このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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横須賀線
(写真左)横須賀線で使われていた113系電車。
クリーム色と紺色のツートンカラーは、湘南色とは違った雰囲気でした。
(写真右)横須賀線の沿線にある鎌倉の「鶴岡八幡宮」
ここは年中観光客や日帰りでの行楽客が絶えません。
乗車日;1992-1、2000-3、2003-5
かつて「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」の歌でも有名になった横須賀への路線が横須賀線である。 この横須賀線、三浦半島の一端の久里浜へ通じる路線である。東京から直通し、古くから電車を走らせていたが、オレンジと深緑色のツートンカラーの湘南電車と誤乗を防止するため、九十九里浜の砂浜と海をイメージしたクリームと紺のツートンカラーを採用し、国鉄の標準カラーとして定着していたのである。また当時は東京と大船の間で東海道本線と路線を共有していたこともあるだろう。
現在は横須賀線は総武線と直通運転が行われているが、そうなったのは1980(昭和55)年の話で、線路要領が逼迫していた東海道本線と横須賀線を分離させることで、品川〜横浜間は貨物線として作られていた線路を利用し、また総武線との相互乗り入れを開始した。ちなみに東京駅は地下ホームの発着となっている。これを東海道本線の列車番号が電車をあらわすM(=moterの頭文字)で、横須賀線の列車番号がS(=sukaの頭文字)であることから「SM分離」と言われていた。
この横須賀線をはじめて使ったのは、1992(平成4)年1月。初めてプリンセスプリンセスのお正月コンサートに日本武道館に行った時である。
江ノ電に乗ってみたいということや、鎌倉に行ってみたかったりしたことで、鎌倉まで横須賀線を使ったのであった。
この横須賀線、総武線と相互乗り入れしているが、厳密には大船〜久里浜間であり、品川と横浜の間は東海道本線の別線(貨物線)を使用する。前述のSM分離によりそれが実現した。これで時間を稼ぐことから、戸塚や大船で東海道本線と乗り換える乗客も多いのである。
又、この横須賀線だが、横須賀や久里浜までは京浜急行電鉄と競合し、そちらに流れつつあり、横須賀線は京急とは外れたルートをたどる鎌倉目的での利用が多いようである。
この鎌倉、「いい国つくろう鎌倉幕府」と年表を覚えていたが、鎌倉が日本の中心となった時代が1192年からの鎌倉時代である。その鎌倉の最寄り駅であり、鶴岡八幡宮に行く人が多い。又江ノ島電鉄の乗換駅でもあり、江ノ島や江ノ電沿線とセットで観光する人も多いのである。最も普段の週末でも人が多いのだが。
又、この横須賀線のかつての主力車両は113系だったが、この113系電車は横須賀線に投入されたのが最初である。
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