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北陸〜信越本線編
2001.09.24〜25



柳ヶ瀬線柳ヶ瀬トンネル

かつての北陸本線であった場所。現在の近江塩津経由の路線開通(昭和32年10月1日)後は柳ヶ瀬線としてしばらく営業していたが、昭和39年5月10日に廃止された。全長1352m。明治17年の開通当時は日本一の長さを誇り、25/1000の連続した勾配の中をSLが重連で通るという凄まじい世界。通過には約3分を要し、窒息する者が続出した。SLの煙突に付けられた四角い集煙装置はこのトンネルで実験を重ねて完成されたもの。
誰もいない国道365号を快走し、信号の先頭で停車。約5分程待っている間に後続車の列が出来ていた。トンネルに飛びこんだ途端、あまりの暗さと狭さに驚愕した。ハイビームにし、フォグも煌煌と焚き、ゆっくりした速度で進む。トンネル内の壁や天井なんかを観察する余裕は全くなく、あっという間に通過してしまった。






柳ヶ瀬トンネルの敦賀方より。
列車の運転席から撮ったと錯覚するような光景。






しかし少し離れて見るとこれだけケバケバしい現実が待っている。



敦賀〜杉津〜中山峠〜今庄


ピーカンの日に、トンネルを含んだ風景撮影はツラい(というより不可能)。
トンネル付近は真っ黒になり、何だかよく判らない。

「鉄道廃線跡を歩く」のP92では、雨上がりの曇りという、理想とも言える天候で撮影を行っている。狙ったか偶然かは知らないが、流石はプロである。




露出をかけると、日の当たっている所は真っ白に。
ただ、この写真は露出オーバー過ぎる。この辺がデジカメの難しい所。




40年前の北陸本線の車窓からも見えたであろう、夏の敦賀湾。こういう写真はやはりピーカンがよい。



山中トンネルの杉津方にて。
約1200mにも及ぶトンネルは一直線で、はるか彼方に出口が点のように見える。先にトンネルに入った方が優先な為、ヘッドライトが見えた場合は待たなければならないが、車が出てくるまでには随分時間がかかる。こうして写真を撮っている時はいいのだが、いざ進もうとすると、なかなか出発できなかった。




狭い山道なのに、こんな車がビュンビュン行き交ってるのだ。
もっとも、「山中トンネル、昼間通行禁止」という看板が建っていたのだが、これは工事車両優先という事だったのかも!



今庄〜東尋坊〜金沢〜富山〜親不知

今庄を出た後は、越前海岸沿いの道を進む。しばらく鉄道とは無縁の地を行く。東尋坊に寄る。「別にたいした事ないじゃん!」と思ったが、崖まで1mに近づくと足がすくんで身動きが取れなくなった。

次の撮影地は親不知であり、この間は高速に乗ろうと思っていたのだが、現在3時。急いでも夕方になってしまい、撮影できない為、地道に下道で行く事にした。

魚津にある金太郎温泉に13年振りに寄った。ここの露天風呂は、禁断の壁の向こうがなぜか丸見えで、嬉しいというよりはア然とした思い出があったが、しっかりと改修されていた。

越中宮崎付近の海水浴場用の駐車場に車を停め、後部座席を倒した広い空間に寝そべってビールを飲んだ。すぐ横は北陸本線。長大なコンテナ貨車を引いたEF81が轟音を立てて通過してゆく。と、突然車をノックする音。警官の職務質問を受けた。停めてはいけない所に停めてたからかと思ったが違った。なにか物取り等の事件があったのだろう。正式に許可を得て寝る。

翌朝はあまりの寒さに寝ていられなくなり,4:30に起きた。あったかい缶ジュースを求めて車を走らせると、1kmも走らないうちに道の駅を発見。はじめからここにすればよかった。


親不知(大崩付近)


天険コミュニティー広場から旧道(現在は遊歩道になっている)をしばらく歩くと、左のような絶景に遭遇する。この断崖絶壁を下りると、風波トンネル西側(左下)と親不知トンネル東側(右下)の間の「ほんのわずかな空間」に出る。最初カメラだけ持って下りたのだが、どうしてもトンネル探検がしたくなり、上着と懐中電灯を取りにこの絶壁をさらに1往復するハメになった。


←親不知トンネルの西側。わずか600m程の親不知トンネルだったが、誰もいない早朝、ぬかるんだ地面、一向に近づいてこない出口、こうもりや地下水の襲来等で、相当ビビった挙句にやっと到着した。


旧風波信号所(市振〜親不知間)


