このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

MY FAVORITE TRAIN TRAVEL

寝台特急「サンライズ瀬戸」

    

(写真左)終点、東京駅は間近。サンライズ瀬戸+サンライズ出雲 

2005-4 東京〜品川(田町駅ホームより撮影)にて

 

(写真右)「サンライズエクスプレス」のシャワーカード。310円で6分間(お湯が出る時間)

 

乗車日 1999年5月、2000年3月、2001年4月、2002年11月、2003年5月、8月、2004年7月、2005年4月、2006年1月、5月

(サンライズ出雲、ゆめを含む)

乗車区間 岡山→東京間(01-4、02-11、03-8、05-4、06-5)、広島→東京間(99-5、00-3、03-5)、岡山→熱海(06-1)

 昨今では、寝台特急列車の不振が激しく、一部(北海道系統のみと言っていいだろう)の列車を除いては利用客が減少傾向にあり、特に東海道系統(東京駅発着の寝台列車)は、1994(平成6)年12月の「みずほ」(晩年の運転区間は東京〜熊本・長崎間)を皮切りに廃止が続き、2005(平成17)年3月の改正では、ブルートレインの老舗ともいえる「あさかぜ」が48年半の歴史に終止符を打ったのは記憶に新しいところである。

 だが、その東京駅発着の寝台特急でも、新型車両を入れて梃入れをし、健闘している列車もある。それが寝台は全て個室寝台で、寝台料金不要で横になれる(フェリーの雑魚寝を想像すればよいかな)「のびのび座席」を導入した寝台電車による「サンライズエクスプレス」である。この「サンライズエクスプレス」を利用する列車は、東京と高松を結ぶ「サンライズ瀬戸」と、東京と出雲市を伯備線経由で結ぶ「サンライズ出雲」で、東京と岡山の間は「サンライズ瀬戸」と「サンライズ出雲」が一緒になって走る。

 

 そもそもこの列車のルーツは、私の誕生日でもある1972(昭和47)年3月15日に急行列車の格上げによって誕生した東京〜宇野間のブルートレイン「瀬戸」と、東京〜浜田間の「出雲」がルーツである。「瀬戸」は長らく大きな変化はなく、1988(昭和63)年に瀬戸大橋(備讃ルート)の開業で、東京〜高松間へと運転区間が変更された。一方で「出雲」は、1975(昭和50)年3月に東京〜米子間に姉妹列車「いなば」がデビュー(鳥取県が終点と言うことで鳥取県の旧藩である「因幡」から名付けられた)し、この「いなば」も1978(昭和53)年10月に出雲市まで運転区間が延長され、「出雲」と変更された。国鉄の分割・民営化後は客車がグレードアップされ、飛行機の便が少ない東京と山陰を結ぶエース特急として活躍を続けてきた。「瀬戸」に関しても、乗換えが要らないメリットと時間帯のよさで、寝台特急列車の不振の時代にまずまずの実績を上げてきた。

 だが、お互いに使用する客車も、今後は老朽化の対策や、東京と四国、山陰を結ぶ夜行高速バスの進出もあって、1998(平成10)年7月に、新しい285系寝台電車による「サンライズエクスプレス」に置き換えられた。「瀬戸」に関しては全区間が直流電化の下で、機関車交換が一度もなく、当時は「北斗星」に告ぐブルトレNo.2の俊足ランナーでもあった。一方で「出雲」は、電化区間と非電化区間が混在する山陰本線を走るブルトレだったが、これも伯備線経由にすれば問題は解決し、また両者とも新幹線だと乗換えが必要なので、こういった新型車両を投入すれば生き残れると思われたのだろうか、新たに「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」として生まれ変わった。またお盆や年末年始などの繁忙期には、東京〜広島(下り)・下関(上り)間に「サンライズゆめ」が運転される。

 

 私が始めてこの「サンライズ」に乗車したのは1999(平成11)年5月に、「サンライズゆめ」に広島〜東京間で利用した。個室のシングルで、室内は狭いのだが、鍵がかかるので安心できる。やっぱりこれからの寝台列車は個室にしないと生き残れないのであろう。このサンライズは電車による寝台車で、気にしていたモーターの音もさほど気にならない。むしろ機関車が牽引する客車だと、発進および停車時のショックが気になることがあり(これは運転手の技術によるものもある)、それを思うとこっちのほうがいいと思ったくらいである。

 

 また、広島カープの応援に関東三球場(東京ドーム、神宮、ハマスタ)に行くときには良く「サンライズ瀬戸」を利用した。下関発の「サンライズゆめ」が運転されない日に行くことが多かったのだが、2005年3月までは米原で先行した「あさかぜ」を追い抜くのである。特急が特急を抜く、確かに「サンライズ」の最高速度は130km/h、一方で「あさかぜ」は110km/hである。これは寝台列車のこれからの姿を象徴する姿でもあった。「あさかぜ」をはじめとする東京〜九州間のブルートレインは私が小学校の頃は憧れの列車だった。当時は2段式のB寝台は珍しく、それに加え個室寝台、食堂車も付くのは東京〜九州間ブルートレインの一部だけだったが、これも時代の変化であろう。

 

 サンライズデビューからこのサイトを作った時点で、早くも8年が経過し、その間、乗車したのは11回(瀬戸7回、出雲1回、ゆめ3回)。すっかり東京へのマイブームとなっている。お金があればB個室シングル、なければのびのび座席と使い分けているが、のびのび座席もカーテン1枚のB寝台に比べたらお得だと思う。シングルだとプライバシーが保てるのが良い。東京へは飛行機とのぞみがシェアを競う広島、岡山地区だが、このサンライズは本当にお勧めですぞ。特に関東三球場でデーゲームをやる時は本当に重宝する。また広島からだと岡山まで新幹線を使うのだが、ちゃんと広島〜岡山間の新幹線特急券も半額になるのである。

 

 熱海までが一度あるが、これは先行列車の人身事故で熱海から新幹線に振り替えになったときである。

 

 

 

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