このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  Red-Thunderの撮影日記

2007年09月16日  吹上〜行田間、他

 水道橋でのジャイアンツvsカープ戦と、「懐かしのはくたか号」の撮影も兼ねて、上京した。

 残暑厳しい2007年9月16日、サンライズ瀬戸で東京に着き、上野駅で朝食をとった私は、高崎線の電車で行田まで行く。高崎線の撮影地、と言うと岡部〜本庄間辺りがメジャーだが、駅からの距離などを考慮し、吹上〜行田間の撮影地に行く。行田から徒歩で15分くらいで、程よい距離だ。撮影地近辺は田畑も多く、リバイバル特急の撮影にはいい感じである。最もこの辺りは首都圏のベッドタウンにもなっており、駅周辺はそれなりに栄えている。

 

 それにしても暑い。タオルをコインロッカーに預けたのが失敗だった。

 

 さて、ここには同業者のギャラリーが結構いた。いた、と言ってもアングルを決められないほど酷いわけではない。程よい混雑ぶりだ。

 

 ここでは、「はくたか」が来る前に、ジョイフルトレインの「やまなみ」も撮影が出来た。また貨物も1本通過したが、EF65PFの更新車だった。JR貨物のEF65PFも、あれよあれよと言ってる間に国鉄色は少数派となっていた。また国鉄色の183系(189系と混結かも)も回送で上って行った。修学旅行臨時か?それにしても183系1000番台や189系も、「はくたか」が走っていた上越新幹線の開業前は「とき」で多く走っていたし、ちょうど10年前の平成9(1997)年までは「あさま」でも多くの本数が走っていた。最も編成は短く、どちらかと言うと「白根」辺りを髣髴させてくれるが。

 

 やがて、「懐かしのはくたか」が通過した。この撮影地までの道中、尾久で「はくたか」に使われる489系電車が休んでいたが、上野方のクハ489-500にはイラストマーク、長岡方(長岡で編成が逆になるのでそうなります)のクハ489-0には文字マークが掲出されていた。確かに「はくたか」は昭和53(1978)年10月までは向日町の485系、同改正以降は金沢の489系が使われ、昭和54(1979)年からボンネット車もイラストマークになった。489系のボンネット車、0番台はクハ481形とパッと見大差ないが、500番台は碓氷峠通過用に自連がむき出しになっており、一目で489系と分かる。そのためにこういうマークの組み合わせにしたのだろう。

 

「はくたか」はこの撮影地で185系電車の特急「あかぎ」とすれ違った。首都圏の特急に使われる185系も、「特急らしくない」と叩かれながら、この電車も25年以上が経ち、そろそろ後継車に譲る時期が近づいてきているのかもしれない。

 

    

 

    

 

(左上)ジョイフルトレイン「やまなみ」  (右上)EF65PF牽引の貨物列車

(左下)「懐かしのはくたか号」クハ489-0(長岡方)

(中下)「懐かしのはくたか号」クハ489-500(上野、金沢方)

(右下)「はくたか」とすれ違った185系「あかぎ」

 

 

  その後、行田駅から高崎線の上り列車で大宮へと戻り、大宮から東北本線で蓮田へ。そして東大宮〜蓮田間で軽く撮影。4レ「北斗星4号」の遅れや、撮影地に向かう途中で国鉄色のEF64-1000が来たりで、慌てての撮影となったが、ここに撮ったものを貼っておこうと思う。

 

      

(左)EF64-1041牽引の貨物列車  (中)EF65-1057牽引の貨物列車  (右)遅れの「北斗星4号」

 

 

 さて、翌9月17日は、横浜スタジアムでのベイスターズvsカープ戦の観戦前に、来春での動向が注目されている寝台急行「銀河」、及びブルトレ「富士・はやぶさ」を撮影した。

   

(左)EF65PF牽引の「銀河」。いまや唯一のEF65牽引の優等列車。品川駅にて

(中)カニ24-100後尾の「銀河」。「銀河」も24系25形となって、20年以上が経過した。

(右)唯一の東京〜九州間のブルトレとなった「富士・はやぶさ」。何時まで走るのだろうか?

 

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