このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

SHOW-YA

 1982(昭和57)年に、ヤマハ主催のバンドコンテストレディース部門で最優秀グランプリバンドを受賞後、1985(昭和60)年にメジャーデビュー。

 1990(平成2)年までに、11枚のシングルと8枚のアルバムをリリース。特に7枚目のアルバム「Outerlimits」や、8枚目シングルの「限界LOVERS」大ヒットとなった。 2回の武道館公演の他、87年からは自らのプロデュースで女性アーティストだけを集めたイベント『NAONのYAON』を毎年1回日比谷野音で開催。
海外でもライブを行い、注目を集める。特にL.A.のライブでは、現地の新聞を飾る程だった。
1991(平成3)年2月、方向性の相違から寺田恵子が離脱。その他のメンバーは、ステファニー・ボージャスをボーカルとして迎え、第2期SHOW-YAをスタート。しかしその頃は管理人はSHOW-YAから遠ざかっていた。ヴォーカルが抜けるなんて。
その後、寺田恵子は1992(平成4)年にはバルセロナ五輪のイメージソング「PARADISE WIND」でソロデビュー。今までに、シングル7作品、アルバム5作品をリリース、ミニアルバムを4枚を発表している。音楽以外の活動も積極的に行い、2004(平成16)年には「ROCK’N JAM MUSICAL」にてミュージカル初舞台を踏む。
また、寺田恵子が抜けた後のSHOW-YAだが、1998(平成10)年9月に解散。

私のSHOW-YAとの出会いは、高2の時の夏休みになる。広島の原爆の日に「広島サンプラザ」行われたチャリティーライブロックに目覚めた頃、音楽雑誌を読んでいて、SHOW-YAの存在を知った。

女性のロック歌手も当時は増えていったが、バンドとなると「どんなのだろ」と思っていた。アイドルグループにはどう見ても見えない、5人とも姐御肌丸出しで、それでもちょっと興味があり、当時よく利用していたレンタルCDショップに行って、借りて聞いてみた。

「いいじゃん、これ」。そのCDは7枚目の「GLAMOUR」で、特に「ROCK TRAIN」にはまってしまった。

このサイトはプリプリについても ここ で展開しているが、プリプリを聞くようになったのは、「SHOW-YA」がきっかけになっている。

 

そして、その頃紅白の裏番組的にNHKの衛星で大晦日から元旦にかけて放映された「ロックンロールバンドスタンド」を、夜中まで見ていたが、SHOW-YAも出てきたのであり、ますますはまってしまった。

 

その後、大学に入ってしばらくは聞いていたが、ヴォーカルの寺田恵子さんが抜け、恵子さんはソロ活動、SHOW-YAのヴォーカルは外国人となり、SHOW-YAからは遠ざかっていった。くしくもバンドブームが終わった頃であり、聞いていたバンドがどんどん解散していった頃でもあった。

 

その後SHOW-YAとは無縁のまま推移していったが、「Player」という雑誌でドラムスのみったんが載っていて、みったんが組んでいる女性トリオバンド「e〜ha?」を知った。このe〜ha?については、こちらのサイトを見ればわかる。

 

だが、2005(平成17)年、デビュー20周年を記念してオリジナルメンバー5名にて再結成!!!
10月23日(日)NHKホールで復活祭を行い、2006(平成18)年もライブを行った。2006年のライブは、私も新神戸でのライブには行っている。それについては
このページ に書いている。

 

 

 メンバーの名前

パート

ニックネーム

寺田 恵子

Vocal

恵子、ケイ

五十嵐美貴

Guiter

Sun-Go(サンゴー)

仙波さとみ

Bass

サト、サトちゃん

中村 美紀

Keybord

キャプテン、美紀ちゃん

角田 美喜

Drums

みったん

 

 

 

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