このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

MY FAVORITE TRAIN TRAVEL

特急「白鳥」

      

(写真左)私が乗車したころの「白鳥」。俗に言う「新潟カラー」のJR東日本所有の485系電車。先頭はかつては北海道で活躍した485系の1500番台だ。

新疋田〜敦賀間にて 1991-3

(写真右)大阪〜青森間特急としては末期の「白鳥」。JR西日本所有の485系となり、国鉄色となったため全盛期を髣髴させた。

新疋田〜敦賀にて 2000-10

乗車日 1994年3月

乗車区間 秋田→新大阪間

 「白鳥」というと、現在は八戸と函館を結ぶ特急の愛称となってすっかり定着した感もある。だが、長い間大阪と青森を昼間にロングランする特急列車として存在していたのである。生まれは1961(昭和36)年で、大阪〜青森間の特急としての最後が2001(平成13)年で、実に40年近くも、昼間の長距離特急として存在し、東海道・山陽新幹線の東京〜博多間直通列車を別にすれば、日本最長距離の昼行特急で、また定期列車では最長距離の電車特急でもあった(臨時も含めると下関→東京間の「サンライズゆめ」がわずかに長い。また「サンライズゆめ」の下り列車は広島止まりなので、大阪〜青森間に比べたら短い。)

 その「白鳥」、一番最初は大阪〜青森間および大阪〜上野間のディーゼル特急であり、直江津で青森行きと上野行きを分割(併合)していた。上野行きは直江津で青森行きと別れた後、長野、軽井沢を経由し、上野へと向かうスケールの大きい特急で、当時は便宜上「信越白鳥」と呼んで区別し(一方で青森行きは「青森白鳥」と呼んでいた)、また青森白鳥も、信越白鳥も食堂車を連結、営業していた。そのため一緒になる大阪〜直江津間では食堂車が2両あり、また国鉄時代に長く列車食堂車の営業を担当していた日本食堂でも、青森、信越ともに営業所が異なり、味比べを試みる人も多かったのである。当時は優等列車には食堂車は常識のようにつけられていた。現在は食堂車そのものが死語となっており、僅かに北海道行きのブルートレインにのみ営業されているのが現状だ。最も振り子式車両全盛の今、食堂車などあったら車内がドリフターズのコントのようになりそうだが・・・。

 その「白鳥」、やがて「信越白鳥」は上野〜金沢間の特急「はくたか」として独立し、「白鳥」は大阪〜青森間の特急に専念をし、京阪神地区や北陸から東北、北海道へ向かう利用客に愛された。青森着は深夜、青森発は早朝に偏ったダイヤだったが、これは青函連絡船の深夜便に接続するためであった。現在では北海道へのたびは飛行機が常識になっているが、当時はこういった乗り継ぎで行く人も多かったのである。そのため自由席が1両もなく、指定券もすぐに売り切れたようだ。この「白鳥」が走る路線も電化が進み、1972(昭和47)年9月には日本海縦貫線(北陸本線、信越本線の直江津以東、羽越本線、奥羽本線秋田以東)の全線電化が完成し、485系電車となった。国鉄時代は全国の電車特急網の発達に貢献した485系交流、直流両用特急型電車は、直流電化区間、両周波数の交流電化区間も走行でき、大阪〜青森間はディーゼルカーだったころは16時間だったのが13時間に短縮された。だがそのころが「白鳥」の全盛時代だったのかもしれない。

 北海道への旅客を飛行機に奪われ、区間乗車客をつなぐために生き残ったといっても差し支えないだろう。1978(昭和53)年に自由席が設けられ、1985(昭和60)年には食堂車が外されてしまった。

 国鉄からJRになっても列車は継続され、青森で夜行急行「はまなす」に接続するダイヤになり、また車両も上の左写真のようなグレードアップされたのだが、やはり区間客が多く、雷鳥(当時の最長運転区間が大阪〜新潟間)といなほ(当時の最長運転区間が新潟〜青森間)をたした列車の間は否めなかった。そして2001(平成14)年3月に3系統に分割され、大阪〜金沢間が「雷鳥」、金沢〜新潟間が「北越」、新潟〜青森間が「いなほ」となり、大阪〜青森間直通特急として約39年半の歴史にピリオドを打った。

 その後、「白鳥」の愛称は八戸と函館を結ぶ特急の愛称に使われることになった。新型の振り子式車両、789系の列車が「スーパー白鳥」、今も頑張る485系電車のものが「白鳥」となって、現在も活躍している。しかしかつてブルトレや、特急電車がブームだった昭和50年代、この「白鳥」は私のいたクラスでも人気がトップクラスだっただけに、寂しさは否めなくなった。

 あのころを髣髴させる列車がなくなった。2001年3月2日。私も29歳の誕生日を間近にしたころでもあった。

 その「白鳥」に乗車したのは1994(平成6)年3月であった。

 全区間ではなく、秋田から大阪までだったが、それでも10時間近く同じ列車に揺られていたのである。その時は3月、いわば「季節の変わり目」。その為秋田、山形、新潟では冬の車窓気で、富山、石川県あたりから春らしい車窓になり、新大阪に着いたときはすっかり春だった(それでもこの年の3月末は急な冷え込みで一瞬全国的に冬らしくなったのだが)

 「白鳥」で通った路線は6路線(青森からだと7路線になる)。

 秋田〜新発田間が羽越本線、新発田〜新潟間が白新線、新潟〜直江津間が信越本線、直江津〜近江塩津間が北陸本線、近江塩津〜山科間が湖西線、山科〜新大阪間が東海道本線。そして通過した都道府県は2府7県(青森からだと2府8県)。

 こんな贅沢な列車、あってもいいんじゃない?と思うが、それでも同じ区間には「トワイライトエクスプレス」が存在し、大阪〜新潟間は完全に昼の時間を走るので、それで十分なのだろうか。

 

 

 食堂車はなく、途中の食事は駅弁。新潟駅の駅弁はコシヒカリ米を使った美味しい駅弁が多いのだがっていたかな。上り列車で、秋田から乗車のため車内の食事は1食だったが、下りだと2食お世話になることになっただろう。やはり長時間の列車には食堂車がほしいが、区間利用客が多いため採算に合うか、という問題もある。ファミレスでも冷凍食品やレトルト食品でお茶を濁す今のご時世、調理のほうも難しいのだろう。食堂車衰退の原因のひとつは、あまり大きい理由ではないとは思うがそういったこともあったと思う。

 

 

 

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