このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

MY FAVORITE TRAIN TRAVEL

L特急つばさ

 

乗車日 1990年3月

乗車区間 米沢→上野間

 

485系時代の「つばさ」。

1往復のみが上野と秋田をロングランしていた。

撮影は1991年3月、上野駅にて

 

 

 「つばさ」と言うと今は山形新幹線の愛称として親しまれているが、かつては奥羽本線の特急の愛称であった。

 

 この「つばさ」の歴史は古く、1961(昭和36)年10月に、上野〜秋田間のディーゼル特急として運転を開始した。当時はキハ82系を使用し、上野と秋田の間を時間で結んだ。またキハ82系(というより正式には「キハ80系」が本来の呼称だが、先頭車の違いで便宜上別形式で呼称されることもある)はパワーがなく、急勾配の福島〜米沢間でEF16形電気機関車の助けを借りていた。1963(昭和38)年には盛岡行の編成を連結し、上野〜秋田・盛岡間の特急となった。現在の「やまびこ」「つばさ」に相通じるものがある。その盛岡編成は1965(昭和40)年の東北本線盛岡電化で電車化され、「やまびこ」として独立した。その後「つばさ」は秋田行きの特急として成長していくことになる。また盛岡編成の独立と前後して、福島〜米沢間の補助機関車がEF64形に変わっている。

 その後、1968(昭和43)年10月の改正で、1往復が増発されたが、これには「はつかり」の電車化で余剰となったキハ81系が使用されていたが、僅か1年でキハ82系の2往復体制となる(キハ81系は「いなほ」用に転用)。また奥羽本線の交流化に伴い、補助機関車は交流電機最強のEF71形に変わった。その後1970(昭和45)年2月には、1両あたり500PSのエンジン(ちなみにキハ80系列(81系、82系ともに)は1両あたり180PSエンジンが1基または2基である)を搭載し、最高時速120km/h(キハ80系列は100km/h)を誇るキハ181系に置き換え。1970(昭和45)年10月にはそれを生かしたスピードアップが図られ、上野〜秋田間で8時間を切ることが実現し、一旦は福島〜米沢間の補機も廃止となったが、エンジンに負担がかかってオーバーヒートを連発し、後に補機が復活している。板谷峠の険しさもあるが、上野〜福島間で、485系や583系の電車特急群より僅かに遅いダイヤで走らせていたのが無理があったのだろう。

1975(昭和50)年11月には奥羽本線の全線電化が完成し、485系電車となり、上野〜秋田間は7時間34分(最速)にスピードアップされた。また翌年の1976(昭和51)年には耐寒耐雪構造を強化した485系1000番代の使用となった。

だが、これが在来線「つばさ」の全盛期だったのかもしれない。1982(昭和57)年11月の東北新幹線開業で一部列車が福島〜秋田間の列車となり、山形〜秋田間の急行「こまくさ」の格上げによって山形〜秋田間の「つばさ」も誕生したが、全列車が食堂車を外された。大宮暫定開業ということで上野直通列車も下り1本、上り2本が残されたが、都落ちの感は否めなかった。そして1985(昭和60)年3月の東北新幹線の上野開業では上野〜山形間の「やまばと」の福島〜山形間を吸収したほか、同区間の急行「ざおう」を格上げし、本数こそ増えたが、大半がグリーン車のない485系6両編成となって、完璧にローカル特急になった印象だ。「あいづ」との共通運用の絡みや、山形、秋田県民は乗換えを嫌う層が多いということで上野直通が1往復、グリーン車を連結した9両編成で残されたが、首都圏と秋田の間を昼間に鉄道で移動する客は、盛岡から田沢湖線というルートが主役となったのである(これが今日の秋田新幹線につながったのである)。

 

 この「つばさ」は今では山形新幹線の愛称となり、首都圏と山形県下の足として大活躍だが、在来線時代の「つばさ」は、上野直通も山形新幹線開業の1992(平成4)年までがんばっていた。

管理人は、高校を卒業して大学進学が決まった1990(平成2)年3月に、板谷峠のスイッチバックが消える、そして福島〜山形間が新幹線の運転によって狭軌(1067mmのレール幅のこと)から標準軌(1435mmのレール幅のこと)に変わる・・・。それを知った私は高校を卒業して旅行に行く旅先を奥羽本線沿線と決めたのであった。これが管理人の始めての一人旅である。鉄道ファンとしてみれば遅いほうなのですが。

