このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  Red-Thunderの撮影日記

2006年10月15日  山崎〜高槻間

 10月14日に、新神戸オリエンタル劇場のSHOW-YAのライブの興奮が冷めぬ中、新大阪駅前のホテルで目覚めた私は、新大阪駅で唯一EF65PF牽引の定期客車列車となった、今もいぶし銀的な活躍をする寝台急行「銀河」と、これまた唯一の開放式A寝台を連結した寝台特急「日本海2号」を撮影する。「銀河」はEF65PF牽引でやってきた。ヘッドマークこそないもののEF65PFの牽引する24系25形客車は、かつてのブルトレ全盛時代を髣髴させる。そして青森からやってきた「日本海2号」は、ピンク色のEF81形が牽引する。ブルトレが衰退する中で、今も2往復体制を維持するこの列車も、末永い活躍を祈りたい。

 

         

(写真左)EF65PF+24系25形「銀河」

(写真右)EF81+24系25形「日本海2号」

 

 

 

 その後、ホテルに戻り朝食を摂り、山崎駅まで電車で向かい、サントリー山崎工場前でカメラを構える。メインターゲットは来年3月?で「サンダーバード」に発展解消予定の485系電車による「雷鳥」である。国鉄時代、あれだけ多く活躍していた485系電車も、いまや「つがる」「白鳥」「かもしか」「いなほ」「雷鳥」など数えられる範囲のみになってしまった。このうち、国鉄色の485系が毎日走っているのは「雷鳥」のみである。考えてみれば485系電車は、元設計は1964(昭和39)年に登場した481系電車で、この電車は直流区間と交流の60Hz区間が走行できる電車、翌年の1965(昭和40)年にはその50Hzバージョンの483系が登場し、これらを統合した決定版的な交流、直流両用の特急型電車が485系であった。その481系がはじめて使われた特急が「雷鳥」と「しらさぎ」であり、これを思うと国鉄色の485系は「雷鳥」に始まり「雷鳥」に終わる、といって言いのだろうか?

 

 ここで撮影した列車は、「雷鳥」の他は東新潟区のEF81が牽引する貨物列車、また青森から上阪して来た「日本海4号」である。

 東新潟区のEF81は、元来JR東日本、長岡運転所のEF81だが、客車列車の減少で貨物の牽引がメインとなり、JR貨物がJR東日本から購入した、といって言い。しかしJR東日本のEF81は赤に塗られている(正式な色は、EF81の標準機はピンクだが、これは「赤13号」と呼ばれる色で、ここで述べるEF81や、485系の帯の色は「赤2号」と呼ばれる。また言いやすく言えば、赤13号は小豆色、赤2号はエンジ色とも呼ばれる)。

 

    

 

   

 

山崎のサントリー工場前で撮影した写真です。

(上左)クロ481形2300番台先頭の「雷鳥」

(上中)その後追い。クハ481形300番台

(上右)東新潟の、赤いEF81牽引の貨物列車

(下左)クロ481形2200番台先頭の「雷鳥」

(下右)日本海4号

 

 

     ここでは、雷鳥号までの撮影をし、この撮影地を後にする。何せ普通列車(新快速までは乗車可能)な切符である、できれば夕方までに広島に帰りたい私としては、今回はたちまちカメラに収めたい「雷鳥」の撮影をメインとし、山崎駅へと戻った。

 

 途中、高槻駅で乗り換えの時に、雷鳥を1本撮影。

 

   

 

 

「撮影日誌」TOPへ戻る

HOMEへ戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください