このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

MY FAVORITE TRAIN TRAVEL

寝台特急「はくつる」

    

(写真左)上野と青森を8時間あまりで結んだ寝台特急「はくつる」。583系寝台電車による最後の寝台特急だった 

1991-3 鶯谷(上野〜尾久)にて

 

(写真右)末期の「はくつる」。1994年12月以降はEF81が牽引する客車1往復体制でした。

2002-8 鶯谷(上野〜尾久)にて

 

乗車日 1994年3月

乗車区間 上野→青森間

 寝台特急、というと代名詞的に使われている「ブルートレイン」に代表されるように、機関車の牽引する客車列車がメインである。だが日本と言う国は、世界でも珍しい電車による寝台車が存在するのである。

 現在は東京〜高松・出雲市間を結ぶ「サンライズエクスプレス」がそれに当たるが、国鉄時代の1967(昭和42)年から走っているのである。581系と呼ばれる寝台・座席両用の特急電車で、夜行列車の新大阪〜博多間の「月光」と、昼間の特急の新大阪〜大分間の「みどり」として華々しくデビューした。

 その後、581系は大量増備されることになったが、この電車は直流電化区間及び交流60Hz電化区間用に作られたもので、東北本線に投入すると周波数の違いが問題になった。そのために1968(昭和43)年には581系を改良し、直流及び交流の両周波数でも対応できる583系に発展した。そして耐寒耐雪装備も施され、上野〜青森間の夜行特急「はくつる」「ゆうづる」及び昼間の「はつかり」に使われるようになった。また山陽本線や九州地区でも、月光の他の特急にも投入されて、581系と583系が共通で夜も昼も山陽・九州路を走り続けた。

 だが、新幹線が岡山、博多へと延びると山陽本線の昼間の特急がすべて廃止となり、寝台、座席の両用として作られたこの電車は早くも余剰となった。そして夜行需要も新幹線への移行や飛行機の大衆化、そして客車寝台が2段になったことで、寝台は3段のこの電車は次第に特急用としては敬遠されるようになって来た。座席特急として使った際も、両用の構造からボックスシートになり、特急料金を払って乗るには物足りない感じとなって、山陽・九州地区での特急運用は1984(昭和59)年に消滅した。

 

 東北地区では、夜行の「はくつる」「ゆうづる」、昼間の「はつかり」で活躍を続け、編成が短縮されたりしたものの、国鉄民営化後も1993(平成5)年まで活躍してきた。だが流石に東北新幹線開業までは昼も夜も走り続けた結果、同期の485系よりも老朽化が早く、1993(平成5)年12月に「はつかり」が全て485系に置き換わる形で583系による定期列車はなくなり(臨時では暫く運転)、「ゆうづる」は季節1往復が臨時列車として存続したものの、定期列車のほうは東北本線経由に変更されて「はくつる」に統合。この「はくつる」が583系による最後の定期特急となったのである。

 1994(平成6)年3月、東北ワイド周遊券を片手に東北方面を旅に出た私は、上野から「はくつる」に乗車。この頃は「八甲田」「津軽」の廃止で周遊券での旅がやりづらくなった、と言う意見もあったが、この「八甲田」「津軽」、本来は東北地区に多い季節労働者への対策で残されたものである。だがバブル倒壊で季節労働者の出稼ぎも減り、廃止に追い込まれたのであろう。私の同輩など、就活で苦労していた人が多い。このとき、私の所属していたサークルではJR東日本叩きをしていた輩が多かったが、1年を通して見ると存続させるほど需要があったかどうかは疑問である。JR東日本だけを叩くのは間違いもいいところであると思った。

 さて、少しでも安く上げたい私、折角「八甲田」も運転されているし(前述で「廃止」と書いたが暫くは季節列車として存続した)、八甲田で行っても良かったのだが、583系ファンとしては何としても「はくつる」それも寝台に乗りたい、と思い寝台券を奮発して「はくつる3号」に乗車した。少しでも安くしたいので下段ではなく、中断で。そして中間車、モハネ582のパンタグラフの下だと高さの関係で2段になっており、お得である。

 さて、「きたぐに」の項でも書いたように、この583系電車、客車に比べて乗り心地が悪いとよく言われるが、実際にはそんなことはなく、むしろ下手な客車列車よりは良いかもしれない。確かに電車特有のモーター音やコンプレッサーの音は耳につくが、機関車牽引の列車にありがちな発進、停車時のショック(最もこれは機関車運転士の腕にもよる)もなく、またモハネ582のパンタグラフ下だけに広い寝台で、熟睡できた。

 翌朝、盛岡到着の手前で目が覚めた。しかし583系、寝台として使った時は起きた時と寝る前は身の置き所に困るのが欠点である。かつて神戸〜軽井沢間に臨時の寝台急行「シャレー軽井沢」に乗ったときは、本来グリーン車のサロ581をサロンカーとして開放しており、起床後はそこに行くことは出来たのだが。外は雪が降っている。3月末とはいえ、やはり東北に来ただけある。

 青森には8時21分、定刻に到着。

  上野から青森間は9時間21分、寝台特急とは思えぬスピードは衰えていなかった。

 「はくつる」は元々、北海道連絡特急として1964(昭和39)年に、東北本線出始めての寝台特急として登場。当時はブルートレインで、仙台以北はSLが牽引した。その後、電化の北進で盛岡までが電気機関車(黒磯で交換)、盛岡以北はディーゼル機関車となり、1968(昭和43)年の東北本線の全線電化で583系による寝台特急に衣替えし、上野〜青森間を8時間分で結ぶようになった。北海道への渡道客のみならず、十和田観光への足として活躍したが、1988(昭和63)年の青函トンネル開業後は首都圏と北東北を結ぶ夜行列車としての使命となった。但し使用車両は583系を相変わらず使っており、俊足ぶりは変わらずに走り続けていた。また青森県は飛行機が今ひとつ不便で(青森=市街地から離れている上に気象の影響を受けやすい、三沢=米軍施設と共用のため増発困難)、新幹線だと盛岡乗換えを強いられるので、定員の多い583系が使われてきた。1994(平成6)年には常磐線経由の「ゆうづる」を吸収したが、この「はくつる」に乗った8ヶ月くらいあとに1往復に統合され、再び客車のブルートレインへと衣替えしたのである。

 比較的需要のあったこの「はくつる」も、東北新幹線の八戸開業後によって、2002(平成14)年に廃止された。最後は客車だったとはいえ、583系電車の使用期間が長かった。

 

 

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