「鉄道廃線跡を歩くⅠ」のP98に掲載されている、黒岩保美氏が撮影した風波信号所と、その現在の姿。御覧のようにあまりの激変ではあるが、国道8号のうねり具合は変わっていないように思えたので、定点撮影に挑戦した。しかし本当の定点(約5m後方、1.5m上、)からは、大崩トンネル抗門はおろか、国道8号のぐねぐねすら写らなくなるので、やむなくこの位置より撮影。トンネルは北陸自動車道の橋脚の延長上にある。




北陸本線浦本〜有間川

浦本駅は、やはり13年前、金太郎温泉の運動風呂で散々泳いで披露困憊し、親知らずの急カーブにびっくりし、これ以上の走行は無理と判断して泊まった場所である。ホームの待合室で寝て、深夜の貨物列車の轟音に驚いたり、朝、常連のオバサマたちの憩いの場を占拠している事に気づいたりと思い出深い場所。
浦本〜有間川間は、サイクリングロードとして完璧なまでに整備されている。無くなったり、改修されたりという事は既にされつくされているようなので今回は見送る。次回にどういう巡り方をするか…。
・車に自転車を積み、往復40km走る。
・無料レンタサイクルを借り、往復40km走る。
・自転車を分解して輪行してゆき、片道20kmを走る。
・徒歩で20kmを歩く。
どれも大変だな〜。




聖ヶ鼻灯台より旧線を望む(信越本線米山〜笠島間)



僕の車がはるか彼方に。ここに登る時、調子にのって駆け上がってたら、蜘蛛の巣にモロに顔を突っ込んで、一気に気分を害した。しかし叫ぼうが怒鳴ろうが、僕の声の届く所には誰もいなかった。


信越本線青海川駅


「鉄道廃線跡を歩くⅠ」のP105に掲載された、青海川駅の廃線跡のガーターを写した写真がもう「旧景」になってしまった。この木製の太鼓橋の欄干には「平成12年3月竣工」と記されている。
僕のデジカメ(E990)では広角側が足りず、旧景の方をトリミングするという暴挙に出ている。崖の上の建物と、画面右端の架線柱を基準にしたのだが、この2つの写真をパラパラマンガにすると、新線のトンネルが出たり引っ込んだりする。どうやらこの架線柱の位置が変わっているようだ。




同じく「鉄道廃線跡を歩くⅠ」のP105に掲載された、青海川駅にさしかかる、急行「日本海」の写真を定点撮影する。カメラをかなり海側に突き出さなければならなかったが、茂みが邪魔をする。どうせ正確な位置なんか判らないから…と、適当にノーファインダーで写していたが、海岸へ下りる階段を発見した。現在では丁度「お立ち台」のようになっている。「ここしかない」と、根拠のない自信の元に撮影。家に帰って冷静に観察すると、画面右側の崖やトンネル出口なんかはまずまずだが、建物の立っている崖上部の傾きが明らかに異なる。しかしここでないとすると、その場所へ行くためには現在写真正面の茂みを克服せねばならない。苦労の割にはあまり得るものもない為、これでヨシとした。




「高校教師」ロケ地



ドラマ、「高校教師」のエンディング近くの1シーン。これから信越本線の列車内で心中を計ろうという2人が、最後に「観光」をした場所。このドラマは内容はハードだが、とにかく映像が美しくて、今でも最も気に入っている連続ドラマである。
TV画面の中の冬の厳しい日本海に対して、まだまだ海水浴も可能と思われる今回の写真である為、次回は冬に訪れたい。しかし電車で行くと、次の列車がくるまでの間に凍死するかもしれないし、車で行くと、国道から駅へ降りる急坂でクラッシュしそうで、どちらもかなり厳しい。またもし実行しても、カメラ位置は深い雪だまりになっている可能性が高い。
また、右のカットは、駅待合室の屋根上から撮影した模様。流石に登る元気はなかった。




最近出来たと思われる、青海川駅上空にかかる国道8号の橋。のどかな風景の中にあまりにも不釣合いな、巨大な真紅の建造物に魅かれ、シャッターを押した。昭和61年の地図にはこの橋はなく、この写真を撮った場所が国道8号であった。この田舎の何気ない道にトラックがビュンビュン走っていたのか?(確かに田舎道にしては広いが)



追記:2004年4月10日に、再びこの地を訪れ、橋脚の根元の名板をよく見た所、「1966年製」となっていた。え〜っ!こんなに近代的な橋なのに…。という訳で上記のレポートは大ウソツキである事が発覚した。

丘の上に見える巨大な風力発電機は、前回おとずれた時にはなかった。と思うのだが、これもなんだか怪しい…



4年前にかけられた例の木製橋もすっかり古めかしくなっていた。





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