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(〃⌒ー⌒)ノ どもっ♪ みなさんこんにちは。 前回はクリの旅紀行第1話二見ヶ浦展望台を書きましたが、第2話を書く前に、 まめの旅紀行を間に入れて、クリとの違いを感じて頂けたらと思い書いてみる事にしました。 クリとは、海に行ったので、まめとは山に行って見ましたよ。 あはは、かなり安直な考えですけどね。ご勘弁下さいね。 でも、どうせ登るなら途中に神社が有る場所で、うさ友さんのうさぎさん達の健康祈願も兼ねて、 旅紀行が出来たらと思い、天拝山に白羽の矢を立てて見ましたよ。 それではまめと登頂開始です。 今回登った天拝山は菅原道真公が都に無実を訴える為に登ったと言われる山で 頂上には「おつま立ちの岩」と言われる石碑も残ってます。 そんな天拝山の中腹に、荒穂神社があります。 いつもだったら、さらっと通り過ぎてしまうのですが、今回はまめとしっかり御詣りして見ました。 祭神はスサノオの息子、五十猛命と書いてあります。 良く見ると、本殿の後ろに巨岩が? 巨岩信仰系なのかな? ネットで調べてみても、ほとんど資料らしい資料は出て来ませんでした。 う~ん??この岩、気になるなぁ?? 図書館で調べると 拝殿の裏に巨石群があるらしいです。 w(‾□‾)w し・し・しまったぁ!! 裏に廻って見れば良かったです。 今度、又、まめと探検に来て見ますね。 (‾◆‾;)うっ・・・まめ、いきなりのチョンボをやっちまったので 神々しい感じの写真を1枚入れて、誤魔化すぞ!! モデルモードに変身宜しく!! (=´▽`=)ノハイ、まめチーズ。 こんな感じの白く飛ばした写真が著明な神社仏閣のHPで多く使われているので、まねして撮って見ました。 ちょっと、まめが神々しく見えるかな(笑) (=´▽`=)ノ ハイ!! いきなり頂上に到着です。 ですが、ここまで登頂するのには、それなりに大変な事も・・・ 皆さんも、学生時代に○○山登山と言う感じで、近くの山に登った事が有ると思いますが 登山道ではすれ違う方々に挨拶をするのが常識ですが・・・ (´-ノo-`)ボソッ... これが大変なんです。 ヾ(‾◇‾)ノ「こんにちわー」ってまめをだっこしたまま挨拶すると (‾□‾;)!!お!!「うさぎさんですか」と立話しが始まります。 一通り、お話して別れると、次の方が又、「こんにちはー」って挨拶を 又、話が始まります。 そうこうしてると、後ろからの登山者に追い付かれて、又々、お話が始まります。 (‾∇‾;) エンドレスに続く、挨拶地獄・・・ 実はこの天拝山は既に何度もまめと登ってます。そして毎回、この挨拶地獄を味わってます(笑) と言う事で山頂までの事は割愛させて頂きました。 と言うか、とても写真なんか撮ってる余裕ありません。 以前、人が登らない時間帯に登山模様を動画で撮った事があります。 道のりを見たい方は下のリンクからどうぞ 動画はこちらからどうぞ 旅紀行 春よ来い 天拝山へのうさんぽ 今回2回目の神社、天拝山山頂の天拝神社です。 太宰府天満宮に祭られている菅原道真公を祭った神社で、菅原神社とも言われています。 おじさんが住む地域には道真公由来の隠れ名所が結構ありますが、その内の一つでしょうね。 (‾◆‾;)うっ・・・この後長々書いてますが、興味が無い方は読み飛ばして下さい。 うさぎとは何の関係も無い事ばかり書いてるので・・・ 道真公は今では学問の神様として有名ですが、天神様(雷神)は、祟り神としての側面を持ってます。 延喜3年(903)2月25日、道真公は、南館(榎寺)において清らかな御生涯を終えられました。 これが表だって言われてる事です。御存じの通り道真公は陰謀により、京より太宰府に左遷させられたのは有名ですが、 実際は左遷と言うより幽閉と言った方が的確な表現だと言われています。 南館と言えば聞こえが良いのですが、実際に幽閉された場所は粗末な建物がある程度で、当時はお寺でも無かった場所で、 大きな榎がこの場所にあり、いつのまにか地元の人に「榎寺」とか「榎社」と呼ばれる様になりました。 又、この地に左遷された時に、幼子二人、隈麿と紅姫を連れて行く事を許されたのですが、あまりにも酷い暮らしの為、 道真公自身も、脚気や皮膚病に悩み、病魔に犯されていたと言われています。 