このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
MY FAVORITE TRAIN TRAVEL
特急「あさま」
(写真左)長野新幹線開業を控え、最後の力走をする189系「あさま」。線路際にはファンが大勢詰め掛け、夏と言うこともあって軽井沢駅などでは避暑客もカメラを向けていた 横川〜軽井沢間(丸山変電所付近)にて 1997-8
(写真右)「あさま」を後押しするEF63型電気機関車。この区間を走っていた列車は全てEF63のお世話になった
横川〜軽井沢間(めがね橋付近)にて 1997-5
乗車日 1996年8月、1997年5月、8月
乗車区間 上野→軽井沢間(96-8)、軽井沢→上野間(97-5)、篠ノ井→軽井沢間(97-8)
現在、東京から軽井沢、長野に行く場合、長野新幹線で行くのが最も速いコースになっている。在来線で行く場合、高崎から横川までは行けても、横川と軽井沢の間が線路が途切れていて、さらに軽井沢と篠ノ井の間はJRの路線ではなく、第三セクター鉄道の「しなの鉄道」となる。信越本線は元々高崎〜新潟間の路線なのだが、横川〜篠ノ井間が途切れており、しかも横川〜軽井沢間は線路すらないのである。
その横川〜軽井沢間が廃線となった理由は、本数の少なさと、電気機関車の補機を必要とするためである。この区間はJR全体では最大の急勾配で、66.7‰である。実際にこの区間を列車に乗っていたら、勾配を登る(降りる)というのが身体で分かると言って良いほどである。長野新幹線開業前は上野と長野(一部は直江津に直通)を結ぶ特急「あさま」と金沢行きの「白山」が走っており、夜間には上野〜金沢(一時期は福井)間の急行「能登」もこの峠を越えていた。だがこれらの特急が新幹線開業で姿を消すと、横川〜軽井沢間は僅か7往復のみとなり、また全列車に補機をつけるとなると大赤字ということで、この区間はバス代行とされたのである。
その発表時には実感がなかったのだが、廃止が刻々と近づくに連れ、碓氷峠は鉄道ファンが大勢詰め掛けた。それは全国各地から集まってきていたのである。特に最後の年となった1997(平成9)年夏は、鉄道ファンのみならず、避暑や別荘、スポーツなどに行く観光客も特急「あさま」やEF63にカメラを向け、昭和40年代に起こった「SLブーム」のような雰囲気もあったのである。
私もこの碓氷峠には1997年には何と2度通っている。
2度も同じところに・・・と思うかもしれないが、ここはレール自体がなくなるのである。
碓氷峠では、EF63形電気機関車が2両、峠を登る下り列車が後ろに連結して列車を押し上げ、そして峠を下る上り列車は先頭に連結され、ブレーキの役割をする。
碓氷峠は、群馬と長野の県境に位置し、民家が殆どない、自然が残っているところを走る。トンネルが多いけど、景色は雄大である。
また、この碓氷峠といえば、横川の「峠の釜めし」を忘れてはいけない。この「釜めし」は、恐らく全国の駅弁では人気のナンバー1,2を競うであろう。横川駅での停車時間の長さを利用して販売されているが、そのおかげで売れて、全国的に人気の駅弁となっている。この碓氷峠が廃線となることで(他にも理由はあるだろうが)、横川駅近くのドライブインや、関越自動車道のサービスエリアでも売られているのである。また新幹線開業でどうなるかと思われたが、新幹線車内でも販売されているようだ。
1997(平成9)年9月30日、多くのファンなどに見守られつつ碓氷峠は廃線となった。最終日はメディア関係者も列車や駅を取材でごった返したであろう。
現在は、廃線となり、代行バスも基本的に18号線の碓氷バイパスを経由するので、その廃線後は車で行って旧道を走るか、軽井沢駅辺りでレンタカーを借りるしかないだろう。新幹線のルートはかなり外れている。また、横川駅近くには「碓氷峠鉄道文化むら」があり、碓氷峠の歴史について車両や資料が展示されているほか、釜めしも食べることが出来る。
ただ、この文化むらでは部品の盗難等が相次いでおり、この行為は犯罪であります。絶対にしないで下さい。
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