このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

備前福岡城跡
福岡城跡周辺図
(JR長船(おさふね)駅前の長船鳥瞰図に一部加筆の上、掲載)

 
福岡城跡の場所については二説あり、一つは、岡山市の中心から国道2号線を東へ20キロ余り、吉井川にかかる備前大橋手前、一日市バス停前の吉井川西岸沿いの道を南へ下ったところの小山(岡山市寺山)が城跡とする説。
 

 もう一つは、赤穂線長船駅から西へ約1キロの所にある吉井川東岸河原(現ゴルフ場)の中央の小丘(瀬戸内市長船町福岡)が城跡とする説の二説ある。
 
(写真左)吉井川東岸河原(長船カントリーゴルフ場内)の中央に見える稲荷山の福岡城跡。
(写真右)吉井川西岸に突出する本城山と呼ばれている小山の福岡城跡。


吉井川に架かる備前大橋から望む二つの城跡
 川の中央を境にして左が瀬戸内市、右が岡山市となる。
    (左)ゴルフ場内にある稲荷山と呼ばれる小丘の福岡城跡
(右)吉井川西岸に突き出している小山の福岡城跡


【吉井川東岸河川敷を利用したゴルフ場にある福岡城跡】

        

 この場所は、昭和55年(1980)に<郷土記念物 福岡城跡の丘>に指定され、説明板に
「この丘は吉井川河川敷にある標高10mの粘坂岩からなる小丘で、14世紀のはじめ築城された福岡城本丸跡といわれています。

 このあたりは、刀剣、須恵器の産地として古くから開けたところで、中世には、吉井川に沿った市場として町が形成され、備前の国の中心として栄えたところです。
 
 かつての広い福岡河原もすっかり姿を変え、往時の面影をとどめるものは、アラカシ、エノキなどの茂るこの丘だけとなっています。福岡の郷土景観を特徴づけるものとして人々に親しまれています。」
と書かれている。

【吉井川西岸の福岡城跡】

        

 城跡を表示するものはなく、墓地になっている小山である。頂上(写真右)は城跡によくみられる平地となっているが、城の遺構は全く残っていない。

 福岡城は、川の中州の小高い丘に櫓を築き塀を巡らせていた城で、備前・美作随一の要害堅固な城砦であった。二説のどちらが真の城跡にしても福岡城をめぐる攻防の歴史は数多く伝えられている。正平5年(1350)足利尊氏が、その子直冬(ただふゆ)の離反を鎮圧するため大軍を率いて西下する途中、福岡に40日余り駐屯したという記録が残っている。

 その後福岡城という舞台に登場する武将は、山名、赤松、松田、浦上などであるが、文明15年(1483)に、松田、山名の連合軍が、福岡城を守護する赤松、浦上の連合軍を攻め落とすのに50日もかかったと伝えられる大激戦が、世にいう「福岡合戦」である。

 しかし、福岡城は、大永年間(1521〜1528)の大洪水のため城地の大半が河道となり、廃城となった。福岡城の当時の様子をしのばせるものは、二つの丘陵以外に何も残っていない。


《夢街道ルネサンス》
『備前福岡七小路往来』

備前福岡
 吉井川にかかる備前大橋から東側の堤防を、右手にゴルフ場を眺めながら1キロばかり下ると不思議な町並みが目に入る。駅もなく街道からもはずれながら密集した人家が二百ばかり、その中を真直に走る道路の広さにまず驚かされる。南北に二本、東西に四本、その間を結ぶ狭い道も基盤の目のように整然としていて都ふうな町をしのばせる。
 

 この集落〜福岡の家並みは古い歴史の残照であり、それ故にこそ司馬遼太郎の「播磨灘物語」の冒頭の舞台となる。『福岡とは山陽道の沿道にあたり、この時代中国筋における第一等の都会であったろう。村のそばに吉井川が流れていて水運がいいだけでなく、まわりに美田が広がり、気候は温暖で物成りがよく、餓えということを知らぬ土地だという。』物語の中のこの時代とは、室町時代の末である。

 山陽道と吉井川の交わるこの一帯は、物資の集散地として大変にぎわっていた。時代をさらにさかのぼると、鎌倉中期の「一遍聖絵」に「福岡の市」としてその繁栄が描かれている。布教のため全国を行脚した一遍上人の絵伝(絵巻物にした伝記)は、今も京都の歓喜光寺に国宝として保存されているが、その中の「福岡の市」のようすは、中学校の教科書に載るほど貴重で当時の市の有様を知るよすがになっている。織物、米、魚、伊部焼(備前焼)の壺を売る商人、市女笠の女、鳥帽子狩衣の武士、市に群がる男女など当時の民衆の生活や、その背景となる風景が美しい詩情をたたえて描き出されている
 

 往時の福岡の繁栄を現況から想像することはできないが、わずかに「七小路」「七井戸」と語り伝えられたものに、その昔整然と区割された町であったことをしのばせるものがある。東小路、西小路、市場小路、上小路、下小路、後小路、横小路、その他横町、殿町、茶屋市場などという呼び名がそれである。殿町というのは武士の居住地であったと思われ、市場小路、茶屋市場は「福岡の市」と関係があると思われる。
 

