このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
MY FAVORITE TRAIN TRAVEL
急行「砂丘」
(写真左)因美線の腕木式信号機とともに・・・岡山行き「砂丘」
美作加茂駅にて 1997-8
(写真右)津山線での「砂丘」 福渡にて
乗車日 1997年8月
乗車区間 鳥取→岡山間
鉄道の線路には、複線と単線が存在するのは、鉄道に興味の無い人でも知っているだろう。本当なら複線が理想になるのだが、輸送量が少ない場合は複線だと建設や維持にコストがかかる。そのため、輸送量の少ない路線は単線のままのところが多い。
さて、単線の路線だと列車が行き違いできないため、駅や信号所などで待避させながらの運行となる。現在は自動的に信号を制御する方式(CTC)が主流だが、かつては駅に停車して通行票、俗に言う「タブレット」を駅員または信号員に渡して、信号を制御して発車させたりという方式がメインだった(これを「タブレット閉塞」という)。だがこれは人手がかかる上、乗降客の少ない駅にも駅員を配置させたりするなどで、合理化の元でだんだんと少なくなっていった。
そのタブレットとは、直径約10cm、厚さ約1cmくらいの丸い砲金製の板のことで、その中心には、丸や三角、四角といった形の穴があいている。
さて、そのタブレット閉塞運行だが、その路線に優等列車などの駅を通過する列車が存在する場合、走行中にタブレットを駅に投げ入れて、すくい取るという方式で行っている。だが前述のように信号の自動化が進み、世が平成となってからは因美線の「砂丘」が最後の走行中のタブレット交換を行う優等列車となり、注目を集めていた。だがその「砂丘」もスピードアップやマイカー、バスへの対抗から因美線の「智頭」駅から第三セクター鉄道の「智頭急行」を経由し、上郡から山陽本線を下って岡山に、というルートに変更され、特急に格上げ、愛称名を「いなば」と変更されたのである。またこれによって需要が比較的多い津山〜岡山間には急行1往復が別系統で残された。愛称も「つやま」と変わり、現在も健在である。
この「砂丘」が廃止になったのは1997(平成9)年11月。
この上の写真を見ていただきたいが、信号機の形がかなりレトロであるが、これがタブレット運行の印でもある。
この写真は、砂丘がなくなることで、知人から18きっぷを1日分購入し、津山線の普通列車ですれ違いのための停車時に撮影したものである。
私は津山線を普通列車で津山へと上り、「砂丘」と交換する福渡で1枚撮影する。晩年にはタブレット運行がやたら注目されたのだが、この「砂丘」は、ディーゼル急行としては貴重となったグリーン車が連結されている。最も1両つなぐほどの需要はなく、半室は普通車に改装された「キロハ28」が連結されてる。かつてはローカル急行でもグリーン車は常に存在したのである。塗色こそ国鉄色ではないが、4両もつなぐとやや貫禄が出てくる。それでも鉄道全盛時代から比べると短いのだが。
津山で因美線に乗り換え(厳密に言うと一駅区間ほど姫新線を走るのだが)、いよいよタブレット交換区間である。この普通列車は美作加茂で「砂丘」と交換したのである。そして腕木式信号機をバックに岡山向けて「砂丘」が通過。タブレットを走行中に交換する姿が印象に残ったが、写真を撮れなかったのが残念。
これを見ると、折角なので「砂丘」に乗ってみようと思い、鳥取まで乗りとおし、砂丘で岡山に向かう。走行中の投げ渡し、すくい上げは車内にいても音でわかるほどだ。車内は陰陽連絡列車としてはまずまずだが、中には乗り収め目的のファンもいるだろう。
この「砂丘」は、前述のとおり1997(平成9)年11月30日から、智頭急行経由の特急「いなば」へと発展的解消し、遠回りするものの高規格路線の智頭急行のおかげでスピードアップがされた。しかしそのとき使われた車両が国鉄時代に作られたキハ181系ということもあって、老朽化や更なるスピードアップのため、振り子式の新鋭ディーゼルカー、キハ187系へと変更され、「スーパーいなば」となって鳥取と岡山の陰陽連絡をスピーディーに結んでいる。
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