このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


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(=´▽`=)ノみなさん。こんにちは。
今回の花紀行は「曼珠沙華」です。
そうそう、みなさんもご存知の彼岸花の事です。

(‾‥‾a;)ぽりぽり あれ?彼岸花って赤くなかったけ?って思いの方。
(=´▽`=)ノ ハイ!! その通りです。

でもね最近街で、白い彼岸花を良く見かけるようになりました。
白だと彼岸花と言うより曼珠沙華の方が似合う名前だよなーとか思いながら眺めてましたが!?

(‾∇‾;) 花壇に植えられている彼岸花は

ちょっとね!? 違うんじゃね??
と思ってしまう訳ですよ。おじさんとしては・・・

(_≧Д≦)ノ彡☆バンバン!!  彼岸花は田んぼの土手に咲いてないと雰囲気ぶち壊しだろうと・・・ 

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で、こんな所、見つけて来ました。
┌(*‾0‾)┐ワーッハッハッハどぅよ!!

田んぼに赤と白の彼岸花。何だか紅白模様でおめでたい雰囲気満載で彼岸花の暗いイメージ無いでしょ。
これもありだと思いませんか??

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赤い彼岸花だけだと、これはこれで良い感じだけど、
やはり少し暗い感じを受けてしまいますもんね。

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仏教では曼珠沙華(まんじゅしゃげ)といっておめでたいことが起こる前触れに、
空から赤い花びらが降ってくるという意味で「天上の花」とも呼ばれています。

(=´▽`=)ノ うーん!! 「天上の花」か!! この場所には最適な花かもしれない!!
と言うのも、この場所は花紀行の為に見つけた訳ではなくて、
別のお話で書こうと思っていた場所なんです。


実は幕末の頃の福岡藩士のゆかりの地なんです。
この地の事を調べる為に、何度も訪れていたある日、彼岸花が突然咲き始め
あっと言う間に回りの風景は一変しました。

(=´▽`=)ノその風景はおじさんが心に描いていた彼岸花がある風景でした。
それで今回の花紀行が書けたって訳なんです。
みなさんの地にも素敵な彼岸花の咲く風景がきっとあると思います。
探して見られていかがですか。

それでは又、次回の花紀行で御会いしましょう。
博多のおじさん&まめ。

























特別編 旅紀行
月形洗蔵 幽閉の地



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さてさて、その特別編のお話とは?
随分前に、まめとの散歩中に、この石碑を偶然見つけて
(‾‥‾a;)ぽりぽり「月形洗蔵 幽閉の地」って書いてありますが・・・
(´+_+`)ウゥ…誰の事?? って調べ初めたのが事のはじまりでした。
 
幕末の「薩長同盟」と言えば、皆さんは坂本龍馬を思い浮かべることと思いますが、
同じ時代を生きた人で、この「薩長同盟」に大きく関わった、福岡から世界に誇れる、幕末の志士がいたのです。
その人の名は、福岡藩士の月形洗蔵(つきがたせんぞう)
実は「薩長同盟」の草案を一番最初に説いた人であり最大の功労者なのです。
(゜ロ゜;)....う・・うそ?? そんな人知らない???
って言われそうですが・・・

残念なことに、この史実は地元の私たちですら、あまり知られていません。

(=´▽`=)ノここから先は興味の無い方は読み飛ばして下さいね!!説明文になるので
当時、政治的地位をめぐって恨みの残る戦いをし、犬猿の仲であった長州藩と薩摩藩。
この両藩に手を結ばせ討幕を実行しようとした人物がこの福岡にいたのです。

それが、今回ご紹介する福岡藩の月形洗蔵です。

月形洗蔵は1828年福岡城下の早良郡(現在の福岡市早良区)に生まれ、23才で家督を継ぎますが、
月形は強硬な尊攘派で、福岡藩に対して、参勤交代を中止して、
「ご忠義の軍勢にて、天下の魁をなさん!」と豪語するほどの人物だったようです。

当時、福岡藩内には、月形洗蔵、黒田家重臣・加藤司書らが中心となって、組織する筑前勤王党があり、
(゜ロ゜;)....う・・うそ福岡にも勤王党があったの? っておじさん全然知りませんでした。地元なのに・・・
藩政を尊攘路線に転換することを進言する建白書を藩に提出し、過激な尊攘論を藩内に展開しました。

そんな月形洗蔵に対して藩主黒田長溥は1861年(文久元年)5月、過激な尊攘論を展開する月形らを
藩政誹謗の罪で捕らえ、月形はじめ主犯格六名を流罪に処し、その他二十数名も厳しく処断しました。

この時に月形洗蔵が幽閉された場所が今回、訪れた場所なんです。
月形洗蔵はこのとき34才でした。

2年後の1863年、大赦で刑を解かれた月形洗蔵は幕末の大きな渦の中心へと歩んで行くのでした。

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同年1863年(文久3年)8.18の政変により京都を追放され政治的地位を失墜した長州藩は
薩摩藩に敵意を抱いていました。
しかし、そのように敵対意識を持つ薩摩と長州に
手を結ばせ武力討幕を実行しようとした人物がこの福岡にいたのです。
薩長和解は、元々は筑前勤王党の月形洗蔵、早川勇によって唱えられのです。

