えるダイヤではなく、車を使わざるを得なかった。ちなみにこの記念列車に乗車された方の中には、木次駅に車を置いて乗られた方もおられ、木次線のダイヤがいかに不便であるか、である。乗ってみると楽しい路線なのだが(「ちどり」の米子行き最終日に木次線に全線乗車している)
今回は、N原君も同行することになり、緑井駅に迎えに行き、広島インターから高速を使い、庄原で高速を降りる。1983(昭和58)年に全通した中国自動車道は、既に対面通行のトンネルも4車線化されたのだが、山間部を走ることやカーブの多いことで、山陽自動車道という新たなライバルに押され、交通量は少なくなっている。現に千代田の浜田道分岐から東は、連休の高速道路とは思えないほど空いていた。
庄原インターからは国道183号線をひたすら走る。やや狭い国道だが50km/hが法定速度となっている。交通量が少ないのもあるだろうが、広島市周辺ではこれくらいの道路だと40km/hが法定となる道路が多い。途中で芸備線と2度踏切でクロスする。
やがて長らく普通区間となっているところと併走する。かなり雑草が生えてきているようで、私はわき見運転など出来ないが、N原君は「こりゃ暫く無理かのぉ」と。普通区間がなければ今回のリバイバルトレインは広島発着になっていたのでは、と思えるのだが・・・。そうなると私は広島から乗っていたと思う。今回もダイヤが上手くあえば乗り鉄にしようかと思っていたのだが、時刻表の木次線のページを見た瞬間に車で行こうと決めたのである。木次線が廃線にならなかったのは、沿線の道路事情が悪いために代替交通機関の整備が難しかったのが理由だが、おろちループをはじめとした国道314号線の整備で、また窮地に立たされているのではないだろうか?
その国道314号線のおろちループにある「道の駅」に車を置き、カメラを構える。急勾配をキハ58と28はゆっくりと登っていく。この木次線のような路線で、キハ58と28は苦しいのだろう。まして現設計は1961(昭和36)年と古い。今回は挿入ダイヤなのと、ファンサービスも兼ねてだろうが、実際に16年前の3月にこの区間に「ちどり」に乗ったとき、芸備線に比べて遅いというのがわかったくらいである。ちなみにその乗車した日は米子行き「ちどり」の最終日であった。
そして出雲坂根駅近くに移動し、近くのチェーン装着場に車を置き、坂根駅へ入ろうとしたら、なんと駅への立ち入りが禁止されていた。
奥出雲銘水や、グッズなどは駅の外で売っていた。さすがに写真だけ撮っておくのはどうかと思い、トロッコ列車の携帯ストラップを購入。これも木次線存続に少しでも協力できれば、と思っている。ここではロープ張りで駅員や保線作業員が見張っているなどしていたが、トロッコとキハ58系の並びの撮影は成功。発車までは時間があったのだが、発車直後は車の列がすさまじいことになると予測し、入線シーンを撮影したのみで国道314号線を木次方面に走らせる。また車内にはこのページとリンクを貼っている、「芸備書房」の店主さんの姿も確認できた。
国道314号線をずっと走っていると、ワキ10000形貨車が台車(それも高速用で、空気バネつきのTR203)を履いて留置していた。ここで撮影をすることにしよう。遮断機なし、警報機ありの珍しい踏切をクロスし、車を止める。貨車も撮影する。かつては東海道、山陽本線をEF66形電気機関車に牽引されて100km/hで疾走していたのが懐かしい。
撮影後、今度は木次駅に一直線。木次駅近くの「サン・チェリヴァ」が駐車場となっており、そこに車を止める。駅では、SL牽引時代の「ちどり」や、「出雲」「まつかぜ」などのヘッドマークも展示されている。また記念のオレンジカードも販売されており、購入。中にはキハ181系時代の「やくも」のオレンジカードもあったようだが、売り切れorz
駅で撮影後、前述の「芸備書房」の店主と話をする。また鉄道部品の即売会も行われたが、特にほしいものがなく、見送り。そして駅前で折角来たんだからと出雲そばで遅い昼食を取り、広島へと帰ることにする。が、時間があるので国道54号線をひたすら南下した。高速を使う場合にしても三次までは国道54号線で、と言うことなのだが、三次からもずっと国道54号線。途中まで比較的順調に行けた物の、可部の北辺りで渋滞にはまってしまった。それと、島根と広島で駐車禁止の補助標識の有無があった。島根県側は「2輪のものを除く」と言う補助標識があったのに対し、広島では殆ど撤去されている。やはり広島は不法駐輪があとを絶たないのだろうか?
(写真はクリックすると拡大されます)
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