このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

MY FAVORITE TRAIN TRAVEL

寝台特急北斗星

 

乗車日 1995年2月

乗車区間 上野→札幌間

 

(写真左)上野〜青森間はサイドに流れ星が描かれたEF81形電気機関車に牽引される。

2004-7 鶯谷〜日暮里間にて

(写真右)函館〜札幌間は客車と同じブルーに塗られたDD51形ディーゼル機関車が重連で牽引する

1994-3 函館駅にて

 

 

  「北斗星」。それは上野と札幌を結ぶ豪華寝台特急である。

 

 1988(昭和63)年に、世界最長のトンネル、青函トンネルが開通した(ちなみに英仏海峡トンネルは青函トンネルよりわずかに短い)。しかしすでに東京と札幌を結ぶ旅客の95%以上は飛行機を使っており、このトンネルを介して直通特急を走らせてもお客はいないだろうと不安視されていた。それでもJR東日本とJR北海道が知恵を絞り、国鉄からのブルートレインの客車、24系25形ながら個室寝台車を増やし、食堂車は完全予約制のコース制とするなど、「走るホテル」に相応しいアコモとなった。

 しかし、最上級の個室寝台、ロイヤルは飛行機よりも総額が高くなり(ついでに言っておくと当時は航空会社の割引はなかった)、果たしてお客は乗るのか、JR東日本およびJR北海道は「走るショールーム」になることを覚悟していたようだ。だが実際に走らせて見ると連日満員の大盛況だった。特に一番高い「ロイヤル」から寝台券が売れるという事態になった。当時はバブルの真っ盛り、そして世界一のトンネルの開業というもの珍しさもあったことも大きいと思うが。

 

 さて、管理人にとって初めての「北斗星」乗車は、大学の卒業を控えたときだった。「卒業旅行は外国で」という人が多い中で、北海道、それも飛行機でなく「北斗星」に乗ってみたい。と思って乗車を決意した。当初はB寝台個室「ソロ」を予定しておいたが(ちなみに寝台料金は普通の2段式B寝台と同じ6300円)、「卒業なんだし、ゆっくり北海道にいけることなんてそうそうないんだから」といって、母が卒業祝いとかいってロイヤルの差額を出してくれた。しかし発売1箇月前の段階では「ロイヤル」の指定はとれず、仕方なく「ソロ」を抑えてもらった。しかし確かにロイヤルは魅力的。行きつけの旅行会社にロイヤルのキャンセル待ちをかけてもらう。そうしたら広島を出発する2日前にキャンセル待ちが出たと電話が。即変更してもらったことはいうまでもない。

 

 そして「北斗星」に乗車のために、まずは東京へ。阪神大震災でJR神戸線および山陽新幹線が寸断されており、姫路から播但線で和田山、そして急行「丹後」で京都、そしてドリーム京都(夜行バス)で東京というルートで、東京で夕方まで自由行動という、目的地は北海道じゃないの?という行動をとったのだが。

 そして上野駅。いよいよ憧れの北斗星の車内に踏み入れた。乗車した当時は3往復体制だった。1・2号はJR北海道、5・6号はJR東日本、そして3・4号はJR北海道とJR東日本の共同運行という形をとっていた。管理人が乗車するのはJR北海道担当の1号だ。乗車した前の1994年12月には東京〜熊本・長崎間の「みずほ」、大阪〜新潟間の「つるぎ」の廃止、そして上野〜青森間の「はくつる」が2往復から1往復に減便、東京〜下関・博多間の「あさかぜ」のうち、博多行きの列車が廃止になるなど、ブルートレインの廃止が相次いだ。特に管理人が少年時代、鉄道ファンになるきっかけを作り、そして当時の小学生の憧れだった東京〜九州間のブルートレインに廃止が出たことは全国紙でも取り上げられていた。東京〜九州間はともかく、「はくつる」や「つるぎ」は「北斗星」より条件のいい区間であるのに、だ。しかしこの「北斗星」はまだまだ元気。さすがに2段式のB寝台は閑散期の空席がやや多いなど陰りも見えてきたのだが、それでも個室寝台の切符の入手難は相変わらずであった。

 「ロイヤル」の個室は少し狭目のビジネスホテルといった感じである。しかし室内にシャワーがあり、折畳式ながらトイレも備えてあった(但し個人的にこれを使用するのは、ちょっと・・・といった感じだったが)。シャワーに関しては1回10分で、リセットボタンを押せば何度でも利用できるようになっている。ロイヤル以外の寝台の人はロビー室にあるシャワールームを使えば良いが、6分間で310円かかる(もっともこれはお湯が出るのが10分で、シャワールームに入って6分というわけではない。このあたり勘違いする人が多いようですが、止めたり出した利を繰り返せば十分余裕ありますよ。但し個人差はあるが)。ロイヤルの場合は寝台料金にはシャワーの利用料も含まれており、使わないと損、といった感じだがこの季節は乗車時と起床時に使えば十分だろう。夏だとフルに使いそう。