そんな環境の中、幼い隈麿と紅姫は翌年、病死してしまいます。 隈麿の墓は榎寺の近くの小高い丘にありますが、紅姫にいたっては、はっきりした墓は無く、 榎寺境内に供養塔が現存する程度なのです。 今でもこの榎寺は実在しますが、ほとんど表舞台には出て来ないスポットです。 道真公の負の部分の場所だからでしょうね。 道真公没後、京の都を襲う天変地異は「菅原道真=天満大自在天神」の怒りであると思うことで、 圧政に苦しめられる人々は幾ばくかの慰めを得たこと言われています。 圧政を強いる為政者に対して現実的には何もできない弱い立場の人々は、自分たちの怒りや恨みを汲み上げ、それを天罰として権力者に下してくれる神として、「菅原道真=天満大自在天神」に祈る これが天神参りの原型です。 この天拝神社が有る天拝山自体が道真公幽閉当時の逸話が多く残っている山で、 どちらかと言うと祟り神、天神様の怒りを鎮める為に為政者が建てた神社の意味合いが強いのでしょうね。 どうしても負のイメージが付きまとうのでメジャーなスポットになれない様に感じます。 皆さんこの童謡ご存知でしょうか? 通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちょっと通してくだしゃんせ ご用のないもの通しゃせぬ この子の七つのお祝いに お札をおさめに参ります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも通りゃんせ通りゃんせ 「通りゃんせ」で「天神参り」に行く理由を「この子の七つのお祝いに」としたのは、口実にすぎなかたのかしれません。 本当は、圧政に対する怒りを天神様に訴えに行ったのでしょうね。 朝廷や幕府にとって、そのような行為は許し難いものです。 だから、「天神参りなどすると後が怖いゾ」と脅迫したのです。 ふと、そんな事を思い出させてくれる神社でしたよ。 江戸時代になると「読み書きそろばん」が庶民の処世術として欠かせなくなりました。 為政者に対して天罰を下してくれる存在であったために、庶民が頼りとしてきた馴染み深い菅原道真公が 「学問の神様」に変身したのは当たり前の事だったのかもしれませんね。 (((p(≧□≦)q))) おりゃー!! おじさん!!何、歴史講座開いてんねん。 お弁当食べるで。早く準備して!! Σ(‾□‾ノ)ノゲ!! まめ御立腹で祟り神に変身するかも(笑) (=´▽`=)ノ まめの今日のお弁当はキャベツの千切りです。 外では水分補給が一緒に出来る生野菜がまめのお気に入りです。 このタッパの中に野菜と一緒に氷を数個入れて持ち運びすると、 程よく冷えているし、水分も多く含まれて一石二鳥なんですよ。是非お試しあれ。 因にまめは膝の上に置いたまま、おじさんは弁当を食べてます。 信じられないかも知れませんが、まめはほとんど動かないので、食べられるんですよ。 (´-ノo-`)ボソッ...慣れれば、うさぎさんと一緒に食事が出来ます。これ本当です!! 食事が終わったので、日記のネタ用に写真撮影タイムです。 展望台からの景観です。(〃⌒ー⌒)ノ どもっ♪ クリの時より雲が多かったので、青空は今一つですが、まめ凛々しく立っているでしょ。 (´-ノo-`)ボソッ...因に周りには人集りが当然の様に出来てますが・・・ (‾o‾*(_ _* ) ウンウン うさぎと一緒にこんな所に来れば当然の事と諦めていますけどね(笑) 無視して、まめの写真を一心不乱に撮りました。 (〃⌒ー⌒)ノ どもっ♪ まめが見ている風景、中々の景観でしょ。 が・・・この写真を最後に質問攻めに合いました。ε=(‾。‾;A フゥ… まあ、毎度の事なので馴れましたが・・・ うさぎさんの認知度を上げる為に頑張って答えましたよ。おじさんは(笑) さてさて、流石に話し疲れたので下山時に脇道に逸れて、谷を下って見ました。 (´-ノo-`)ボソッ...人がほとんど通らないので・・・ まめと無事に下山出来るのか?遭難したらどうする?? とんでもない山道を下る馬鹿二人・・・ 次回に続く。 博多のおじさん&まめ |
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