 農村にしてはあまりに趣のある街作り、白壁や格子窓が残る家並み。中世の福岡千軒から徳川の幕藩時代を経て今の小集落へ。その接点はいつであり、どんな背景があったのか。現在の福岡は昔の大福岡の一部がそのまま残ったものか。宇喜多氏による岡山城下町作りへの多くの商人の引き抜きや、大洪水による荒廃のあと新たにつくり直されたものなのか。疑問に答えてくれるものは今は残っていない。そのあたりは謎につつまれたままである。
<文は現地説明リーフレットより転載>

 
 
「夢街道ルネサンス」は、国土交通省が中国地方の歴史的な街道、街並みを活用したトレイルルートや地域づくり等の計画策定及び基盤整備を実現するため行なっており、平成20年3月25日、「備前福岡七小路往来」の街並みが認定されました。

 備前福岡は、中世山陽道随一の繁栄を誇り、鎌倉時代には「福岡の市」が開かれ多くの人々で賑わったと言われており、現在は地元の皆さんが中心となって市を復活させ「備前福岡の市」を定期開催しています。

現在の福岡街並み

「備前福岡七小路往来」の標識


“福岡の市跡”碑

 弘安元年(1278)、福岡の市で説法する様子を描いた「一遍上人絵伝」は、当時のこの地方の風俗や人々の暮らしぶりを知るうえでも貴重なものです。
 福岡の市は、鎌倉時代福岡庄のなかで開かれていた定期市のひとつであったと推定されています。同庄園内には、現在でも一日市(ひといち)や八日市(ようかいち)などの地名が残っている。


七つ井戸
 「備前福岡名所町、七口、七井戸、七小路」と、言い伝えられて来たように、ここ福岡には昔から、飲用、消火用、その他生活用水を得るため、個人井戸の他にその周辺の人々によって管理使用されていた立派な共同井戸があった。これらの井戸が、いつごろ作られたかは不明であるが、江戸時代中ごろには既に使われていたと言われる。
 現在、七つのうち四つの井戸が昔の姿のまま残っている。

福岡一文字造剣之地碑
 長船も含めたこの地帯は、平安時代から刀剣の産地として全国的に名高く、多数の名工を輩出している。刀工たちは、美作の砂鉄と吉井川の水流を利用するため、平安中期から福岡付近に住みついた。備前刀の名を高めたのは「福岡一文字派」の祖といわれた名匠の則宗、助宗親子である。そして刀剣の鑑定については特に有名な後鳥羽上皇の信任を得て、御番鍛冶12名が召し出された中に備前からは、則宗、助宗をはじめ7名が含まれていた。現存の福岡一文字の刀はほとんど国宝、重文などに指定されている。


妙興寺
境内に黒田高政と重隆(官兵衛孝高の曾祖父と祖父)及び宇喜多興家(直家の父)墓碑がある。

妙興寺の大イチョウ
推定樹齢300年といわれている。長船町指定天然記念物。

《黒田家墓所》
 妙興寺に黒田高政・重隆のものと伝えられる墓石が残る。

 黒田官兵衛孝高(如水)は、秀吉の天下統一の大事業の参謀として活躍したことで知られる。黒田家と福岡が交差するのは黒田官兵衛孝高(よしたか)の曾祖父高政が、永正8年(1511)子重隆らを連れて近江の在所を離れて、当時の商都福岡に移住することからである。この間は黒田家にとり最も不遇な時代であった。高政は大永3年(1522)にこの地で亡くなった。その子重隆(官兵衛孝高の祖父)は福岡で育ち長じて姫路に移ったと言われる。

 そして職隆、孝高と代々家名を高め、後に官兵衛孝高の子長政が慶長5年に筑前52万石の大名として博多の西に築城した時、その城下を黒田氏発祥の地備前福岡にちなんで「福岡」と名づけた。長政はよほど、備前福岡に愛着を覚えていたのであろう。
岡山城を築いた宇喜多直家公の父
  《宇喜多興家公墓所》
 宇喜多直家は幼少の頃、父興家(おきいえ)と共に、福岡の豪商、阿部善定の保護のもとに成長し、その後浦上宗景に仕えた。直家は永禄4年(1561)に宗景を和気天神山に攻めてこれを讃岐に放逐し、岡山城を拠点として威力を備前一帯に張った。興家は福岡で没し、その供養塔と伝えられるものが妙興寺境内に残っている。

 直家は岡山に二男秀家と二代にわたり近世的城下町の原型を築き、家臣の城下集中を企画して政治、経済の中心地とした。福岡からもこの時多数の商人が引き抜かれ、今の岡山市表町は、かつて福岡上之町、福岡中之町、福岡下之町と呼ばれたころもあった。このため一時は足利尊氏の大軍を駐屯させたほどの経済力を有していた福岡の繁栄は岡山に吸収せられ、福岡衰微の原因ともなったといわれる。

 直家の岡山築城は天正元年、秀家が城を大改築して城下の経営に着手したのが天正18年(1590)で、福岡大洪水の前年である。

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