 

 その時、米沢から上野まで行くのに、福島まで「つばさ」に乗車して福島からは普通列車乗り継ぎにするか、と思ったが、せっかくだから1往復のみ上野〜秋田間に残った「つばさ」で上野まで行くことにした。

 さて、上野に直通する「つばさ」は、下りが17号で、上りが8号。その時は上りだったから「つばさ8号」だ。485系1000番台の9両編成。他の「つばさ」が6両編成なので、需要があるのかと思えば、さほど混んでいないし、そうかと言ってガラガラというほどさびしくはない。乗車率は7割強といった感じだった。その前日に普通の客車でスイッチバックを体験しているのだが、特急はスイッチバックはスルーで通過。福島では新幹線に乗り換える客が下車して、車内は少なくなったが、それでも半分以上は乗っている感じであり、まだまだ健在、といった感じであった。

 福島からは東北本線を走る。この東北本線、東北新幹線が開業するまでは多くの特急が走っていた。東北新幹線開業直前の1980(昭和55)年10月改正の時点では、この上野〜秋田間の「つばさ」が3往復のほか、上野〜山形間の「やまばと」が3往復、上野〜青森間の「はつかり」が6往復、上野〜盛岡間の「やまびこ」が4往復、上野〜仙台間の「ひばり」が14往復、そして郡山以東では上野〜会津若松間の「あいづ」が走っていたのだが、東北新幹線の上野開業で「つばさ」1往復と、「あいづ」を除いて新幹線に発展解消をしたのである。この「つばさ」も山形新幹線開業の1992(平成4)年7月に山形新幹線に発展解消し、「あいづ」も1993(平成5)年12月に廃止となっている。

 郡山からは当時、管理人が未乗区間だったので、車窓に釘付けだった。

 東北本線を120km/hで快走するが、在来線なので防音壁に遮られることはない。今でこそ新幹線を利用する機会の多い管理人だが、当時は金銭面以外に、車窓を重視して在来線を選んだものである。最も100系新幹線はそれなりに楽しかったのだが。

 黒磯で一瞬車内が暗くなったが、これは交流から直流へと電化方式が変わったものである。東北本線は黒磯を境に直流と交流に分かれている。貨物列車は機関車交換が多く行われていたり(それも交直両用の電気機関車が増えて減ってきているが)、普通列車のたびだとここでの乗換えを余儀なくされるが、ここは3電気方式(直流と、交流、さらに交流電化は西日本と東日本で周波数が違うことは家庭での電気でもおなじみだが、すべての電化区間を走れることをこう呼ぶ)の485系電車。黒磯駅は通過する。一見大きい駅も東北新幹線の開業で西那須野に那須高原への入り口を奪われた格好だ。

 宇都宮を過ぎると、すれ違う電車はオレンジとダークグリーンの湘南色が目立ってきた。もう首都圏だ。

 そして13時30分に上野着。このとき管理人は、生まれて始めて東京都に足を踏んだのであった。

 

 新幹線時代となり、現在は東京を基点に八戸、秋田、山形、新潟、長野、博多へと新幹線が延びている。そして飛行機の旅も大衆化している。しかし乗り換えもなく、のんびり楽しめる在来線の特急も、重い荷物を抱えて乗り換えたりすることを思えば、いいなと思えた。

 上野駅に着いたとき、奥羽本線からの乗客が意外といた。おそらく乗換えを嫌う人たちなのだろう。

 

 上野駅で、この電車は14時15分発の会津若松行きの特急「あいづ」となって会津若松へと向かう。このためにヘッドマークを変えている作業があるが、途中で懐かしい列車や、上野駅では見られない列車のマークも見ることができた。

 国鉄時代の電車は、全国統一規格という感があったので個性に欠けたが、それでもヘッドマークのイラストを工夫するなどして、「ああ、この愛称の由来はこうなんだな」と思ったりもしたものである。

 

 

「つばさ8号」のデータ(乗車した1990年3月末のデータ)

秋田5:36(米沢9:38)→上野13:30

所要時間 7時間54分(秋田→上野間、管理人の乗車区間だと3時間52分)

 

 

管理人が乗車した上野〜秋田(1往復)の他に

 

福島〜山形  3往復

福島〜新庄  4往復

福島〜横手  1往復

福島〜大曲  2往復

福島〜秋田  1往復

山形〜秋田  1往復

 

 

 

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