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MY FAVORITE TRAIN TRAVEL
小野田線本山支線(雀田〜長門本山間)
(写真左)長門本山に停車するクモハ42 2003-2
(写真右)そのクモハ42形電車の車内。木の椅子が年季を感じさせる。
乗車日 2003年2月
乗車区間 雀田→長門本山間
小野田線は宇部線の居能(いのう)駅から分離し、山陽本線の小野田まで行くローカル線である。そして雀田と長門本山の間に「本山支線」が存在する。
さて、その本山支線に、クモハ42と言う電車が走っていた。僅か1両で、のんびりと、モーターの音をうならせて走っていた。
このクモハ42、何と1933(昭和8)年生なのである。引退したのが2003年だから、何と70年を生き抜いてきた。
人間でも70年生きるのは大変だと言われるが、電車が70年生きるのも、凄いことである。
さて、そのクモハ42も、寄る年波や修繕時の部品が底をついたことで、2003年に引退した。
それにしても、鉄道車両の寿命は概ね20〜30年、使い方によっては違いがあるが、その倍以上を生き抜いたのもまた凄い。新幹線など10〜15年でダメになるのであるから(とはいうものの山陽新幹線の0系は20年以上使っているものもあるが)。
雀田に着いた私は、駅に止まっているクモハ42を撮影する。
ホームにはファンや、姿を消すと言うことで地元の家族連れが多く待っている。
本山支線、雀田と長門本山の間は一駅のみである。
国鉄時代、かつては宇部線でも小野田線でも、このタイプの電車は走っていた。だが近代化が進み、車両は新しく105系と呼ぶローカル用通勤電車が投入された。といっても投入されたのはもう20年以上前になるのだが。しかしこの支線用には単行運転できる電車がなく、このクモハ42が民営化後も生き残ったのである。民営化後はこの小野田線本山支線のほかは、鶴見線の大川支線にもクモハ12と言う昭和一桁生まれの電車が走っていたのだが、1996(平成8)年に引退した。
短いホームで発車を待つ電車は、どことなく風情がある。国電、と言うより省線電車といっていい雰囲気だ。
車内には、寄せ書きノートがあり、乗客が何か書いていた。全国から乗り収めに来ているようだった。
それでも、70年も走り続けたこの車両には、本当にご苦労様と言いたい。
今までどうもありがとう。
そして今は、荷物電車改造のクモハ123形電車が、この支線を往復している。
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