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びっちゅうふくやま
備中福山城 (総社市清音三因)
福山城は「福山合戦」の地として有名。
鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による新しい政治がスタート(建武の新政)したが、そのやり方に反発した武士たちは、武士の棟梁である足利尊氏のもとに集結し、武家政権の再興を目指して動き出した。
「福山合戦」は、このような時代背景のもと、1336年(延元元年)、福山を守る後醍醐天皇方の新田義貞軍の武将大井田氏経軍と足利直義(尊氏の弟)軍との三日三晩続いたといわれる戦い。
■福山(標高302.4m)の山頂には、平安時代から山上仏教の「福山寺」があった。開山は不明であるが、報恩大師の建立といわれている。
1335年(建武2)に、備中の豪族荘常陸兼祐が、福山寺を利用して築城。城は三の壇・二の壇・一の壇に分かれ、頂上の城跡には、土塁跡、空堀跡、また門の跡と考えられる石積みが残る。1936年(昭和11)国史跡に指定された。
▽「福山城跡」山頂案内図①の部分。国道429号からの入口。
▽山頂案内図② ㊧写真の入口を入るとすぐ、この分岐路があり、右の道を和霊神社を目指して登って行く。
▽山頂案内図④ 中腹の「史蹟 福山城址」石標。あと少しで山頂。
▽山頂案内図③ 神社の近くにある登城口。この近くに駐車場あり。山頂まで徒歩約20分。途中から幸山城跡へも山道が続いている。
▼福山城跡の北東約3kmに位置する備中国分寺より望む福山城跡全景。
福山城跡より低い右の山塊は幸山城跡。
▼山頂案内図・C部分
▼山頂案内図・D部分(三本の記念碑が建つ)
▽井戸跡
▽土塁跡と空堀跡
(現地説明板に一部加筆の上掲載)
【備中福山合戦(現地案内板より)】
▼山頂案内図・F部分
E部分の後方、三の壇跡。
▼山頂案内図・E部分
土塁跡(基礎部列石)。後方は三の壇跡。
▼「福山城跡」山頂(「福山城跡」山頂案内図のA部分)
次は上記、「福山城跡」山頂案内図①〜④、A〜Fを巡るコーナーです。
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