このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
(=´▽`=)ノ 皆さんこんにちは。 今回は前回の続きで福岡県福津市津屋崎にクリと来てます。 前回、旧吉田醤油店の煙突を見に来てたおじさん達ですが、地元の人とお話をしていると、 津屋崎の繁栄は津屋崎荒塩として博多の味を支えた製塩業であり、 明治36年には福岡県下最大の塩田にまで発展した歴史を持っていると教えられました。 (‾◆‾;)うっ・・・と言う事は、この地、津屋崎まで来て、 近代産業遺産を語るなら、この製塩業を語らずに、何が旅うさでしょうか? 地元の人に教えられて訪れた地域は「塩浜」。 地名から十分に想像出来ますが、この地域一帯は昔の製塩生産地域です。 この地に当時の繁栄と衰退を自らのからだに刻んだかの様な面持ちを残して、 孤高に立っている製塩産業の近代産業遺産の煙突が残ってます。 煙突に残るこの傷が、長い年月を語っている様に思えます。 すいません。すいません。m(_ _;)m オープニングで、さも現地に到着したような言い回しと写真ですが・・・ (トップの写真はフル望遠で撮影しました。今のカメラは性能が良いんですよ。) 左の写真を見て下さい。丘のように伸びている草むら・・・ 草ぼうぼうの空き地にポッンと一本だけ残っている煙突・・・ この下に製塩施設の跡地が眠ってますが、どうやってあそこまで行こうかな? この写真だって望遠で撮影してるから、こんな風に見えますが、 現実には右の写真が車内から撮影した煙突です。 (‾◆‾;)うっ・・・かろうじて見える煙突。 廃虚をメインに訪れている方のブログを拝見してて、良く見かけるフレーズ。 「廃虚=冬」 痛い程、痛感しました。 今の季節、ジャングルと化した、この地にはおじさん達では近付く事さえ許されないのです。 ここは潔く、この地は諦めて、草が枯れる季節に再度リベンジです。 m(_ _;)m すいませんでした。折角見に来て頂いてこの有り様・・・ が、しかし、もう一ケ所、製塩関連の近代産業遺産の場所を聞いてました。 ここは正式名称は「旧熊本塩務局津屋崎出張所文書館跡」 通称は「旧塩倉庫」と呼ばれています。 製塩産業で繁栄した津屋崎は津屋崎千軒と呼ばれ繁栄してました。 (その賑わいぶりは、家が千軒もひしめいているようで津屋崎千軒と呼ばれていた) その頃を知る唯一の建造物です。 (‾◆‾;)うっ・・・す・す・凄い!! 中からムーミンとか、トトロとか出て来ても違和感ありません。(笑) ですから、うさぎさんなんか一緒に写ってもまったく違和感ありませんよね?? (´-ノo-`)ボソッ...やはり、この場所に、うさぎは変か? しかし時は流れ、国の塩の専売制などの経済環境の変化から衰退して行き、 昭和34年にこの地の製塩業は最終的に廃止されたとの事です。 残存する、この煉瓦作りの建物は旧熊本塩務局の文書庫跡だと考えられているらしいです。 煉瓦作りの窓の中に当時の繁栄と衰退を見て来たこの建物の魂が おじさん達に何か訴えかけている様に感じます。 入口から中を見るクリの顔・・・ (‾◆‾;)うっ・・・どっちなんだ? 怯えているのか?それとも感動してるのか? 正直、クリのこの表情の変化に驚いたおじさんです。 時空紀行を考えた時に、一番出逢いたいと思っていたシーンがこれなんですよ。 (=´▽`=)ノ どうですか? 美しいと思いませんか? 映画とかで描かれる廃虚のシーンを思い出しますよね。 屋根が抜け落ちているから、こんなに光が入って独特の雰囲気を作ります。 でも、これは映画でもテレビでもありません、現実の世界の光景です。 凄いと思いませんか? 近代産業遺産と廃虚は紙一重でした。 戦後の塩不足を支えて来たこの施設は時の流れと共に役目を終え、 廃虚の道を歩んで来たのでしょうね。 そして普通の観光に馴れ過ぎたおじさん達に、時の流れを現実の物として見せてくれました。 とても貴重な経験が出来たと思っています。 沢山の人と話し、沢山歩き回りました。 迷子にも何度もなりました。 でも時空紀行やって良かったと本当に思えた今回のお出かけでしたよ。 これからも、この企画は続けたいと思ってます。 ちょっと変わったジャンルですが、どうぞ応援宜しくお願いします。 博多のおじさん&クリ |
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