彼らはいち早く倒幕するには一藩のみの力では無理であり、
当時の二大勢力の藩である薩摩と長州が手を結ぶ事が大事であると考えました。

まさに志士仁人(ししじんじん)
「身を殺して仁をなす 天下国家のため正しいと信じたことを、貫く人物像を指す」の考え方ですね。

しかし、そんな月形洗蔵の考え方とは別に長州藩は地位回復をねらって翌1864年(元治元年)8月20日、
兵を率いて撃ってでます。世に言う「禁門の変」が勃発します。
迎え撃つ会津・桑名・薩摩の藩兵と京都市中での市街戦は約3万戸が焼失するなど、大平の世を揺るがす大事件でした。
大砲も投入された激しい戦闘の結果、長州軍は敗北し、その勢力を大きく後退させ敗走しました。
この長州藩に対して幕府は、朝敵として長州を伐ち、一気に権威を回復しようとして、長州征伐に乗り出したのでした。

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そのころ福岡藩では、この第一次長州征伐対して、保守派と勤皇派が対立を起こしていました。
藩主黒田長溥は幕府と長州藩の間をとりもつ方針を立てますが
保守派は、長州との接触は、幕府の疑念を受けることになるので長州は排除すべきだと主張しました。
これに対して月形洗蔵らの勤皇派は、国内の争乱は絶対に回避すべきだとして、
長州征伐の阻止工作を積極的に行うべきであると主張したのでした。

結果は勤皇派の主張が通り、月形洗蔵らが奔走し、
西郷隆盛らと連絡を取りながら征討軍総裁に働きかけ、1864年12月ついには解兵に成功したのです。

この事により福岡藩では勤皇派の発言力が増し、藩内は次の段階の薩摩と長州の調停を模索しはじめました。
西郷隆盛が筑前に来訪した際、月形、早川の両人は密かに西郷に会い、薩長和解を説き、西郷も
「いたずらに長州と内輪の争いをしている時ではない、天下一和に維新すべき」と語った言われています。

その後、月形と早川は、長州の高杉晋作が筑前に来た時にも西郷との密会を準備し薩長和解を進めて行きます。
さらに、月形と早川は長州に入り、下関で西郷と高杉との二度目の密会を成功させ、
薩摩・長州・筑前の3藩をもって幕府の暴挙を防ぎ、
倒幕へ向けて「薩長筑同盟」実現への道を進んで行くはずでした。

(=´▽`=)ノどうですか、何か大河ドラマ見たいになって来たでしょ?
ここ福岡の地でもこんなドラマが繰り広げられていたのです。
のちに、西郷隆盛は月形洗蔵に対して
「志気英果なる、筑前においては無双というべし」と、月形を称えました。

また、月形家には今でも西郷隆盛が月形洗蔵に送った礼状など貴重な資料が多数残っているそうです。

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しかし、1865年(慶応元年)第二次長州征伐の命が下ると、ここ福岡藩では五卿に対する幕府の態度が強硬となり、
大宰府の五卿もいつ幕府から強制的に引き渡しを要求されるかわからない状況となってきました。
藩内の状況は一気に幕府側に傾くこととなり筑前勤王党は藩内の弾圧にあいます。

焦った勤皇派は、体勢を挽回しようとして五卿を薩摩に移して九州勤皇派の総決起を図ることを画策。
クーデターを起こす事を決意します。
しかし、事前に計画は露見して、月形洗蔵らは斬首されてしまうのです。
この時、月形洗蔵38才でした。

これによって月形らの筑前勤皇党は潰減し、ここ福岡藩における尊壌運動は終わりを迎えます。
これ以後、福岡藩は、薩摩・長州と離れて、
幕府側の位置をより鮮明にして幕末を迎えることとなったのです。
当然ながら月形洗蔵たちが目指した薩長同盟も夢に帰してしまい、歴史の表舞台から降りたのでした。

どうですか、特にここ福岡に住んでいる人にはとても興味深い話なのではと思います。
幕末の動乱の中、実質2年間程の間に月形洗蔵はまさに坂本竜馬を彷佛させる働きで
駆け抜けて行きました。
もしも、このクーデターが成功していたら・・・歴史は変わっていたかもしれません。

当時、長州藩の保守派を打倒し、実権を握っいた高杉晋作は西洋式軍制導入の為、
蒸気船オサマントの船上いました。そしてこの知らせを伊藤博文から聞き、こう語ったと言われています。
晋作は目を閉じ、祈った
「月形洗蔵、惜しい男がまた一人死んだ。天はこの維新回天の業にどれほどの犠牲を求めるのか」

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月形洗蔵亡き後、生前懇意にしていた土佐脱藩者・中岡慎太郎が盟友の坂本龍馬にこの事を話し、
薩長同盟の最後の一押しを引き継いだのです。

ドラマや書籍などの影響で坂本龍馬が目立ち、月形洗蔵はあまり知られていませんが、
地元や近郊の私達が伝えて行くべき事なのでは?なんて思ってしまいましたよ。


(=´▽`=)ノ 満開の彼岸花の撮影中におじさんが回想した
長い長い話に付き合って頂き本当にありがとうございました。
 

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