 さて、この「北斗星」には食堂車が連結されている。かつて国鉄時代、長距離を走る特急には食堂車が連結されていたのだが、新幹線の開業による長距離特急の削減や、他の交通機関への転移、そして外食産業の充実などもあって、次々と姿を消していった。乗車した当時は「北斗星」の他は、同じ北海道行きの「トワイライトエクスプレス」と、新幹線の「グランドひかり」で僅かに営業しているに過ぎなかった。その「グランドひかり」の食堂営業も2000(平成12)年で終わっている。確かにファミレスでも冷凍食品やレトルト食品でお茶を濁していると聞いたのだが、暖かい料理を食べれるのはいい。最もこの「北斗星」の食堂車は完全予約制。洋食のコースが10000円、和食だと6000円を支払わなければならない。多少の援助もあったとはいえ、ロイヤルを奮発しているので、ここはパブタイムまで空腹を我慢。以前は3000円のディナーコースも存在したが、何時しかなくなっている。やはり採算が取れないのかなぁ。ようやくパブタイムになり、ビーフシチューセットを注文。シチューの中の牛肉はカットステーキ風で、柔らかくてなかなかだった。そしてスイートコーンスープがつくのがすごいが、これも北海道産のコーンなのだろうか?これにサラダ、パン(最近はライスとの選択になっているが、当時はパンのみだった。そのパンもなかなかだったが)、そして食後のコーヒーである。またさっきビールを飲んでいたのに、ここでも折角なのでおたるワインを注文。飲みやすい感覚だったのだが、これが原因で食堂車で居眠りをしてしまったのである。ウェイトレスに起こされてしまった。

 このワインが影響で、ロイヤルに入るとすぐに寝てしまった。しかし頭をぶつけずにいられるのがよい。まさに走るホテル。車両が国鉄時代の客車の改造のため、長年の使用による揺れはあったけど、気分よく夢の中には入れたと思う。青函トンネル通過時まで目を覚まそうと思っていたが、すっかり夢の中zzz

 朝、起きてカーテンを開ける。すると真っ白な車窓、ではなかったが雪があちこちに残っている。外も雪が降っているようだ。いよいよ北の大地に踏み入れた。北海道だ。

 「遠かったなあ」。まさにそんな言葉が出た。そして先頭は電気機関車EF81形から、ディーゼル機関車DD51形の重連へと変わっている。しかし性能でEF81などの電気機関車に劣るDD51も、結構飛ばし気味に走る。

 シャワーを浴び、食堂車へと向かう。朝食は和食と洋食の定食である。いつもなら和食にするのだが、今回は洋食にした。パン、コーヒーの他にサラダ、スクランブルエッグ、ハム、ソーセージ、フライドポテト、オレンジジュース、ヨーグルトと、おかずもしっかりしている。しかし和食の注文の人が多いようで、すぐに売り切れたようだ。それよりも北海道の景色を見ながらの朝食はいいものだ。

 上野〜札幌間は、乗車当時の「北斗星1号」だと16時間3分。これを長いと取るか短いと取るかは人それぞれだが、私にとっては広島〜東京間で「あさかぜ」に乗車しているよりも短く感じた。たしかに「あさかぜ」などの東京と九州、山陽地区を結ぶブルートレインは私をこの趣味に引きずり込んだ列車だが、今ではすっかり北海道行きのブルートレインの方が上になっている。「北斗星」も開業当初の勢いは流石にないけれど、飛行機では真似できない何かを付加価値とし、それで今でも根強い人気を保っているのである。

 

 現在では、オールA寝台2人用個室で「北斗星」の上を行く「カシオペア」も登場している。「カシオペア」登場で「北斗星」は2往復に減ったのだが、減便というより、「カシオペア」に発展解消したと見ていいだろう。

 ちなみに「北斗星」、乗車した当時は寝台特急列車の中で最も表定速度の高い列車でもありました(今では「サンライズ瀬戸」が一番表定速度が高いのだが、客車の寝台特急列車だけで見ると「北斗星」が一番なのは変わっていない)。ゆっくりと北海道へ、というイメージの列車だが、機関車牽引列車としてみたら結構な俊足ランナーでもあるのです。

 

「北斗星」の現在のデータ

運転区間 上野〜札幌間

所要時間 15時間52分(最速)

運転本数 2往復(毎日運転列車のみ)

 

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